【エピローグ】

【エピローグ】

 ビルの壁から滑り落ちた冷たい空気が、細い隙間の奥へゆるやかに入り込んでくる。

 店の前に散らばった葉は、どこかの通りから風に乗って運ばれてきたのだろうか。

 ユメは椅子に腰を下ろし、黒いタートルネックの袖を手首まで引き寄せた。

 去年も着ていた服なのに、首まわりが少しだけ違って感じられた。

 背が伸びたのかもしれない。ただ、それ以上に、去年とは少し違う自分でいるような気がした。

 最近は、依頼が少ない。オババは「このままじゃ店が干上がるよ」と笑いながらぼやいていた。

 誰かが無理に手を伸ばさなくても済むのなら、それはそれでいい。納得できる別れが、どこかで交わされているのなら、変換は必要ない。


 静かな午後が続く中で、ユメには癖がひとつ増えた。引き出しに手を伸ばし、ルールブックの隣に置かれた小さなぬいぐるみに指先を添えることだ。


 茜と動物園で交換した、手のひらにすっぽり収まるゾウのぬいぐるみ。取り出すわけでもなく、ただ、そこにいることが安心につながった。

 あの日を境に、少しだけ気持ちの持ち方が変わった。
 

 無理をしないこと。ひとりで抱えきれないときは、オババを頼ること。


 そう自分の中で決めてからは、肩の重さが、ゆるやかに抜けていった気がしている。


 とはいえ、すべてが変わったわけではなかった。両親のことだけは、今も答えが見つからない。

 本当に事故だったのか、それとも何か別の理由があって、手を加えたものなのか。


 まだ、オババに訊ねることができていない。あのときのまま、決定的なことは何もわからないままだ。

 けれど、この場所で働きながら、少しずつでも向き合っていくつもりでいる。

 今すぐでなくていい。時間をかけることにも意味はある。
ユメは、そう思えていた。


 ――ちりん。


 鈴の音が微かに揺れて、扉がゆっくり開いた。外の空気が流れ込み、床のあたりをひやりと撫でていく。

 入ってきたのは、ダークグレーのスーツを着た若い女性だった。髪は整えられ、封筒をしっかりと握っている。

 足を踏み入れたところで立ち止まり、視線を落とす仕草にはためらいがあった。すぐには前に進まず、何かを探すように周囲を見まわしている。

 どこから来たのか、この場所に何を求めているのか、それは見ただけではわからない。

 ただ、ひとつだけ確かだった。

 ここは、誰にでも踏み入れられる場所ではないということ。


 ユメは、来訪者に目を向けながら、まなざしをやわらげた。

 茜のように穏やかに微笑むのは、まだうまくできないかもしれない。でも、どう在ろうとするかを考えることなら、自分にもできる気がしていた。

 以前は、そうやって意識して誰かを見つめることさえ避けていた。

 表情を固くして、気配を薄くするようにして座っていた。
依頼者にも、故人にも、近づきすぎないよう心を遠ざけていた。それが正しいやり方だと思っていた。


 仕事として必要な姿勢でもあり、それ以上に、自分を守るためでもあった。

 両親の死と重ねることが怖くて、感じることをやめるように努めていた。まるで感情を持たない人形のように。


 けれど、いくつかの出会いを重ねるうちに、考え方が変わってきた。


 誰かの願いにふれたとき、自分の内側でも何かがゆっくり動き出す。決まりに従うだけではたどり着けない場所がある。


 気持ちを封じたままでは、本当に届いてほしいものを受けとれない。少しずつ、そう思えるようになった。

 ユメは姿勢を正し、目を合わせるように視線を上げた。言葉に温度を乗せて、客を迎えた。


「いらっしゃいませ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

死因変換屋 鳩太 @hato123456789

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