第二章 再会したくない相手に限って、再度邂逅してしまうのは世の理

勇者の憂鬱

「不自由だな……」


 アーパの街を一望できる丘の上で、男が独り言ちた言葉は風に流され、四散していく。


 ジェナム国の南西に位置するこの街では偽勇者が騒動を起こしており、彼はつい先刻、収拾したばかりである。今は相棒が後始末のために奔走しているところだ。交渉に長けた彼女が今頃うまくとりまとめているはずだ。


 男の名をアズハル・アースル、相棒の名はフェリハ・サフラという。


 この現世で最も高名な二人であろう。人類共通の敵だった白鷺王を打ち倒した英雄とその仲間の名前であり、五王国を遠く離れ、大荒廃地に近い人類社会の辺境においてもその名を知らぬものはいないほどだ。どこへ行っても、英雄だとわかるやいなや歓待され、厚遇された。


 それだけに勇者の名を騙る不届き者も多く現れた。英雄と魔王の物語はすでに到るところで広まってはいたが、容姿についてはまちまちに伝わっている場合もあり、そうした地域では偽勇者が不当な特権を享受しては外道の振る舞いを繰り返していた。


 偽勇者の噂を聞きつける度にアズハルとフェリハは赴いては潰していくものの、鼬ごっこの感は拭えない。


 すでに事件の数は三桁に届こうとしている。一つ終われば、もう一つがどこかで始まり、いつまで経っても終息の気配を見せない。先の見えない闘争はアズハルの心をいつしか淀ませていった。


 十年前、白鷺王を討つ前までは確かに自分の心には翼が生えていた。義務と意欲は同じ方向を一直線に指し、ただ目指すべき場所へ邁進すれば、それでよかったのだ。


 しかし、今は違う。自由の象徴であった翼はもがれ、代わりに得た虚名と重圧は四肢を縛り、心を濁らせた。


 いつからこうなってしまったのか。そう自答すれば、いつも決まり切った答えが間を置かずに返ってくる。白鷺王を討ったその瞬間からだ。後の十年はアズハルの心を折るために与えられた期間といっても過言ではなかった。


 心はまだ折れていないが、修復不可能なほど大きな亀裂が入っていることは自覚している。


 だとしても、立ち止まるわけにはいかない。予測し得なかったとはいえ、アズハルは自身が大陸全土に不和の種を蒔いたことを知悉していた。芽のうちに摘めていればよかったが、すでに萌芽し、徒花を咲かせているところもある。


 短期的な解決法はなく、一つずつ微に入り細にうがちながら、徹底的に処置していかなければならない。そうしなければ、一度の事件が複数に派生し、手がつけられなくなったことがあったからだ。


 しかし、そこまではいい。どんなに案件が増えようとも、やるべきことに変化はないからである。問題はその先だ。


「こんなにも立て続けにおれの名前を騙った連中が出てくるなんて、誰か裏で糸でも引いているんじゃないのか?」


 アズハルも馬鹿ではないから、同時多発的に同様の事件が頻発すれば、その可能性はすぐに思いつくが、では、誰が何のためにと考えると、途端に行き詰まってしまう。どんな事件であれ、目的は利益を得ることである。ならば、裏ですべての事件を操っているものは何を得るというのか。


 五王国。最初にそう考えもしたが、今、彼らは国家存亡の危機に瀕しているらしい。というのも、対亜種戦争で発行した戦時国債が莫大な額に上り、債権国からは返済をせっつかれており、踏み倒すデフォルトするしかないところまで追い込まれたとのことだ。


 いかに出奔したアズハルが憎いといえど、この状況で追っ手を差し向けるような余裕は精神的、経済的の両方の理由からないと断言できる。


 では、汎人類同盟はどうか。候補が頭に浮かんですぐアズハルは内心で首を振る。彼らの中にはアズハルを利用しようと画策はしたが、利害の一致が見られず、その後は徹底的に放置された。


 為政者にしてみれば、英雄の存在など劇薬にも等しいものだ。ともすれば、民衆はこぞってアズハルを支持し、持ち上げるだろう。英雄アズハルを使いこなすだけの度量と器量がない限り、獅子身中の虫にしかならず、無益有害なだけだ。


 そんな彼らがアズハルの逆鱗に触れるような、偽勇者を建てて騒動まで起こすだろうか。普通の感覚を持った為政者なら、寝た子を起こすような真似はまずしないと断言してもいい。


 そもそも最大受益者を考えるのならば、最も該当するのは偽勇者本人とその一党であろう。断罪の刃が頭上に振り下ろされるまで、彼らは無法を恣にしているのだから。


 しかし、今まで見てきた英雄を僭称する連中に事件を取りまとめるような知恵者は一人もいなかった。いずれも刹那主義者の無頼漢だけだったのだ。だからといって、彼らが個人の意志で同じような事件を起こしたとは考えにくい。その背後には扇動と教唆があったに違いない。


 少なくとも人間側でアズハルを害そうというものはまずいない。となれば、残るは「亜種」しかなくなる。亜種ならば、アズハルを恨む動機は充分にあるし、英雄の名を貶めるために画策するかもしれない。


 だが、アズハルは即座にその考えを否定した。


 一件二件だけならば、そうかもしれないが、事件を数十件と続かせるためには組織だった力が必要となる。その組織というのが、今の亜種には作れないのだ。なぜなら、国を失った亜種の多くは各国が設けた居住区に強制移住させられ、そこで息を潜めるように暮らしているからである。


 叛乱を起こそうにも監視体制が万全であるのはもちろんのこと、立ち上がったとしても、周囲に存在する軍隊が瞬く間に彼らを鏖殺してしまうだろう。


 さらに亜種は移動はおろか、出産まで制限され、その上、人類が廃滅した悪法、連座式や密告などは亜種にのみ適用され、彼らを根絶やしにすべく人類は動いている。


 その状況で、さらに立場が悪くなるような真似を彼らがするだろうか。答えはやはり否定に傾かざるを得ない。


 無論のこと、逃げだし、潜伏する亜種もいる可能性も否定はできない。対応も国ごとに違うので、中には共存を願う奇特な人間もいて、その隙を突かれたこともある。押しつけがましいとはいえ、善意を拒絶された人々はこぞって亜種排除主義者と化すから手に負えない。


 この負の連鎖を間接的に作り上げたアズハルは亜種廃滅を唱える最右翼と思われていて、それもまたアズハルにとって悩みの種だった。アズハルは過去から現在に到るまで一度たりとも亜種を絶滅させようなどと主張したことはないのだ。


 理想論でしかないが、戦争が終わった以上、亜種とは和解できると甘いことを考えていたのも事実だ。恨みの根が人類社会の深くまで根を張り、容易なことでは人々の意識改革は捗らないであろう。


 その上、アズハルは白鷺王の今際の際に交わした「誓約」に囚われていた。戦いに敗れた白鷺王はアズハルにこう庶幾ったのだ。


「頼める義理ではないが、我が同胞のこと、どうかよしなに頼む。エレミアの民にせめてもの平穏を」


 口約束だったから守る必要がないと空惚けるほど、アズハルは厚顔でもなければ、努力はしたが、適わなかったと逃避するには諦めが悪く、それだけに彼の心は自らに課した枷によって、日に日に摩耗されていく。いつの日か、魂はすり切れ、なくなってしまうのではないか。そんな焦りがアズハルの口から弱音を吐かせた。


「いつまで続くんだよ、こんなことが」

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