王叔グリム・ルースレス
男の肌は燃えるように赤く、髪は炎のように波打っている。瞳は金色の輝きを発し、他者を服従させる圧が備わっていた。赫皮族と呼ばれる種族の特徴を持つこの男の正体をミラとバルはよく知っていた。
男の視線は四人を舐めるように通り過ぎ、その口元には酷薄そうな笑みが浮かんだ。
「今日は千客万来だな。まずはようこそといっておこう。この城の主グリム・ルースレスという」
総毛立つようなグリムの声に真っ先に反応したのがバルだった。剣を抜き、いつでも斬りかかれるよう身構える。
だが、その前にミラが出て、バルを制するように手を伸ばした。
「よせ。あれは幻影じゃ」
「ほんとかよ。こんなに存在感があるってのにか?」
「あの真似じゃ。そもよく覚えておろう」
たしかに十年前もミラはアズハルと対峙したとき、本物と変わらぬ分身を用意したのだった。だとしても、実際目の前にいるのは、実物にしか見えぬほどの現実感と圧迫感があった。バルはミラに抑えられたものの、警戒は解かない。
意表を衝かれ、誰もが二の足を踏んでいるところをミラが不敵な笑みを浮かべつつ、グリムの前へと歩み寄った。
「久しいの、王叔」
なれなれしく話しかける少女のことをグリムは最初わからなかったようであるが、視線を少し上げたところに紛うことなき炎輪が輝いているのを見て、ようやく少女が誰なのかを判別したようだ。
「ほう、きさま、ミラか。『やはり』生きていたのだな。この恥さらしめ」
「ふん。相変わらず物事を単純にしか見られぬ男よ。底の浅さは十年前から変わらぬようじゃの」
「その無様ななりで何をほざくか、小娘。しかも、今のきさまから力を感じられぬ。ずいぶんと腐りきったものよ」
余裕を表すためか、グリムは身体を反らせて大笑する。少しも愉快そうに見えないのは、彼の演技が下手だからであろう。
ひとしきり笑った後、ミラに用はないとばかりに視線をバルに移す。グリムに見据えられたバルは冷汗を流しながらも、どんな状況にあっても反応できるよう腰をかすかに落とした。
「きさま、たしかバルトロマイオスといったな? 戦場では勇名を馳せたと聞いているぞ。たしか二つ名が『
グリムが引き抜きにかかるであろうことは予想の範疇であったが、どう答えるかはまだ考えていなかった。もはや考えている時間もなく、言葉を選びつつ、バルは口を開いた。
「申し訳ねえんですが、せっかく得た自由を手放す気にはなれませんのでね、それは遠慮させてもらいます」
自由とはほど遠い場所にいるバルではあるが、少なくとも王叔の下にいるよりも、ミラのわがままにつきあっているほうが何百倍もましであろう。
それに王叔の傍にいるだけで窮屈で息が詰まってしまうに違いない。五十歩百歩だが、その差分だけミラのほうがまだ意思を尊重してくれる。
本当にそうだろうかなどという疑問がどこからともなく心の内から湧き起こってきたが、バルはそれを強引に封殺した。少なくともミラのほうがその可憐な容姿のために見ていて心が和むことがある。
一方、拒絶されたグリムは一瞬殺意のこもった目でバルを睨めつけたが、すぐに表情を緩めた。
「まあ、よかろう。それだけきさまの忠義が厚いということだからな。時間をかけて、下らせてやろう」
いいように取ってくれたとバルはつい胸をなで下ろしたが、よくよく考えてみると、時間をかけ、責め苦を味わわせて転向させてやろうとの意味に取れなくもない。いや、その意味でしかない。この戦い、勝たねば、バルには最悪の未来が用意されているというわけだった。
怖気とも、武者震いとも取れる震えが走るバルの姿を尻目にグリムの目はアズハルとフェリハに向いていた。彼らの姿を認めると、グリムの口の端が裂けたかのように鋭角につり上がる。悪夢的な気色悪さにフェリハはアズハルの背中に隠れてしまった。
「よく来た、我らが怨敵よ。いずれ衆人環視の中、わたし自ら殺してやろうと思ったが、いささか考えが変わった。つい最近、面白い玩具を手に入れてな、少し趣向を凝らしてある。きさまらはそれと遊んでもらおう。何、すぐに気に入るさ」
バルと同様思わぬ敵の出現に剣を構えていたアズハルだったが、急にきょとんとした顔をして、首を傾げた。グリムが何をいっているのか、わからないといった風だった。
敵を前にしては妙に落ち着いた声でアズハルは尋ねた。
「あの、すまないが、きみは誰なんだ? 職業柄というか、多くの人に恨まれていてね、直接戦った相手は覚えているんだが、どうにもきみの顔には覚えがない。一体どこできみの恨みを買ったんだ?」
このような状況でもアズハルの雰囲気を読めない性格が炸裂した。たしかに両者の間に直接の面識はないが、ここで尋ねるべき内容ではないだろう。しかも相手はすでに名乗っているのだ。わからないほうがおかしいというものである。
だが、わざわざ敵前に現れるグリムのような自己顕示欲の強い男にしてみれば、知らないといわれることが最も効果的に精神に被害を与えることができるものらしい。
バルは唖然として、ついアズハルを凝視してしまった。ここであの科白は絶対に出ない。自分だったら、相手のことを知らなくても、話を合わせようとするが、アズハルはそのそぶりすらなかった。あらゆる意味でアズハルは勇者なのだと認めざるを得ないというものだ。
結果的にアズハルにこけにされたグリムの感情の動きは実にわかりやすかった。高熱を発する体皮の表面から体液が蒸発して煙を発し、顔はどす黒く変化していく。別名憤怒の種族といわれている赫皮族だけに、感情的になるのは種族の瑕瑾でもあった。
しかし、すんでのところでグリムは感情に流されることを拒んだようだ。見る間にグリムの身体は平常を取り戻していった。それでも内面はまだ収まっていなかったのだろう、怒りの残滓によって続く言葉は幾分ひび割れていた。
「軽口を叩くのはそこまでにしておけ。いずれ格の違いを思い知らせてやろう。だが、今はせっかく用意した舞台で踊ってもらおうではないか」
そう言い放つや、グリムはこの部屋唯一の出入口である隙間を指さした。
「この部屋を抜けたのなら、すぐ傍にある階段を上がれ。上がりきったら、そこに広間がある。まずはそこまで辿り着くことだ。何、邪魔はしない。ゆっくりと来るがいい」
そういい残すとグリムの幻影は煙のように消え失せ、同時に重苦しい雰囲気からも解放された。
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