エレミアの陰、業炎のグリム

 アズハルとゲイエルオーの戦いが決着を見たとき、ミラとバルは「黒子」の最上階と思しき場所まで到達していた。巨大な鉄扉が彼らの行く手を遮るが、バルの一蹴りでまるで爆発でもあったかのように部屋の内部へと吹っ飛んだ。


 すかさず中に入った二人はその部屋の大きさに息を呑む。ドーム型の天井はまるでガラス張りのように透き通っていて、怖いくらいに黒い青空が広がっていた。


 大荒廃地は空の様子は刻一刻と変わるというのに、ここだけは時間が止まったかのように空の動きに変化がない。


 ただ一つ異なるのは頭上に広がる空に切り込みを入れたかのような黒い線が中央を走っていたことである。建物の継ぎ目と呼ぶには、どこか背筋がざわつくような感じを覚えた。


「何だ、あれ?」


「気になるか?」


 声がしたのは部屋のほぼ中央、宙に浮かぶ玉座に座るグリム・ルースレスから発せられていた。バルは空に気を取られた自分を呪いつつも、素早くミラの前に出て、身構える。


 だが、王叔はそんな隙を衝こうとはしなかった。余裕か、過信かを判断するのは難しいところであったが、自分を大きく見せようとしているのだけはたしかだった。


「あれはな、デーミウールゲイン族の愚かさの証よ。二十六次元の彼方に繋がる扉『ウーデン』だ」


「あんなでかいのが扉だって?」


「そうだ。しかもまだ閉まりきってはおらぬ。その影響で年々大荒廃地は広がっているのだ。この『黒子』がなければ、さらに被害は拡大したであろうな」


「ふん、よく知っておる」


 いつの間にか、ミラがバルの後ろから出て、前に出ていた。一族の恥を他種族から言及されるのはさすがに我慢ならないようだ。


「大荒廃地の拡大を防いでいるのは、自分の功績だといいたげに語っておるがな、『黒子』はその言う愚かな一族が建てたものじゃ」


「ふん。どうでもいいことよ。それよりもミラ、エレミアの民を裏切った前非を悔い、我が足許に接吻するというのならば、その罪を許してやろう」


「一考にすら値せぬ。そもそもそに許してもらおうなどと微塵も思っておらぬわ」


「よかろう。その言葉、後で悔やむなよ」


 口調の平静さとは逆に憎悪に満ちた表情でミラを睨んだグリムだったが、やがてその視線をバルに移した。


「きさまはどうだ、バルトロマイオス? 我が下につく気になったか?」


「ああ、それなんですけど、やっぱり無理ですわ。あんたに仕えても、仕え甲斐なさそうだし」


 今まで態度を決めかねていたように振る舞っていたバルではあったが、今度は明快に拒絶した。


 ミラに屈辱を与え、上に立とうとするグリムのことをバルは腹に据えかねていたのだ。無自覚ながらも、ミラの保護者であることを自らに課しているバルにしてみれば、許しがたき行為であり、その時点でグリムは敵になったというわけである。


 グリムはミラとバルの態度が不愉快だったに違いなく、口の端は上げていたが、その顔を維持するのが難しいというように小刻みに震えていた。赫皮族の怒りを表す煙も身体中から立ち上ってきている。


「二人ともわたしには従えぬということか。ならば、大罪人ミラ=ダクリュオン、及び元宮廷騎士バルトロマイオス、きさまら二人をわたし自ら断罪してやろう!」


 赫皮族にはもう一つの異名がある。それは「火神の落し胤」というものだ。絶えず高音を発する表皮の熱を一点に集中させることにより、凄まじい熱量を発生させることができるゆえにそう呼ばれる。


 上に向けた掌から湯気が上がり、周囲の空気の温度との違いによって、陽炎が立ち上り、その後ろの景色を歪ませた。


 そして、小さな爆発音とともに掌から炎が現れた。しかも、一瞬ごとに大きさを増し、かなり離れているというのに熱気がミラやバルの元まで届く。


「やべえな、これ。ミラ、おれの後ろに隠れてろ」


「うむ。デーケーイクス……」


 ミラが何事かを呟きながら、バルの後ろにつく。それを確認して、バルは大きく息を吸った。


「我が名はバルトロマイオス! 血と骨の盟約に伴い、絶対不壊の盾よ、我が許に参れ!」


 バルのかけ声とともにどこからともなく壁と見まごうほどの漆黒の盾が現出した。バルは盾の裏側の持ち手を掴み、盾の下方に足を添える。バルはいかなる攻撃からも守りきる鉄壁の覚悟を備えた城壁と化す。


