僻地ほど無防備なのは何故なのか
バルの快足は予想より早く目的地に到着させようとしていたが、彼はそのはるか手前で足を止めた。焦げ臭さが鼻を突いたからだ。様々な戦場を渡り歩いたバルにとっては、ある意味懐かしさすら伴う臭いだった。
間違いなく先ほど見た集落が戦場となっている。いや、戦場ではなく、一方的な略取と見るべきだろう。
上空から見た限り、あの村に外からの侵略に備える防壁などの設備や準備はなかった。その村が平和に過ごしてきた証でもあるが、各地で政情不安が続くこの昨今にあっては実に不用心だというほかない。
この近辺がどこの国家に所属するのかはわからないが、少なくとも中央からは遠く離れた地であるのは間違いなく、治安を回復するための官憲や兵を送るにしても時間がかかるはずだ。
さて、どうすべきか。
人間同士の争いに関わっても、碌な目に遭わないのは実体験からもわかっている。戦争に勝った人類はさらに傲慢になり、もともと蔑ろにしていた亜種をことさら蔑視するようになった。
現にごく最近立ち寄った街でもひどく不愉快な思いをしたものだ。少女を誘拐しようとしている巨鬼族というとんでもない風評が立ち、戦って事態をさらに厄介にしたくないバルは逃げるしかなかった。
何しろミラの見た目は至って人間のそれとほとんど変わらないのだから。異なるは頭上に輝く炎輪だけだ。それが見えるのはごく一部らしく、ミラが亜種だとして疑われたことは一度もない。
それはそれとして、このまま村に向かうのはどうしたものだろうか。
わざわざ火の粉を被りにいくのはあまりにも馬鹿らしい。人間同士が相争って、自らの力を削いでいくというのならば別にそれでいいのではないか。彼らが愚鈍さゆえに滅びるというのなら、それもまた一興だろう。バルは突き放して、そう考えた。
その一方で、少し困ったこともある。これ以上野宿が続くと、ミラがまたぐずり出す。
持て余し気味の主人を抱えたバルではあるが、それでも彼はできることならミラをベッドの上で休ませたいと甘いことも考えてはいる。
そう思ってから、なぜこんな保護者みたいに心配してやらねばならぬのかと、バルは自分自身の存在意義に疑問を呈し始めたが、深く考えるのはやめておいた。そもそもの原因を突き詰めれば、巨大なブーメランとなって戻ってくるだけだ。
ここは主人たるミラの判断を仰ぐべきだろう。そう思って声をかけようとした矢先、かすかに漂う煙がミラの鼻腔をくすぐり、「へぷちっ!」という間抜けなくしゃみとともに目を覚ました。
「何じゃ、この臭いは?」
せっかく卒倒して、浮き世のしがらみから逃れていたのに、悪臭によって世知辛い現実に引き戻されたミラは不機嫌そうにつぶやき、目を擦る。
しかし、現状を把握した瞬間、ミラの瞳は焦点を取り戻し、険しい表情で辺りを探る。
「バル、何事じゃ?」
「どうもこの先にある村が焼かれているようですぜ。気になるなら、おれが一っ走り行ってきて、様子を見てきますが?」
「いや、あも行こう。ところで、バルよ」
また来た。何もこんな時に話題を変えなくてもよいのにと、少しうんざりして、ついバルは身構えてしまう。
「な、何です? 行動を起こすなら早くしたほうがいいですぜ」
「う、うん……」
どこか言いづらそうに逡巡していたが、やがて意を決したように表情を改め、バルを見据え、なぜか顔を赤くしながら、重大決意を表明するために口を開いた。
「その……だな、バルの言葉遣い、さっきのに戻してくれぬか?」
「さっき? 一体何のことです?」
「いや、だから、さっきバルが怒ったときの口調のことじゃ!」
ミラにそう指摘され、バルはあっと声を上げた。怒りと恐れで我を忘れ、つい礼儀を欠いたことを思い出したのだ。ミラに責任があるにせよ、従者の態度ではない。バルは慌てて陳謝した。
「あの、すいません。あの時はつい……」
「別にあはそのことを怒っているのではない。そうであるのなら、戻してほしいなどとはいわぬ。もうそとあは王と宮廷騎士の関係ではないのだ。ずっと昔、身分に上下がなかった頃に戻ってもよいのではないか?」
さすがに鈍感なバルもミラがいわんとしていることに気づいた。ここまで鈍いと度を過ぎたように感じ、彼は頭を掻いて、恥じ入った。
「わかりましたよ……じゃなくて、わかった。でもよ、今いわなくてもいいことじゃね?」
「今でなければだめなのじゃ! この十年、ずっという機会を逃していたのじゃからな。こういうのはどさくさ紛れにいってしまったほうがいいのじゃ」
「結構重要な告白なのに、どさくさ紛れとかいうなよ……まあ、とりあえずそれは後回しだ。で、どうする? おれは放置推奨だな。人間どもがどうなろうと、おれたちの知ったこっちゃないし」
人間同士の諍いには関与しない。仲裁に入ったところで、その矛先がこちらに向かないとも限らない。助けたとしても、感謝の言葉一つもよこされるまい。百害あって一利なしである。
だが、ミラはバルの考えを浅薄だといって、鼻で笑った。
「そんなでかい図体をしていて、何と小さいことを考えるのか。よいか、よう聞け。困っているものを見たら、助けてやるのが王者の器量というもの。人間どもがいかに愚劣で、悪逆な生命体であったとしても、千人に一人くらいはましな人間がおるであろ? 小さいながらもその可能性に賭けてみるのもまたよしというものじゃ」
ミラは胸を張ってそう答えるが、バルは彼女ほどの確信は持てない。確かに一括りにして人間は悪辣な存在であると考えるのは乱暴だろうが、大多数が亜種に対しては冷淡であることを考慮すれば、ミラの善意が空回りするのは目に見えて明らかだ。それはもう王者の器量というよりは度の過ぎたお人好しでしかない。
それでも、バルはミラの決意に対して、二度は反対しなかった。自己満足でしかないとしても、ミラがやりたいと望むのならば、能力の及ぶ限りで力を貸すのは、バルにしても惜しむものではない。王でありながら、不自由を強いられてきたミラが誰かに迷惑をかけるのでなければ、なすがままにさせてやりたかった。ミラにはどこまでも甘いと自覚しながらも、バルはそれを留めることができそうになかった。
「しょうがねえなあ」
「ならば、さっさと参ろうか。この調子では今夜の宿も取れなくなるやもしれぬしな」
「まさか、そっちのほうが本音じゃないよな?」
疑わしげなバルの問いに、ミラは返答せず、無邪気そうな笑みを浮かべた。その腹の底が闇よりもなお暗い黒であるのはバルだけが知っている。
無垢な少女のなりをしていても、表裏比興のものと恐れられた韜晦ぶりは微塵も変わらない。むしろ姿が幼児退行した分、狡猾になっているかもしれない。
「はあ、おれ、この先もこんな風にいいように扱われるんだろうな」
意気揚々と歩くミラの後ろ姿に、バルは恨めしげなつぶやきをぶつけてみたものの、その小さな背中は受け入れることなく弾き落とした。バルはこれから戦場に向かうというのに、どこか気落ちした様子でただ主人の後ろを追うだけだった。
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