白鷺王のお出まし

 彼らもようやくバルと同行していた少女の存在を思い出したようだが、何の気配もさせずに外術を発動させることのできる実力者とは思えなかったようだ。これを油断と呼ぶのは酷であろう。間違っていたのは現実のほうなのだから。


 その間違った現実はバルの背後から小さい身体を大きく見せようとしながら、ゆっくりと歩み寄ってきた。バルは振り返りもせず、その足音に苦情をぶつけた。


「遅えよ。会話が続かなくて、焦ったじゃねえか」


「当然じゃろ。限界まで待っておったのじゃからな。いや、だんだんと追い詰められるバルはなかなか面白かったぞ」


「そいつぁ、よかった。喜んでもらって何よりだよ。で、どうすんだ、これから?」


「ふむ」


 ミラはバルの脇をすり抜け、倒れたままのビロンの前にしゃがみ込む。


 するとビロンはかろうじて顔を上げ、目の前の少女を観察したが、どうやら彼の脳裏にある人名録には登録されていなかったようだ。素直にミラに素性を尋ねてきた。


「誰なんだ、きさまは?」


「口が悪いのう。バル、あが何者か、彼らに教えてやれ」


 身分を隠して旅している以上、正体を明かすことを反対しようとしたバルであったが、ミラの顔に張りついた思惑がありげな表情を見て、つい思い止まった。


 そして、ビロンとドルウがこれから辿るであろう運命を思いやって、同情してしまう。ミラのことだ、命を取る気はなさそうだが、玩具のようにこの二人を扱うに違いない。


 バルはなるべく単調とした口調になるよう心がけ、ミラの正体を明かした。


「あー、ここにおわすはエレミア王国第十六代国王ミラ=ダクリュオン陛下であらせられる。頭が高い、控えおろー」


 ビロンとドルウがこれ以上どうやって頭を下げればよいのか、いったバル自身が疑問に思ったが、あえてその疑問は口に出さないことにした。


 衝撃の事実を打ち明けられた彼らはまず目を見開き、ミラを凝視していたが、やがて噴き出すと、痙攣するように失笑した。あまりにも笑っているので、ミラの顔が怒りでたちまち赤くなっていく。


「バル! こやつら、あを見て、笑っておるぞ!」


「いや、普通そうなるだろ。おれもたまに忘れるんだけどさ、今のおまえ、十年前とは別人なんだって」


「だからって、こんなに笑うことがあるか! 繊細なあの心はずたぼろじゃぞ!」


「まあ、いいからここはおれに任せておけよ」


 放っておくとビロンとドルウに暴力を振るいかねない。今のミラの膂力など無害に等しいが、最低限の尊厳だけは維持してもらいたい。


 バルはミラの腋に手を差し入れると、子どもを抱きかかえるかのように宙に浮かせ、自分の横に置き、ビロンとドルウから遠ざける。子ども扱いされ、怒り心頭のミラは持っていた杖でバルを何度も殴ったが、被害はほぼ皆無であった。


「さて、おまえら、笑ってはいるが、こいつの実力は見ただろ? もし、こいつが見た目通りのやつだったら、今ごろ、その戒めを破ることができるんじゃないのか?」


 まったくもってその通りなので、ビロンもドルウも反論できず、笑いもいつしか収まっていた。彼らの顔は青みを帯び、笑いとは別の震えが全身に伝わる。


「まさか……本当に白鷺王陛下だと? 生きておられたというのか?」


「さっきからそういっておろう!」


 バルの横からミラが顔を出して抗議したが、ビロンは聞いていなかった。バルの言葉を脳裏で反芻して、それが真実であるとしるや、ビロンの顔は険しくなっていき、ミラをきつい眼光で睨みつける。


「ならば……ならばなぜ国を建て直してくださらなかったのですか! おれたちがこの十年、どんな目に遭ったか、陛下もわかっていよう!」


 エレミアの民は安住の地を失い、人間たちが用意した隔離区に住まうもの、住み慣れた土地を離れて、流浪の身となるもの、人間に戦いを挑んで散っていくもの、人間を避けてより過酷な土地に移住するもの、選択はさまざまだったが、彼らが受けてきた辛苦は並大抵のものではなかったはずだ。


