勇者対暗殺者
残されたアズハルとフェリハは時間を稼ぐといいながらも、それほど長い戦いにはならないとうすうす感じてはいた。
ゲイエルオーの実力を鑑みれば、手を抜いて戦える相手ではなく、また操られているためか、自らを守ろうとしない分、攻撃力は大きく跳ね上がっている。
どうにかゲイエルオーの圧力を凌いではいるが、その力はアズハルを押し込もうとしていた。
「ゲイエルオー! 目を覚ませ! おまえは自由になりたかったのだろう! なのに、こんなところで一体何をしているんだ!」
ミラにいわれたようにアズハルはゲイエルオーに呼びかけた。フェリハも唱和するように声をかける。
「ゲイエルオー、あんた故郷の子どもたちを足抜けさせたいからって、わたしたちに与えられた報奨金全部持っていったんでしょ? それってどうなったのよ?」
かつての仲間に声をかけられたゲイエルオーにかすかな変化が現れた。焦点の合わない瞳が激しく上下左右に動いた後、かすかに生気の光が蘇ってきたのだ。
ゲイエルオーはまだ助かるかもしれない。望むが出てきたアズハルはなおも声をかけ続けた。するとゲイエルオーの口から声が漏れだした。
「あ……アズハルなのか?」
「そうだ、ゲイエルオー! おれだ、アズハルだ! 気をしっかり持って、そんな術打ち破るんだ!」
「無理……だ……もはや何重にもこの術……はかけられて……手の施しようがない……だから……殺してくれ……おれの凶刃が……おまえたちを……傷つける前に」
「諦めるな! この程度の困難、おれたちはいつだって乗り越えてきただろ? 今度だってきっと乗り越えられる!」
「だめだ……もう……」
ゲイエルオーの中で理性と狂気が肉体の覇権を賭けて争っているのだろう。彼の口からは絶えず呻き声が漏れ続ける。
だが、狂気の軍勢は圧倒的だった。理性を大波で飲み尽くし、はるか深海の底へと沈めてしまった。
再び正気を失ったゲイエルオーはアズハルを突き飛ばすと、姿勢を低くし、短剣を逆手に構えた。ゲイエルオー必殺の構えである。この構えを見たものは何人たりとも生きてはいなかった。
アズハルはそれをよく知っていた。呼吸を整えるために大きく息をつく。ゲイエルオーは最後まで抵抗し、敗れたことを否が応でも覚らざるを得なかった。
「わかった、ゲイエルオー。おれがちゃんと送り届けてやるよ」
「アズハル!」
「フェリハは下がっていてくれ。大丈夫、おれは負けない」
自信ありげな笑顔をフェリハに向ける一方で、ゲイエルオーに向ける笑顔は泣きそうなくらいに寂しげであった。
アズハルはゲイエルオーの一撃に応じるべく、剣を構えた。やや前傾姿勢なのは、彼もまた防御を捨て、この一撃にすべてを賭けるためだった。
「おれたち、どっちが強いかってよく喧嘩したよな? だから、どちらが人類最強か、今日、白黒をはっきりつけようじゃないか」
どちらが先に仕掛けるか、そして、後の先を取るか。両者は睨み合ったまま、動かなかった。お互いの呼吸音だけがこの世界に存在するすべての音であるかのように静かに時が流れていく。
久遠とも思える時間の中、アズハルは自らの消耗が著しいことに気づいていたものの、まだ迂闊には動けずにいた。ゲイエルオーの構えは攻守どちらでも対応できるからだ。
だが、ゲイエルオーが動かないようならば、先に動くしかない。アズハルはわずかに利き足を前に出した。
見た目には決してわからない重心の移動、それを見て取ったのか、突然ゲイエルオーは飛び出した。床を舐めるように駆け、一瞬でアズハルの間合いの内側に入る。
まず足の腱を斬り、動きを止めてから、とどめを刺すのが、ゲイエルオー必勝の型でもあったのだ。
ゲイエルオーの短剣が交差しながら、アズハルの足を狙うも、そのときすでにアズハルの身体は宙にあった。
すかさずゲイエルオーは体勢を立て直し、迎撃しようと身構えたときだった。そこにアズハルの姿はない。不意に背後に気配を感じたゲイエルオーが後ろを見ずに短剣を振り回した。
