賊の支配する街

 二人が着いた街の名は「フ・アル」というらしいが、今この名を呼ぶものはほとんどいない。


 かつてはイスマ家という地方領主がこの地を治めていたという。やがて家系は断絶し、北方二十邦と呼ばれる諸国家群の一つ、ファバウナ国に編入されたというが、あいにくどの国からもこの地方は辺境と呼んでもよく、中央の政変もあり、ほとんど放置されている状態だ。


 その政治的空白地を「勇者」が目をつけたというわけだ。


「にしても、寂れてんな」


「これが今のやつのやり方なんじゃろ! ふざけおる!」


 主要な街道や公道から離れていて、しかもすべての生命を拒む「大荒廃地」が近いので、勇者が好き放題暴れなくても、寂れていたに違いないが、この活気のなさはやはり異常だ。


 とはいえ、人気が全くないわけではない。所々隙間のある扉や鎧戸から人の視線が感じられるし、息を殺している様子もわかる。亜種が、特に人食い鬼として名高い鉅鬼族のバルがいるからというわけでもなさそうだ。


 これで勇者が支配者としての自覚を持ち、善政を敷き、この地方を豊かにしたというのならば、ミラの怒りも軽減されたに違いない。たった三年といえど、国家経営に腐心してきたミラにしてみれば、苛政によって荒れ果てたこの現状は許しがたいものだった。ミラの口から歯軋りの音がかすかに漏れた。


 早速勇者へ殴り込みをかけようとしたその時、不意に喧噪が起こった。ミラとバルがいる場所からすぐ目の前の角を曲がった先からだ。


 ミラが駆けつけると、そこには五人の酔漢が民家の扉を蹴破り、中から一人の少女を引っ張り出そうとしているところだった。


 娘を取られまいと押しとどめようとする父親を酔漢の一人が剣を抜いて、一刀のもとに斬り伏せた。状況から察するに勇者の一味であるのは間違いないだろう。


 一様に下卑た笑みを浮かべる酔漢たちに悔恨や慙愧の色は微塵もない。むしろ、そのうちの一人がミラを見かけて、締まりのない顔をさらに緩ませた。


 村を襲った連中といい、ミラを見て、よこしまな表情を浮かべるのは彼らが共通した下品な品性の持ち主だからだろう。


「おい、おまえら、こっち見てみろよ。そっちの娘より、こっちのほうがよほど上玉だぜ」


 残りの酔漢の目が一斉にミラへと向いた。八対の瞳はいずれも濁り、淀んでいる。彼らは不協和音よりも耳障りな口笛を吹くと、もはや娘に用はないとばかりに突き放し、代わりにミラの許へと集まってきた。


「よう、嬢ちゃん、おれたちと一緒に飲まねえか? 何、安心しろよ。おれたちゃ、紳士だからよ、手を出すような真似なんてしねえって」


「そたちに用はない。勇者はどこにおる?」


 怒りを抑えたミラの声は氷点よりも冷たく響き、その目は軽蔑する価値すらないと語っていた。その冷ややかさが酔漢たちの火照った身体にはいい刺激となったようだ。


 ミラの顔に自身のそれを近づけて、酒臭い呼気とともにしわがれた声をはきかけた。


「あ? お頭に一体何の用があるんだよ?」


「成敗しに来た」


 酔漢たちはミラの言葉が通じなかったのだろう。最初、ミラに話しかけた酔漢は目を瞬かせ、次に後ろの仲間に振り返った。やがて意味が酔いで朦朧とした脳に届くと、酔漢たちはお互いの顔を見合わせて大笑した。


「おいおい、勘弁してくれよ! 成敗しに来た、キリッだってよ! は、腹痛え、チョーカッコイー! やだ、おれ惚れちゃうかも!」


「もう一度問う。勇者はどこだ?」


「まだいうか? さすがに同じネタで笑いを取ろうなんて、おこがましいわ」


 埒が明かないと、ミラは溜息をついた。伏し目がちだった目の色がさらに深く沈んでいく。


「仕方あるまい。とりあえず話し合いのテーブルに着いてもらわぬとな。バル、一人残して、全員殺せ」


 ミラの直接的で物騒な命令は即実行された。語尾とともに酔漢たちの頭上に黒い影が広がったかと思うと、その直後、二人の酔漢は身長は限りなくゼロとなった。バルが二人の酔漢をそのまま踏みつぶしたのだ。彼の足下には赤黒く、生臭い大輪の花が咲いた。


 状況を把握できぬまま、彼らはただ一方的に狩られていく。バルが拳を突き出すと、さらに二人、一人は左半身が、その後ろにいたもう一人の左の顔面が弾け飛んだかのように消失し、鮮血の霧がバルの腕にまとわりつく。


