第三章 かつての敵は今も敵
楽しくも険悪なお食事会
館の内部はあらかた荒れていたが、食堂がとりわけひどかった。呆れるほど長いテーブルには酒瓶が乱立し、腐った食物が異臭を放っている。
こんな中で酒盛りをしようとするフェリハは剛胆なのか、それとも単に鈍感なのか、その判断を下すのはたいそう難しかった。
そのフェリハは気にした様子もなく、ゴミを脇にどかすと、テーブルクロスが汚れているにもかかわらず、戦利品のワインを始め、チーズや果物を直に山積みする。
すでに日も落ちていたため、くたびれた燭台に刺さっていたちびた蝋燭に火を灯す。かすかな明かりではあったが、暖かな光が周囲を照らす。
炎が揺らぐたびに視界に映る景色が変化し、そこに居合わせた人物の陰影が一瞬毎に変化するさまは幻想的というよりは陰鬱ですらある。
「さあて、ここでであったのも何かの縁! 出会いを祝して、乾杯といこうじゃない!」
フェリハが盛り上げようと明るく振る舞うが、乗ってきたのはミラだけで、男たちはどこか白けた雰囲気が漂う。アズハルなどは疲れた顔をして、フェリハを見つめている。
「ま、ま、軽く一献」
フェリハが不揃いのグラスにそれぞれワインを注いでいく。全員分つぎ終わったところで、グラスを持つよう促す。
「それじゃ、乾杯!」
四つのグラスが重なり、澄んだ音を立てる。ミラとバルは口をつけただけだが、フェリハは豪快に一気に飲み干す。アズハルは一口飲むと、夜目にも鮮やかに顔が赤くなった。
ミラとバルのグラスの中のワインが一向に減ってないのを目敏く見つけたフェリハは口を尖らせて、二人に詰め寄る。
「何よう、二人とも飲んでないじゃない?」
「もうできあがってんのかよ? しかも、絡み上戸とか勘弁してくれよ」
「あんたが人間嫌いだってのは、充分わかったけどさあ、だからって祝杯も飲めないってどういうことよ?」
「だから、礼儀として、口はつけただろうが。それにな、おれは戒律で飲食できないんだよ、今は」
「そんな訳のわからん戒律なんて、無視すればいいじゃん」
「一応理由があるんだよ。おれたちは血の気の多い種族でな、こうやって絶食しないと、血を見ずにはいられなくなるんだよ。それでもいいってんなら、ありがたく頂戴するけどな」
まるきり嘘にも聞こえないバルの告白に酔いかけていたフェリハの顔から赤みがすっと引いていく。巨鬼族の戦闘力は一万の兵力に相当するという。バルの言葉が嘘かどうかを試すのは、あまりにもリスクが高い。
それならばと今度はミラに矛先を向けてみたが、単純明快な理由で打ちのめされる。
「あの、わたし、まだ子どもですから……」
「あ……そうだね、ごめん。じゃあ、果物でも摘んでてよ」
フェリハの言葉にミラは萎びた葡萄を口に含んだが、それきり手をつけようとはしなかった。贅沢をいえる身分ではないが、こんな場所で食欲が湧くはずもない。
すっかり興を醒まされたフェリハは面白くなさそうに、一人酒杯を傾けていたが、やがて何かを思い出したかのように果物やチーズをかき分け、テーブルの上に小さな空間を造ると、その上に精巧な地図の束を置いた。
「そうそう、二人に聞きたいことがあってさ、答えてくれるとありがたいんだけどな」
バルは地図を見て、内心で驚きを隠せなかった。軍事上の理由から地図は一般に手に入る代物ではない。にもかかわらず、眼前に置かれているのは周辺数カ国を含む地図であった。さらに驚かされるのはこれが一枚ではないことだ。
地図には小さな×印がいくつも書かれている。首を捻って考えてみたが、都市や街など上に書かれていることもあれば、何もない山の中に記されていることもある。
「これ、何だ?」
「そのことなんだけどさ、二人はどこから来たの?」
フェリハの口調から質問に裏がありそうには思えなかったが、ミラのまぶたが一瞬動く。エレミアから来たと言っても問題はないにせよ、フェリハはミラの素性を疑っている節がある。下手な答えはフェリハに余計な情報を与えることになるだろう。
ミラはバルの太ももにさりげなく手を置き、何も答えるなという意志を伝える。その間にミラは質問に答えるべく、頭を働かせる。すぐに答えは出た。
ミラは困ったような笑顔を浮かべながら、口を開いた。
「あの……どこからと言われましても、質問があまりにも漠然としすぎているのですが?」
「ああ、そうだね。ごめんごめん。じゃあさ、この一月あまりのことでいいんだけど、どんな街を通ってきたかくらいは教えてくれない?」
