バルさん、やっておしまいなさい! 後編

 野盗の目にはすでに斬られたミラが悶絶して、地面に転がるさまが見えていた。そのはずだったのだが、ミラは平然と経っていた。そればかりか、わざとらしくあくびまでしてみせる。


 よくよく見れば、野盗が持っていた剣はいつの間にかその手から消えていた。


「あ、あれ?」


「探し物はこいつかい?」


 突如、野盗の目の前に剣の柄が現れる。業物と呼ぶにはほど遠い代物ではあるが、握り慣れたその柄は確かに野盗のものであった。


「ああ、すまねえな……え?」


 後ろからかけられた声が頭上から発せられたことを、野党は不審に思ったようだ。しかも剣は上から差し出された。柄があるということは声をかけてきたものは刃を握っているということになる。いくら切れ味が悪かろうとも、素手で剣を掴むなど正気の沙汰ではない。


 野盗がおそるおそる振り返ると、そこには大きな闇があった。闇は人の形をしているが、ひどく大きい。


 目を細めて、子細に観察してみると、それは影ではなく、肌の黒い巨鬼であることがわかる。その理解が脳に及んだとき、野盗は恐怖の声を上げた。


「お、おお……巨鬼族!」


 人間にとって、巨鬼族は今や伝説の怪物である。神代の時代から存在する古い種族というだけでなく、神に対し反旗を翻したとの言い伝えもあり、よく人間の母親が子供に聞かせる悪い子を取って食らう「人食い鬼」が巨鬼族であるらしい。


 野盗もまた木の股から生まれたわけではない以上、よくそんな話を聞かされたはずで、三つ子の魂百までよろしく彼の心にもまた心的外傷に似た巨鬼族への恐怖が宿っている。


 人類にとって悪夢の象徴ともいえる。


 バルとしては風評被害だとして、噂の出所を捕まえ、名誉毀損と慰謝料を請求したいところだが、今回だけは堪え、その風説を最大限利用することにした。


 バルは握り持った剣をそのまま握力を加えて、潰したのである。剣は粉々に砕けてしまったが、バルの掌は傷一つなかった。


 野盗は喉の奥から小さな悲鳴を上げる。さすがにバルの前では虚勢を張る余裕はない。彼は他の仲間を探したが、どうにも見当たらない。逃げた、あるいは殺されたにしてはあまりにも静かに事が運びすぎていた。


「て、てめえ、あいつらをどうした?」


「あいつら? ああ、今頃星になってるんじゃねえの?」


 バルの声はどこまでも穏やかだったものの、この状況で「星になる」とは死を意味する隠語に聞こえるだろう。


 現に野盗は一人を残して消えてしまっていたし、その事実が野盗の顔を空の色よりも青ざめさせていた。最後の一人が無力化したことで、バルはミラに視線を移す。


「少し遅くなった。すまん」


「まったくじゃ。危うく毒牙にかかるところじゃったわ」


 さも忌まわしい出来事に遭ったとばかりに両手で身体を炊き、身震いするミラだったが、次の瞬間、何かひらめいたかのように目を見開いた。


「はっ! よもや、あが陵辱される姿を見たかったのではあるまいな? だから、こんなにも遅く……」


「ねーよ」


 巨鬼族の中で最も紳士であると自称する彼にしてみれば、そんな疑問を持つこと自体が失礼であろう。もっとも、その称号がどれだけの価値を持つのか、本人ですらわからないが。


 一方で、たまらないのは言下に否定されたミラのほうであっただろう。少しばかりバルを苛めてやろうとの姦心からでたものだったので、自業自得とはいえ、それだけに程度の低い恨みを視線に込めて、バルを睨みつけた。


 バルも逆恨みの感情をぶつけられているのは理解しているが、それを無視して、彼は事務的な事柄を訊ねた。


「それより、こいつどうする? 何か情報でも聞けるかと思って、一人だけ残しておいたんだが」


「無用。うち捨てよ」


「了解。まあ、チンピラごときに時間を割くのももったいないしな」


 自身の頭上で運命が決まっていくことに耐えられなくなった野盗は抗議の声を上げた。ここぞとばかりに存在感を露わにしようとしたらしいが、彼の口から出たのは没個性の極みみたいな脅迫だった。


「て、てめえら、こんなことして、ただですむと思ってんのか?」


「うわ、おっかねえ。すっげえ怖いから、どっかに放り投げるとすっか」


 くたびれているとはいえ、甲冑を着込んだ大の大人をバルは軽々と持ち上げた。投げる構えを見せたところで、バルは野盗に声をかける。


「で、どこに投げられたい? 希望があるなら伺うが?」


「て、てめえ、まさか……?」


「はい、時間切れ。じゃあ、こっちでいいよな? 運がよかったら、生き残れるだろうさ。生き残ったら、余生は善行を積んでくれよな」


 語尾と同時にバルは大きく振りかぶると、渾身の力を込めて、野盗を投げ飛ばした。バルの手を離れた瞬間、野盗の身体は一瞬で遠くまで飛ばされ、ついには空の色に溶け込んで見えなくなってしまった。


 バルはその行方を確認することなく、一仕事終えたとばかりに大きな両手の平を払った。村人を傷つけずに救出するという目的を遂げたことで、一定の達成感を得ることはできた。


 しかし、満足すべき結果かといえば、どうもそうではないようだ。脅威から解放されたはずの村人がいつまで経っても歓喜の声を上げなかった。彼らにしてみれば、盗賊を追い払ったのが亜種であり、彼らが何を要求してくるのか、気が気でなかったのかもしれない。


 むべなるかなとバルは思うが、ミラが徐々に不機嫌になっていくのを見ているのはさすがにきつい。ゆえにバルは人助けの結果がはかばかしくなかったのは自分の責任であることを強調せざるを得なかった。


「もしかして、おれのこと、怖がってのか?」


 どこの村、どこの街でも起こったことだ。今更文句をつけるつもりもない。そもそも元々の姿が恐ろしいのに、人の身体を彼方へと放り投げたのだ。これで恐れなかったら、彼らは皆勇者に等しい勇気を持っていることになる。少しばかりやり過ぎたと、バルもいささか反省した。


「いや、それだけではなさそうじゃぞ」


 ミラの声に応じるかのように、集団から一人の老人が歩み寄ってきた。風貌からして、おそらくはこの村の長だろうが、彼は年齢によるものか、歩く姿はおぼつかなく、身体は小刻みに震えている。


 思わずバルが手助けしようと前に出たほど、老人の姿は頼りなかったが、それは勘違いだとすぐに知らされた。


 老人が震えていたのは加齢によるものではなく、怒りのためだ。年齢が刻まれたその顔は赤く染まり、わななく口からは「な」しか出てこなかったが、ミラとバルの前に来ると、目を限界まで見開いて、大喝した。


「何をしてくれてんのじゃ、おまえらは!」


「は?」


 まさか怒られるとは思ってもいなかったので、亜種の主従は唖然として、目を丸くするだけだった。

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