勇者の落ちぶれ具合に魔王さまも激おこ
「まったくあんのアホは何を考えておるのか!」
ミラは罪もない地面を踏み拉くように、憤懣やるかたない様子でバルの前を歩いていた。続くバルは辟易した表情を浮かべながらも、内心では少し安堵もしていた。
賊の正体がアズハルだと知ったときのミラの怒りは相当なもので、感情の赴くまま、破壊行動をするのではないかと、冷や冷やしていたのだ。
こうやって感情を小出しにしていけば、いずれは溶岩のような激情も底を突こう。それまで、バルとしてはひたすら耐える以外になく、自身に深刻な被害が及ばぬ限り、八つ当たりでも何でも引き受けるつもりだった。
とはいえ、実害を被るのも馬鹿らしいし、そうならないためにもミラの感情を誘導する必要がある。まずは止めどなく垂れ流される文句や愚痴を拝聴してやるとしよう。
「あとの約束を破ったのは致し方なしとしても、同族にまで手をかけるとは何事か! あやつは他ならぬ人間のためにあを討ったのではなかったのか! おのれ、忌々しい! これではあの死に損ではないか!」
ミラの怒声の中に意外なもの聞いたバルは目を丸めた。しばしば約定を神聖視するミラにとって、亜種が冷遇されているこの状況は許しがたいはずなのに、それを是認したからである。
その一方で、バルは宜なるかなとも思うのだ。いかに人類の救世主であっても、当時十五歳の少年に過ぎなかったアズハルの限界は本人が思う以上に手前にあり、曲がりなりにも国家であったエレミア王国の代わりに亜種の生存権と人権の保護を一手に受けるなど、一個人の力でできようはずもない。つまり、ミラは無理難題をアズハルに押しつけたというわけだ。
アズハルのほうでも、白鷺王の頼みなど受け容れてやる謂われはなかっただろう。なにぶん、彼は勝者である。歴史は勝者が作るとするのならば、アズハルは恣に振る舞ってもいいのだ。何しろ、魔王と呼ばれた白鷺王すら斃したアズハルは今や人類最強といってもいいのだから。
ただ、旅をしていると、嫌でもアズハルの動向が耳に入る。戦後、すぐに不和になった五王国を繋ぎ止めようと健気に動き回った勇者をこともあろうに亡き者にしようとしたあげく、その陰謀が民衆は愚か、諸外国にまで露見してしまった。
人類社会における最も唾棄される国として、かつての対魔族戦争で人と物資がほぼ無尽蔵に集まった中心地から一気に辺境へと転落していったという。
人類の愚かさを再確認する一方で、アズハルが平和のために尽力したのは疑いようもない事実だ。ここで問題となるのが、アズハルが亜種にとってどのような平和を目指したかだ。
バルはアズハルの亜種への態度について、極端な二種があることを噂話程度に聞いている。一つは亜種との共存を目指しているというもので、もう一つが亜種廃滅のために動いているというものだ。
どちらの姿が正しいのか、正直、バルにはわからない。何せ、彼らと会ったのは一度きり、しかも、ちょうど白鷺王が「討たれる」瞬間に立ち合っただけだ。
いかにミラが自らの死を演出し、偽装するためにアズハルを利用したとしても、眼前で守るべき主君を討たれたことは宮廷騎士だったバルにとっては屈辱であり、恥でもあった。
ゆえにアズハルに対する評価は幾分私怨が混ざることを自覚しているので、正当なものではないと断ずるだけの理性がバルにはある。
答えの出ないアズハル評は一先ず置くとして、容認しがたいのはアズハルが同じ人類に害なす存在になりはてたことだろう。
アズハルは自身の行動によって、今までの生き様と信念を葬り、ひいては彼と戦った白鷺王の否定するということでもある。戦った末に見ていた未来をアズハルは投げ捨てたのだ。許せるはずがあろうか。
しかし、ミラの怒りの最も深いところで、その炎が向く先はミラ本人であったのかもしれない。アズハルを勇者にしたのはミラである。
いかに事情があろうと、未来のすべてをアズハルという肩書きもなければ、後ろ盾もない少年に委ねた責任は間違いなくミラにある。
ミラにしてみれば、バルが考える程度の道理などすでにわかってはいるが、それが怒りを減じさせる理由にはなっていないのは明らかだ。今は何もかもが腹立たしくて仕方がないらしい。ゆえにバルは独り言のように声をかけてみた。
「だけどなあ、あのアズハルってのも、風の噂じゃ、ずいぶんひでえ目に遭ったって話だぜ。自棄になるのも仕方がねえんじゃねえかなあ」
「知ったことか! 苦労したっていうのなら、あだって同じことじゃ!」
「苦労したのって、おれ一人だけじゃねえ?」
とは、バルは反論しない。怒れるミラは腹を空かせた肉食獣よりも凶暴だ。わざわざ尾を踏みに行き、さらに踏みにじる必要はどこにもない。
その一方でやるせなさを感じるのも事実だ。王宮にこもりっぱなしの世間知らずで、生活無能力者であるミラに代わって、旅装を整え、路銀を調達し、騒動を起こす度に身を張って守ってやってきたのは一体誰だったのかと問い詰めてやりたい。
しかし、正当な権利である抗議をバルは今までしたことがない。尾を踏みにじった上にそこで踊る必要などさらにないからだ。
種族一の君子と自称するバルにしてみれば、危うきに近寄るなどもってのほかだ。下手なことをいえば、百倍になって返ってくるのが鬱陶しいというわけでは決してない。
ゆえに、バルは無益なことを考えるのをやめ、現状抱えている問題点を洗い出すために、ミラへ質問を続けた。
「そもそもさあ、本当にこの騒ぎは勇者が起こしたって保証はどこにもねえと思うんだけど?」
「だとしても、やることは一つじゃ! あが直々に成敗してくれる!」
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