記憶が美化されるのか? それとも年月が劣化を促すのか?
ミラとバルの予想は的中したが、奇跡的な再会に感動するどころか、白けきった雰囲気が場を重くする。
バルなど聞こえよがしに悪態をついた。
「名乗る名はないっていいながら、名乗っちゃうのって天然なの? うわ、キモ。いい年こいて『アタシ、天然なの』とかいっちゃう人なの? マジやめて。痛々しくて見てらんないから」
元々人間嫌いの上に偽勇者に間違われ、冤罪を押しつけられたのだから、バルの不快度は鋭い弧を描いて上昇中であった。しかも、天井知らずに上昇していき、バルの口はアズハルの背中に悪口雑言を吐くだけの機械と化した。
「で、どうするつもりなんだよ? これから戦うって感じじゃなくなったじゃねーか。どうしてくれんだよ? どう責任取ってくれるんですかっつってんだよ。答えろよ、勇者さまよ」
「う、うるさいな! 外野は黙っていてもらおうか!」
さすがに耐えかねたのか、敵が眼前にいるにもかかわらず、わざわざバルのほうへと振り返り、アズハルは顔を赤くしながら、バルに抗議した。
その顔は十年前に比べて、さすがに大人びていたものの、やや疲れが見える。彼がこの十年、どれだけの辛酸を舐めてきたのかを如実に物語っていた。
しかし、バルは一切忖度しなかった。何だって同情してやらねばならぬのか。ミラではないが、十年苦労したのはこちらも同じだ。バルの屈折した思いが、そんな状況ではないというのに、アズハルに追撃をかけてしまう。
「外野じゃねーよ。さっきおまえに間違えられたばかりじゃねーか。思いっきり当事者だっつーの。だけど、まあ、おれはかまわねえぜ。天下無双の勇者さまと戦えるってのも悪くねえしな! そうだろ、勇者さまよ!」
「いや、そのことについては謝る。すまなかった。でも、一言いわせてくれ。そんなおっかない顔してたら、誰だって間違えるだろ?」
このアズハルという男、状況を理解する能力がないばかりか、悪化させるという特技があるらしい。
ただ詫びればすむところを自己弁護、しかも相手を侮辱するような一言をつけ加えるものだから、バルの顔面は太い血管が浮き出て、それはもう二目と見られない形相を作っていた。これなら確かにアズハルの主張も通ったかもしれない。
バルはかろうじて暴発を防いだが、頬が意志によらず痙攣するのは止められない。ともすれば、衝動に駆られるのを全霊の力で抑え込みつつ、ひび割れた声でアズハルに抗議する。
「あ? おれの顔、全否定か、この野郎? それ以上に顔の美醜で善悪決めてんじゃねーよ」
「だから、謝ってるだろう! だいたい巨鬼族はおれたちにしてみれば、天敵みたいなものなんだから、疑われたって仕方がないじゃないか?」
「今度はおれの種族の否定か? こっちだって好きこのんで人間なんて襲いやしねえよ!」
「そうなのか? いや、しかしだな、先ほどおれたちが来たとき、あんたは人を襲っていたじゃないか?」
「そりゃ、そこの偽勇者の一味が娘を拐かして、その父親を斬り殺したからじゃねーか! 恩を売る気はねえがな、てめえにどうこう言われる筋合いもねえよ! つか、そもそも偽勇者って人間なんだろうがよ! おれが勇者の名前騙ったってすぐばれるだろうが!」
その考えはなかったとばかりにあっと声を上げたアズハルの姿にバルはとてつもない徒労感に襲われた。
少し話してわかったことだが、アズハルに悪意はないのだ。とてつもなく説明が下手で、いわんとすることが一割も相手に伝わらないだけなのだ。もっとも、悪意がないということは純粋な思いが口から出たということで、それはそれで腹立たしいわけだが。
ただ、一端だけとはいえ、バルがアズハルの人間像を理解し、両者の齟齬が埋められようとしたその時である、アズハルの背中に鋭い剣の切っ先がかすかに食い込んでいた。
アズハルが肩越しに振り返ると、後ろで呆然とことの成り行きを見守っていた偽勇者が我を取り戻したらしく、この有意な状況を活用すべく、動いたというわけだ。
「お取り込み中悪いんだけどよ、おれたち無視して、何してくれてんの?」
「くっ! 後ろを取るとは卑怯な!」
「人聞き悪いこといってんじゃねえや! おまえが勝手に後ろを向けたんだろうがよ!」
「だとしても、人が話しているときに後ろから襲いかかろうとするのは卑劣漢のすることではないのか?」
「えっと……いや、つーかさ、おまえ、何しにここに来たの?」
偽勇者ですら、一瞬言葉を失う豪快さといえば、聞こえはいいかもしれないが、目的を忘れ、バルと口論するなどやっていることは間抜けの所業である。
バルはつい偽勇者のほうに同情してしまった。会話が噛み合わないことに関して、アズハルはすでに天才の片鱗をみせていたのだから。
「これじゃ、まとまるものもまとまらないよな」
戦後、アズハルが五王国のために奔走したというのは知っていたが、この調子では余計に混乱したのではないかと、思ってしまう。
さて、この状況、どう収拾したものかと頭を悩ませかけたとき、バルはふとミラがずっと沈黙を保っていたことにようやく気づいた。主導権を奪われて、黙っているなど彼女らしくないというものだ。
嫌な予感がして、バルはそっとミラの顔を覗いてみたとき、思わず腰を抜かしそうになる。何しろミラの目は死んだ魚のそれよりも生気がなく、半開きとなった口からはすすり泣きにも似た笑い声が漏れていたからだ。
「ふ……ふふふ、いくら、勝ちを譲ってやったからとはいえ……あはあんな輩に負けたといわれ続けるのか?」
「い、いや、それは違うって! これはもう事故みたいなもんだ。おまえの選択が間違ってたわけじゃねえ! しっかりしろ! 自分を保て!」
バルとしては、ミラの慰藉に全力をもって当たらざるを得ない。自暴自棄になった主人が何もかも嫌になり、この街ごと焼き払ってやるなどといいかねないからだ。
その時、ミラは自分自身のことも顧みずに暴れるだろうから、バルまで巻き込まれる公算は極めて大だ。こちらまで被害が及ぶとなれば、ミラを擁護することに何のためらいもない。バルはかつてなかったくらいに真摯にミラを励ました。
バルがアズハルからミラへと関心を移してしまったために、奇妙な膠着状態が生まれてしまう。
さしものアズハルも背後を取られては動くに動けず、比較的優位の立場にある偽勇者は事態を動かすだけの器量を持ち合わせず、どう行動するべきかを今更迷っているようだ。
ミラは自分の殻に閉じこもってしまったし、バルはミラが破滅的行動を取らぬよう言葉を尽くして慰めている。
この度しがたい現況を動かしたのは、誰もが意識していなかった方向からだ。
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