「ああ、それならと言いたいところなのですが、実は道に迷いまして、あまり覚えていないのです。最後に立ち寄ったのは、ここから南の山を一つ越えたところにある村ですが」
「ふうん。となると、ここあたりかな?」
「おそらくはそうだと思いますが、すみません、自信はありません」
「うん、いいよ。その前はなんて街にいた?」
「よく覚えてないのですけど、プロバトンという名前だったかと思います」
「なるほどなるほど、ここね。で、本当に聞きたいのは、ここからなんだけど、この街で偽勇者の噂とか聞いてない?」
「いえ。その話を聞いたのは最後に立ち寄った村です」
「そっか。だったら、ここから先はないっと」
一人納得したようにフェリハは地図に新たな×印をつけ加えた。話の流れからミラはその×印が何を意味するのかを理解したが、バルは一人要領を得ないように首を傾げる。
「でよ、この×印は一体何なんだ?」
「ああ、これ? 偽勇者が現れた場所だよ」
「これ、全部か?」
×印はざっと見ただけで二十はあった。しかも近隣を避けて、一定の距離を保ちながら、偽勇者は出現していることになる。作為の痕跡がこの地図からは読み取れた。
「これだけじゃないんだって。ほら」
フェリハが地図をめくると、別の地域でも偽勇者は現れていた。フェリハが語るには五王国から遠く離れた国にも出てきたそうだ。いや、地図を見る限り、五王国から離れた土地のほうが多い。
「わたしたちが把握しているのだけでも七十近くあるんだよ。まったく有名になるのも困ったものね」
「おれは有名になりたくて戦ったわけじゃないんだ!」
今まで黙っていたアズハルが熱湯を浴びたかのような赤い顔をして、突然叫んだ。見ると彼のグラスが空になっていた。
アズハルが二杯目を飲んだところを誰も見ていないことから、たったの一杯でできあがったということだろう。すでにアズハルの瞳は焦点を失い、宙をさまよっている。
「白鷺王を斃せば、平和になると思ってたんだ。それを何だ、白鷺王がいなくなったとたんに人間同士で戦争を始めやがって! おれは何のために戦ったっていうんだ! おれはこんな世界のために戦ったんじゃ……」
アズハルは最後まで自分自身の主張を述べることができずに顔面からテーブルに突っ伏した。テーブルにあったものが浮くほどの衝撃だったが、そのまま寝入ってしまったようで、規則的な寝息がその口から漏れる。
「あー、またやっちゃったかぁ」
フェリハが額を右手の掌で抑え、酔いつぶれたアズハルを見て、長大息を吐いた。「また」と言うからには以前にもやらかしたに違いない。フェリハはミラとバルに視線を戻すと、詫びるように小さく笑った。
「ごめんね。こいつさ、お酒にめっぽう弱くってさ、すっかり忘れてたよ」
「お気になさらないでください。むしろアズハルさまの体調が心配です。相当無理をなさってきたのではありませんか?」
「うん。まあ、そうだけどさ、苦労の大半は自分自身で勝手に背負い込んだものだしね。白鷺王を打倒しようなんてアズハルが考えなければ、わたしたち、まだ故郷の村で平凡な生活を送ってたんだろうなあ」
遠くを見つめるかのようなフェリハの瞳には選択しなかった未来が描かれているのかもしれなかった。
「あの、フェリハさま、アズハルさまをこのままにしておいてもいいのですか?」
「うん、まあ、大丈夫だとは思うけど……じゃあ、巨鬼族のお兄さんさ、ちょっとアズハルを眠れる場所まで連れて行ってくれないかな?」
「はあ? 何でおれがそんなことしなきゃならないんだよ?」
いきなり話を振られたバルは抗議の声を上げたが、アズハルを運べるのは今のところバルしかおらず、必然的にそうならざるを得ない。加えて、悲しいかな、多数決を行っても彼の意見は黙殺されるのが運命である。
バルは舌打ちして、ミラを横目で見た。ミラは目を閉じていたが、小さく頷いたので、バルは溜息をついてアズハルを背負うと、食堂から出て行き、寝室を探すために館の中を歩き回る羽目になる。
一方でバルとアズハルが出ていったのを確認したフェリハは今までの剽げた表情を消し、真剣なまなざしをミラに向けてきた。
「さて、無粋な男どもがいなくなったところで女同士の親睦でも深めようか?」
「それはすてきですね。ぜひともお願いしたいところですわ」
口調と言葉の意味とは裏腹に、なぜか両者の間に帯電した空気が流れた。その場に居合わせなくてよかった。そのときの様子をミラから聞いたバルはつくづくそう思うのだった。
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