夜の森で
いかなる変事に応じられるように、バルの眠りはごく浅い。眠りの中にありながら、至近に何者かの気配を感じ、ゆっくりと目を開ける。
すでに日は落ち、母喰鳥が低く鳴いていたが、突然止んだかと思うと、何かから逃げるように森の奥へと飛んでいった。
ミラはバルの腕の中でまだ寝ていたが、軽く揺すると、むずがるように目を擦りながら起き出した。
すぐにミラも気づいたのだろう、口を閉ざし、状況を確認しようと首を左右に回す。とりあえず見える位置に敵がいないことを確認すると、手話でバルに尋ねる。
「やつらか?」
バルは黙って頷いた。この気配は人間のものではない。しかも、訓練を受けているようで、立てる足音が耳を澄まさないと聞こえないほどだ。
幸いなことに敵はこちらには気づいていないようだ。バルは寝る前に隠れるに適した灌木を見つけ、その中に潜んでいたのである。
バルの大きな身体が隠れるほどの灌木はなかなか見つからなかったが、苦労しただけあって、かなり近づかなければ見つけることは難しいだろう。その上、バルの黒い肌と暗色の服装も周囲に溶け込み、さらに見つけづらいものになっている。
逆にミラとバルの位置からは周辺の状況がよく見渡せる。ちょうどそのとき、二つの人影が視界に入ってきた。木々から差し込む月光が二つの影の輪郭をあらわにする。
一つは鼠眼族で、夜目が利き、動きも素早く、密偵にはもってこいの種族だ。さらに気配を絶つことがうまく、目標に気づかれずに接近できることから、暗殺者としても向いていた。
もう一つは爬鱗族のもので、好戦的な彼らが偵察という任務が務まるとは思えなかったので、おそらくは鼠眼族の護衛として派遣されたのであろう。
この二つの影は森の中程で立ち止まる、小声で話し始めた。おそらく報告するための口上を考えるためだろう。彼らの主人である王叔は狭量なところがあり、失敗した部下を感情にまかせて処断することがままある。今回は失敗とはいえないが、王叔の矯激な性格を考えれば、念を押しておく必要があったのだろう。
彼らの声が夜風に流れ、ミラやバルの元にも運ばれてきた。まず爬鱗族の声が最初に聞こえてきた。
「……勇者とともにいたのは本当にバルトロマイオスどのだったのか?」
久しぶりに名前を省略せずに呼ばれたバルはつい身体が動いてしまった。灌木が擦れる音が立ったが、風下だったために鼠眼族と爬鱗族の二人には聞こえなかったようだ。
爬鱗族の問いを受けて、鼠眼族が答える。
「おれは実際会ったことはないが、おまえから聞いた特徴には合致していた。特に剣の特徴がな」
「なら、ほぼ確実にそうなのだろう。かつては宮廷騎士だったお方だ。白鷺王陛下から下賜された剣を決して手放そうとはしないだろうからな。だが、なぜ白鷺王陛下を弑した相手と一緒にいるのだろうか?」
「わからぬ。何か深い考えがあってのことだと思うが……」
バルの前でミラの身体が震えているのは失笑を堪えているからに違いない。その様子がまるでバルに深い考えなど存在しないと述べているかのようで、バルは腹立ちを抑えながらも、小刻みに揺れるミラの背中を睨む。
「もしかしたら、勇者の傍にあって、白鷺王陛下の仇を討とうとしているのではないか?」
「たしかに考えられぬことではないな。だが、それでは殿下の計画に支障が生じることにならないか? 殿下の目的は勇者の抹殺ではなく、人間たちの間に不信の種をばらまくことなのだからな」
「ならば、おれたちでバルトロマイオスどのと接触するか?」
「いや、殿下に指示を仰いだほうがよかろう。今の事態はおれたちの手に余る」
話がまとまりかけたとき、笑いを堪えていたミラが急に振り返り、バルに向かってしきりに手を動かした。その手話の内容は「やつらの前に出ろ」というものだった。
バルは驚いて再確認したが、ミラの返答は同じだった。
ミラが何の考えもなしに無謀なことを誰かに押しつけるようなことはしない。そう信じたバルは祈るような気持ちで、わざと大きな音を立てて、監視役の前に姿を現した。
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