ふたりは並んで、園の奥へ向かっていく。案内板に並んだイラストの中で、ひときわ目立つ白黒の姿が視界に入った。

「せっかくだし、パンダも見たいよね」


 茜の声に、ユメは「見れたら、ですね」と返した。言い終えてから、自分の声にふと引っかかる。


 茜は、本当は楽しみにしていたのかもしれない。そう思うと、自分の返しが少しそっけなかった気がして、なんとなく申し訳ない気持ちになった。

「だよねぇ」と茜は笑った。声は明るかったけれど、ほんの少しだけ寂しさが混じっているように見えた。


 観覧エリアの前には、すでに列ができていた。看板を掲げたスタッフが、来場者を順番に誘導している。

 注意書きには「混雑状況によっては観覧できない場合があります」と書かれていた。

「うーん、やっぱ無理かなぁ」


 茜が立ち止まり、列の長さに目をやる。少し残念そうな表情が浮かんでいた。

「わかりません。でも、私は並ぶの平気です。ダメ元で……どうでしょうか」


「えっ、いいの?」


「はい」

 茜の表情がふわりと明るくなった。さっきまで感じていたわずかなため息の気配が、空気からすっと消える。ふたりはそのまま列の最後尾へと足を向けた。

 日差しは強く、まわりの熱気も肌にまとわりついたけど、不快には感じなかった。

 茜の隣にいるだけで、暑さも待ち時間も、なんとなくやわらいでいく気がした。

 列は思ったよりも早く進んでいった。観覧スペースの入口が見えた頃、ほんの少しだけ息をのむ。

 数歩先、ガラスの向こうに、白黒の背中があった。丸い体が、ゆっくりと揺れながら移動していく。

 笹を両腕に抱え、短い前足で器用に押さえながら、ひたむきに咀嚼を続けている。

「あ、食べてる」
 

 近くにいた子どもの声が弾む。

「わあ……」


 その声につられるように、茜が声を漏らした。

「ねっ、ユメ、こっち見てる」


 茜が腕を引いてきて、ユメは目の前のガラスへと視線を移す。

 丸い瞳が、じっとこちらを見ていた。そのパンダは、どこか笑っているように見えた。


 いろいろな動物を見て歩き、日差しに肩を落としかけたころだった。茜が思い出したように言った。

「ね、ユメのお気に入り、まだ見てないよね」

「……お気に入り?」

 問い返すと、茜は楽しそうに声を弾ませた。

「ゾーウさん♪」

 足が止まり、ユメは頬が熱を帯びるのを感じた。

 あの日のライブ。タキと並んで歌った「ゾウさん」が、なぜかいちばんウケた。

 茜は笑いすぎて目元をぬぐっていた。あの場面を、彼女はいまだに覚えていたらしい。

「もう……からかわないでください」

「ごめんごめん、冗談。でも、見たくない? 本物のゾウさん」

「……少しだけ」

「じゃあ、決まり。もう人も減ってきたし、今ならゆっくり見られるかも」


 ふたりで歩いた先、ひらけた景色の中に、象舎が現れた。柵の向こう、広い運動場を、大きなからだがゆったりと進んでいく。耳が揺れ、灰色の肌が午後の日を受けて光を帯びていた。

 その姿を見たとき、ユメの足が自然と止まった。


 ──ここ、来たことがある。


 小さな手を、ひとりずつとつないでいた。

 左右で違うぬくもり。ゾウの迫力に思わず足が引けたとき、「怖くないよ」と声をかけて、母がしゃがんで視線の高さを合わせてくれた。


 父が背中に手を添えて、三人で並んで写真におさまった。

 シャッターに向けて笑った記憶はあるのに、なぜかそのときの自分の顔だけは思い出せなかった。


「ユメ?」

 隣から名を呼ばれ、ユメはゆっくりと顔を上げた。


 柵の向こうでは、ゾウが長い鼻を振って、地面に落ちた干し草を巻き取っていた。


 まるで誰かの前で披露するような動きに見えて、ユメの口元に自然と笑みが浮かぶ。

「ゾウって、大きいのに優しそうです」

 思ったままのことを言葉にしたら、声の調子がずいぶんやわらかくなっていたことに、自分でも少し驚いた。茜が横でうなずいた。

「ね、癒やされるよね」

 同じ方を見つめながら、茜の声がすぐそばで響いた。

 ふと、手がいつのまにか離れていたことに気づく。人の波が落ち着いたからかもしれない。少しだけ物足りなさが残った。

 ユメは、触れたくなった。ただ、それだけの気持ちで指先を伸ばす。

 茜の指に、そよぐように触れた。気づかれないほど、ほんのわずかな距離で。


 園内をひととおり巡ったあと、ふたりは売店に立ち寄った。棚に並ぶ小さなぬいぐるみの前で、ユメの目がとある一体に止まる。


 手のひらにすっぽり収まりそうな、パンダのぬいぐるみ。鞄につけられるように、細いストラップがついていた。

「茜、これ……よかったら、もらってくれませんか」


 今日一日、あたたかな気持ちをたくさん受け取った。そのお返しがしたかった。ことさら何か大げさなわけじゃなくて、ただ、ささやかな感謝を伝えたかった。

 茜は目を丸くし、次の瞬間にはぱっと頬をゆるませた。


「えええっ、超好きだし、嬉しすぎるんだけど!」


 声に弾みが混じる。

「じゃあ、わたしはこれにする」


 茜はすぐそばに並んでいたゾウのぬいぐるみに手を伸ばす。サイズも似ていて、同じようにストラップがついていた。


「これ、ユメにあげるね。プレゼント交換ってことで!」

「でも、今日はずっと茜が案内してくれて、チケットも……私は、もらってばかりで」

「いいの。感謝されるほどのことしてないし、ユメにはいつも助けられてる。ほんとは、わたしが毎秒ありがとうって言いたいくらいなんだよ?」

 茜の言い回しは大げさだけれど、そこに嘘はなかった。

 助けられているのは、自分のほうだ。沈んでいた気持ちを引き上げてくれたのは、ほかでもない茜だった。

 ユメはその気持ちをそっと胸に収めるようにして、うなずいた。

「……じゃあ、お互いに、プレゼントしましょう」

「うんっ。おそろいだね」

 ふたりは並んでレジに向かう。買い物カゴの中で、パンダとゾウが肩を寄せ合っていた。

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