かつての仲間は変わり果てて

 王叔が指示するまでもなく、道は一本しかなく、どうしてもそのルートを通らざるを得ない。複数の足跡があることから、日常的に使われているのだろう。


 階段を上り、いわれたとおりに左折すると、やがて広い空間に出た。調度も何もなく素っ気ない部屋で、大量の空気だけがそこにはあった。


「何にもねえな」


 バルが拍子抜けしたように呟いたが、次の瞬間、アズハルが珍しく緊張した声を上げた。


「待て! あそこに何かいるぞ!」


 一行が入ってきた入口の対面に位置する出口の傍に誰かがあぐらを掻いて座っていたのである。服装が部屋の色に溶け込むような黒色だったので、気づきづらかったのだ。


 闇夜での戦闘を得意としているバルは自分のお株を奪われたようでいささか悔しい思いを隠せずにいた。


 距離が遠く、またかがみ込んでいるせいか、しかと正体を確かめることができずにいると、その影が突然消え失せた。どこへと思うまもなく、その影は再び現れた。


 だが、現れた場所は元の位置ではなく、距離にしてどの程度かはわからないにせよ、確実にこちらに近づいているということだけは理解できた。


 それが数回繰り返された。いくら背景に溶け込む服装をしていても、近づくにつれ、その全容が明らかになっていく。


「もしかして……あれ、人間か?」


 バル以上に徹底した人間嫌いである王叔がよもや招いたとは考えにくい。そこに醜悪で邪悪な意図が隠されているに違いないのだ。


「ねえ、アズハル……まさか、あれって……」


 何か見覚えがあるものを見たフェリハがそっとアズハルにすり寄った。


 アズハルはそれに答えず、ただ前方の影を見つめている。その額から汗が流れ、小鼻を通って、顎から滴り落ちた。汗の滴が床に落ちるか落ちないかのとき、影との距離はかなり縮まっていた。


 さらに視認できるまでの距離まで近づいたとき、誰の目にも目の前の影が人間だと明らかになる。影はあぐらを掻き、頭を地面につけたまま、高速移動してきたのである。 


 やがて数歩進めば、お互いの攻撃範囲内に入ろうとしたとき、影はやにわに立ち上がる。まるで地面に落ちた影がそのまま立体化したかのような気色悪さだった。


 影の顔があらわになったとき、フェリハが悲鳴を上げた。顔半分が隠れる仮面を被り、その仮面には複雑で見るものを不快にする模様が描かれている。


「やっぱりゲイエルオーか! どうしてこんなところにいるんだ?」


 ゲイエルオーと呼ばれた影はアズハルの問いかけに口を開かず、正気を失った目を仮面の奧から光らせているだけだ。


「ゲイエルオーって、たしかおまえの仲間だったやつだよな」


「ああ。何もいわずに姿を消したから心配していたんだが、まさかこんなところにいるなんて……ゲイエルオー、おれだ! アズハルだ!」


 ゲイエルオーは一瞬だけアズハルの名前に反応したかのように身体を震わせたが、それ以外は特に反応もなく、ただ無表情に立っているだけだ。


「無駄じゃ。きゃつは操られておる。何を語りかけても、もはやあやつには通じまい」


 ミラが険しい顔でゲイエルオーを睨む。


 ゲイエルオーの過去を知るアズハルは黙っていられないとばかりに声を張り上げた。


「そんな馬鹿な! ゲイエルオーは暗殺教団で精神攻撃に耐える訓練を受けている。そう簡単に誰かの意のままに操られるようなやつじゃない!」


「だからこそじゃ。あがビロンやドルウにかけた術よりもさらに強力で凶悪な術をかけ続けたのじゃ。どんなに耐えられようと、限界を超えれば、同じことよ」


「なら、この術も解けるかもしれないのか?」


「さて……おそらくはかけた本人しか解けぬであろうな。この手の術は個人によっていろいろ異なる手法があるからの」


 そういいつつも、解除は不可能であろうとミラは思っていた。もはやゲイエルオーにかつてのような理性は取り戻せまい。心が壊れるまで王叔は術をかけ続けたに違いないのだから。王叔が人間に遠慮や配慮を持つ義務はどこにもなかったし、あったとしても彼はそれを無視したであろう。


「よし。なら、ミラ、きみたちは先に行ってくれ」


「何じゃと?」


「ゲイエルオーを操っているのは王叔というやつなのだろう? ならば、おれたちがここで時間を稼ぐ。その間に何とかして欲しい」


「確証はないぞ。王叔とて、術をかけっぱなしで解除する術を知らぬかもしれぬ」


「わかってる。だけどゲイエルオーを救える可能性があるのなら、おれはそれに賭けたいんだ!」


「そうか……ならば、一つだけいっておこう。常にあやつに呼びかけよ。そたちに堅い絆があるのならば、きっとあやつも答えるであろう」


 アズハルが了承し、ミラはゲイエルオーの脇を通り過ぎようとしたそのとき、まったく動く気配がなかったゲイエルオーが動いた。二振りの短剣を引き抜くやいなや、逃がすまいと急にミラに飛び掛かったのである。


 ゲイエルオーから目を離さず、常時気を張っていたバルですら不意を衝かれた。ミラとゲイエルオーの間に割って入ろうとしたが、あまりにもゲイエルオーの動きは速すぎた。


 バルが駆け寄ったときにはすでにミラの前に移動したゲイエルオーの短剣がミラの急所めがけて振り下ろされようとしていた。


 間に合わない、バルが祈るような気持ちで手を伸ばしたとき、その脇を疾風のようにアズハルが過ぎ去った。間一髪のところでゲイエルオーの短剣はアズハルの剣によって阻まれる。


「行ってくれ! きみたちの背中はおれが守る!」


「悪い! 一つ借りておくぜ!」


 バルはそういうやいなや、驚き固まっているミラを抱きかかえ、疾走した。初速は遅いが、加速がつくと体重が重い分、瞬く間にゲイエルオーとの距離を開いていく。


 さらにフェリハによって煙幕が張られ、ゲイエルオーはミラたちを追うことができなくなった。

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