その一撃も宙を斬る。背後にもアズハルはいなかったのだ。完全にゲイエルオーはアズハルの姿を見失っていた。
しかし、アズハルはゲイエルオーのすぐ傍にいたのだ。ゲイエルオーが背後を斬りつけたとき、アズハルは体勢を低くして、その一撃を躱していたというわけである。
ゲイエルオーがその気配に気づいたとき、決着はついた。アズハルの剣が弧を描いて、ゲイエルオーの左脇腹をすり抜けていったのだ。
その斬れ味の鋭さに始めこそ出血は少なかったが、やがて噴水のように噴き出した。さらに大きく開いた傷口から腹圧に耐えかねて、内臓が飛び出す。
ゲイエルオーは短剣を取り落とた。乾いた音がして短剣が床を滑っていく。彼の身体も後を追うように仰向けに倒れ込む。
完全に倒れ込む前に、かつての仲間の血に塗れた剣を投げ捨てたアズハルがゲイエルオーの身体を支えた。ゲイエルオーの瞳に穏やかな光が戻ってきていたのを見たアズハルは彼が死に瀕することによって、ようやく自由を得たことを知った。
「ゲイエルオー……」
「なんて顔をしている? おれに勝ったんだ。もっと誇らしい顔をしろ」
死にかけているとは思えぬほどゲイエルオーの声は明瞭で力強かった。
「迷惑をかけてすまなかった。ようやくおれも逝ける」
「そんなことをいうな! 今傷を塞いでやる。フェリハ! 薬を持ってきてくれ!」
フェリハがさまざまな薬品を持って近づいてきたが、ゲイエルオーは治療を拒否し
た。
「もう助からん。無駄なことはするな」
「無駄かどうかなんて、やってみなきゃ、わからないでしょ?」
「自分の身体だ、よくわかる。だから、それはアズハルが傷ついたときのために取っておいてくれ」
「ゲイエルオー……」
たしかにフェリハも目から見ても、ゲイエルオーが助かる可能性は皆無に等しく、たとえ治療できたとしても、設備のないここでは難しかった。
アズハルもゲイエルオーの死が避けられないことを覚ったのだろう、その両目から大粒の涙が流れ落ち、抱きかかえたゲイエルオーの顔にかかった。
「なぜ泣く?」
「友達が死にそうになっているんだ。泣くのが当たり前だろ」
「おれには誰かに泣いて、惜しんでもらう価値などない。それこそ多くの命をこの手で奪ったのだ。いつ自分の番が来てもおかしくはないだろう」
「だとしても! おれはおまえが死ねば悲しいよ。しかも、おまえの命を奪ったのはおれなんだ」
「気にするな。いずれこのように死ぬのはお互い覚悟の上だったはずなのだからな」
ゲイエルオーの口調が急に弱まり、呼吸も浅く、短くなってきていた。そのときが来たのだと、誰もが理解した。
「だが、いいものだな。おまえの涙は温かい。それにこうやって仲間に看取られて逝けるのだ。教団の他の連中に比べれば、はるかに幸せだろうよ」
「ゲイエルオー……」
「頼みがある。おれの短剣、もらってくれないか。おれたちの間では持っていた武器に魂が宿るという。暗殺者の汚れた魂だが、おまえが持っていればいつか浄化されるだろう」
「わかった」
「それとおれの死体はここに置いていけ。このまま朽ちていく。それがおれの最後の望みだ」
もはやアズハルは言葉に詰まって、声が出てこない。フェリハもまた口を押さえ、必死に嗚咽を耐えていた。
「ああ……強くなったな、アズハル……だけど、次は……おれが……勝……」
小さな吐息とともにゲイエルオーの瞳は焦点を失った。身体からは温もりが急速に奪われていく。
彼の魂が永遠に届かない場所へと旅立ったのだと理解したとき、アズハルは号泣しながら、ゲイエルオーの亡骸を強く抱きしめた。その上からフェリハが優しく包み込むようにアズハルを慰める。
仲間に見送られた死者の顔はどこまでも静謐で、温和であった。
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