 バルはその不快さにかまうことなく、ミラの傍で嘲り続けた酔漢の頭を鷲掴みにする。バルにしてみれば、人間を生かさず殺さずという加減は難しいものだったが、相手が死なないよう、それでいて抵抗力を削ぐのに十分な力を加え始める。


 ミラは何の感銘も受けた様子もなく、バルに生殺与奪を握られた凶漢に対する。


「さて、これでようやく話すことができるかの?」


「て、てめえら、こんなことして、ただですむと思ってんのか? お頭がちょっと本気になりゃ、てめえらなんざ……」


 どこかに模範回答集が存在するのではないかと思えるほど、型通りの科白を吐く凶漢だったが、彼は最後までその主張を唱えることができなかった。バルがほんの少し締める力を強めたからだ。


「質問したのはあのほうじゃといいたいところじゃが、今は置こう。さてさて、ただですむとそが思っているのなら、それはちと甘いの。そこそ、ただですむと思っておらぬよな? 後ろを見よ」


 身体の自由が利かない凶漢に代わり、バルが強引に首を向けさせる。何やら鈍い音が凶漢の首筋からしたが、誰一人気に留めず、当の本人ですら気にする余裕がなかった。凶漢の視界に入ったのは、冷たくなった父親の骸を抱きしめて、泣きじゃくる娘の姿だ。


「そたちはかのものに何をした? 娘を拐かし、それを止めようと思った父親を斬り捨てる権利があるとでも申すか?」


 こうも罪状を並べられると、さしもの凶漢も罪の大きさに慄然としたようだ。わずかな良心が残っていたわけだが、その後の弁解がまずかった。


「し、仕方がねえだろ! そいつらはおれたちに上納金を納めなかったんだからよ! せめて娘くらい連れて帰らねえと、おれたちがお頭に殺されちまうんだよ!」


「なるほど、強要されたということじゃな? ならば、早う勇者の居場所を吐かぬか。勇者がいなくなれば、そも外道の振る舞いをせずともよいのじゃろう?」


「あ、あそこだよ! お頭はあそこ、あのでけえ家に住んでいるんだ!」


 あっさりと忠誠相手を売った凶漢が震える指で指し示したその先には、確かに大きな屋敷がある。その昔、領主が住んでいた屋敷だろう。


 長い間住んでいなかったせいで、老朽化が進んではいるが、昔日の面影があり、この街の支配者として住まうには持って来いの場所だった。


「左様か。なら、情報を提供したことに免じて、罪一等を減じてやろう。バル、そのものの四肢の関節を外して、捨て置け」


 関節を外される度に痛みで男が喚くのを、バルは無視して、命じられたことを機械的にこなしていく。すべての関節が外されると、男は糸の切れた操り人形のように地に転がった。


「さて、そこの娘、そに機会を与えよう。その父を殺したのはこやつらじゃ。他の連中は成敗してしまったが、最後の一人はそにくれてやる。手当てして見逃すもよし、仇討ちするもよし、その好きにせよ。もはやこのものは反撃することはおろか、逃げも隠れもできぬゆえな」


 父を無法に殺された娘は初めこそ戸惑っていたが、やがてその目には復讐の炎が宿る。一度屋内に入り、再び姿を現したとき、その片手には包丁が握られていた。


 命の危機に直面した凶漢は動かぬ身体を動かそうと必死にもがきながら、ミラに脂汗まみれの形相を向け、彼女の扇動を非難する。


「ちょ、ちょっと待ってくれ! これじゃ、約束が違うじゃねえか!」


「約束? そとの間に交わした約束など何一つないぞ。あったとしても、あたちはそを殺さぬという点は守っておろう? ただ、その後のことは一切関与せぬだけじゃ」


「ふ、ふざけんな! てめえ、絶対許さ……」


 凶漢の声が突如止まったのは、その身体の上に娘が馬乗りになったからだ。娘は包丁を逆手に持ち替えると、そのままゆっくりと持ち上げた。


「や、やめてくれ! おれだって、こんなことやりたくなかったんだ! 待て! 頼む! 殺さ……」


 彼の命乞いは途中で中断された。娘が容赦も情けもなく、凶漢の身体に包丁を突き立てたからだ。肉に刃物が食い込む音は、バルが四肢の関節を外したときよりも大きく音程の外れた絶叫によってかき消された。噴き出る血が娘を赤く染めていく。娘は何度も、何度も凶漢に向かって包丁を突き立てる。


 やがて凶漢が人から肉塊に変わっても、娘はひたすらに同じ動作を繰り返した。


 その惨劇を最後まで見ることなく、ミラは背を向けると、指先を動かして、バルに近づくよう指示した。何やら嫌な予感がしたが、バルは仕方なくミラの傍に寄ると、さらに身をかがめろという。ならばとバルは跪くように腰を落とした。

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