「ほう、それが巨鬼族の『黒漆武装』というやつか。だが、その程度でわたしの炎が防げると思うか?」


 巨鬼族は血と骨を捧げることで、生涯でただ一つ自らの分身たる武具を作る。一族の中でも変わり者と知られているバルは巨鬼族の力をもってしても壊れない武器ではなく、盾を選んだ。この時、彼はすでに守るべき対象があったからだ。


 かつて、幼いながらも、建国十二家族の一家の長であり、いずれは神託によって王になるであろうとされていた少女がいた。


 彼女の種族はほぼ死に絶え、頼るものもなくたった一人で広い館で過ごしていた。その館の庭で少年だったバルは少女と出会った。


 バルは少女の境遇を聞き、やがて重すぎる運命を背負う彼女のせめてもの味方でありたいと願った。ありとあらゆる敵から彼女を守ろう。その決意の証がこの絶対不壊の盾である。


 たかが炎ごときにこの盾を打ち破ることは能わない。この世界に存在するどんな希少な宝石や美しい財宝にも勝るたった一つの光を守るべく、今、バルは不動の泰山と化した。


 グリムが創り出した炎は十パッスースを超え、熱量は小型の太陽が地上に舞い降りたかのようだ。炎の外縁は蛇の舌のように動き、あらゆるものを灰にさせようと欲望を抑えきれずにいた。


 その渇望が限界に達しようとしたとき、厖大な炎の塊はついにグリムの手から離れた。その速度は緩慢だったが、周囲の空気を取り込み、さらに巨大化していく。


 緩やかだった速度も次第に加速し、床を削りながら、漆黒の盾へと迫り来る。この時点ですでに熱は生物の限界を超えていたが、盾の裏側は別の力に守られているのか、まだ酷暑と呼べる温度ですんでいた。


 そして、二つの力は激突の瞬間を迎える。炎はそれ自体が質量を持つかのように耐えがたい圧力をバルに与えてきた。


 踏ん張るバルの足許の床がひび割れたかと思いきや、さらにバルの足をめり込ませ、その上わずかではあるがバルを押し始めた。


 バルの筋肉は大きく膨張し、耐えきれなくなった服の布地が裂け始める。その様はまさに死ぬまで戦い続けたという古の巨鬼族そのものであった。


 今まで炎の熱を抑えてきた盾も耐えきれなくなってきたようで、その熱が持ち手まで繋がり、バルの掌を容赦なく焼いていく。


 だが、バルは一歩も退かない。ここで押し止めねば、後ろにあるものが壊れる。それはバルにとって、何よりも恐ろしいことだったからだ。


ケーウーイー


 ミラの声が終わった瞬間、小さく、白い花弁がふわりと舞い降り、炎に焼かれて、蒸発する。


 だが、それは始まりだった。恐ろしく耐えがたい熱気は消え去り、代わりにバルの周囲には霜が降りていた。霜だけではない。氷結した大気が微細に打ち砕かれた金剛石のように宙を舞い、炎の勢いを減じさせていくではないか。


「バルよ、ゆけ!」


 ミラの助力を受け、バルは炎を押し返し始めた。先ほどに比べれば圧力はかなり減っている。


「だあらっしゃあ!」


 バルは意味不明な叫び声とともに渾身の力を込めて、楯を前に突きだすと、炎は苦悶するかのように歪み、捻れ、そして、轟音とともに四散した。


 さすがに体力を使い果たし、バルはその場に膝をつき、肩で呼吸するほど困憊した。もう一度同じ攻撃を食らったら、おそらくは防げまい。


 だが、あのような大技、二度も三度も連続しては使えないだろう。外術のように他から力を借りるのならばまだしも、グリムの場合は自分自身の肉体を操作して、あの炎を創り出したのだ。身体にかかる負担は相当なものだろう。


 現にグリムは表面上平然としているものの、同じ技を使ってこないのは連発できないという証拠だろう。


 しかしながら、そこには恐るべき意味が生じる。バルにしてみれば、ミラの助力があってなお全身全霊の力でなければ、跳ね返せなかったのだ。


 感情が表出しやすいグリムがこれだけの大技を使って、ミラとバルを斃しきれなかったことに対して、残念がる様子がないということは、まだ何か切り札を持っているということに他ならない。おそらく、いや、ほぼ確実に今の技よりも数段上の力を持っているはずだ。


「さすがは『不壊の盾』と呼ばれるだけのことはある。やはりなくすのは惜しいな。どうだ、心を入れ替える気になったか?」


「しつこいな、あんたも。何度誘われたって、あんたのところに行く気はねえよ」


 バルは荒い息をしながらも、不遜な笑みを浮かべて、グリムの勧誘を再度蹴った。力に屈服すること、それは巨鬼族にとって最大の屈辱であり、バル自身、力を誇示するものの下にはいたくなかったのだ。


「ならば、そこで死ね!」

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