「なのに、なぜ我らにこのような仕打ちをなさる? 我らは大義の下、同胞を救おうと戦っておるのですぞ! あなたが捨てたものを我らは拾い集めているのです!」


「わかっておる。じゃが、言葉に出したところで、あのしようとしていることをそたちは賛同しまい。ゆえに存分にあを恨むがよい。憎むがよい。あはそのすべてを受け止めようぞ」


 ミラの身体が何倍にもなったかのような威圧感を味わい、ビロンの口が止まった。生まれながらの王が持つ器の大きさに誰もが頭を垂れずにはいられなくなる。ミラにもそれが備わっていた。


「暴れるなともあはいわぬ。じゃが、王叔のしようとしていることは止める。たとえ、力尽くでもな」


「なぜですか? 我らのしようとしていることが間違っていると仰せか?」


「そうじゃ。もはや遅すぎるのよ。どんなに足掻こうと、底に大穴の空いた船と同じよ。いくら汲み出そうとも、水をすべて出すことはもう適わぬのじゃ」


 ミラが何をいっているのか、理解できぬという風にビロンは目を瞬かせたが、ミラは彼らに説明する気は毛頭なかった。


「さて、このあたりに『黒子』へ行くための転送装置があったはずじゃ。そこまで、あたちを案内せい」


 戒めはすでに解かれていたが、彼らは動こうとはしなかった。自分たちが間違っていようなど、どうして思えようか。かつての主君とはいえ、ミラに従えないのは当然のことだった。


 ミラは溜息をついて、首を振る。彼らの心理は当然至極のものだったので、ミラは尊重することにした。代わりにしたことは、彼らの尊厳を奪うものだったが、この際、手段を選んではいられなかったのだ。


「この手は使いたくなかったのじゃがな、許せよ。『エムケーデーイクスイクスイーイーイー』」


 語尾と同時にビロンとドルウの瞳は力を失い、どこか遠くを見ているかのように焦点が合わなくなった。


「二人とも立つがよい」


 ミラに命じられるまま、ふらつきながらも、ビロンとドルウは立ち上がる。立ち上がった後も危うげに揺れているが、不安定ながらもどうにか姿勢は崩さない。


 自分の意思で動いていないビロンとドルウを見て、バルは嫌悪感を隠さなかった。声に苦いものが混じる。


「えげつないことをしやがる」


「だから、許せといったではないか。それにあはこやつらの忠心を最大限に慮ったのじゃぞ。こうして操っておけば、彼らは不義を働かなくてもすむではないか。弁明も立つしの。いくら王叔の心が狭いとしても、操られたのならば仕方がないと笑って許すであろう?」


「そうかな? あの人のことだから、操られるほうが悪いと言って怒るんじゃないかな?」


「ふむ。なら、転送装置まで案内させたら、記憶をなくして、そこらに捨て置こう」


「それもひどい話だが、一番無難だな」


 これ以上ミラを責めても意味はない。バルはここで退くことにした。


「ならば、ゆくとしよう」


「おいおい、勇者を待たなくていいのか。待ち合わせしてただろ?」


「かまわぬ。ここから先はあたちの問題よ。それにこの一件が終われば、二度と偽勇者が現れることもあるまい。一緒に行く必要はなかろう」


「意外だな。勇者のこと、気に入ってるのかと思ったんだが?」


「何じゃ、妬いておるのか? 安心せい。あの身も心もそのものじゃぞ」


「……わあ、嬉しい」


 バルの顔には虚無感が漂った。世の中は実に無常であり、非情だ。そう思ったとたん、生きることも馬鹿らしくなる。


 一方で身体を張った冗談を躱されたミラの怒りは理性の制止を瞬間で粉砕した。


「何じゃ、その間は? これから死地に向かうゆえ、せっかくあがその緊張をほぐしてやろうとしたのに!」


「お心遣いまことにかたじけない。それはともかくとして、さっさと行こうぜ。ここにいたら、いつ勇者たちが来るかわからないし」


「ぐぬぬ……」


 ミラは唸ったが、それ以上の言葉を持たなかったようで、怒りの矛先を罪のないドルウのしっぽに叩きつける。


「ほれ、さっさと案内せい!」


 ミラの命令にドルウが緩慢に前に進もうとしたときだった、突然後ろから声をかけられた。


「ミラ! バル!」

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