翌日。風がやたらと気持ちよかった。真夏なのに照り返しは控えめで、空気まで空気を読んでいた。タキは「あざ〜っス、天気!」と心の中で叫んだ。今日は最高のライブ日和だ。

 昼の二時を回った頃、ギターをぽろんと鳴らしながら、ちらちらと通りの向こうを気にしていた。
オババがいつ来るのかは知らされていなかったが、前日にユメが「明日は二時からでお願いします」と珍しく伝えてきた。

 これまでのライブは、タキがひとりで音を鳴らしていると、ユメがひょっこり現れてそのまま始まる、ゆるすぎるスタイルだった。ところが今日は、開始時刻がばっちり決まっている。

 じゃらんと弦を鳴らしていると、にゃあ太が足元にぺたりと腰を下ろした。さすが皆勤賞の猫。今日も安定のフライング登場だ。


 ほどなくして、「お待たせしました」とユメの声が届いた。黒Tにプリーツスカートという、いつもの見慣れたシルエット。

 ただ、そのすぐ後ろに、ユメより少し背の高い少女がくっついていた。肩をすくめて目立たないようにしていたが、隠しきれていない。

「ん? 後ろにいるの、どちらさま?」

 問いかけに対して、ユメがさらりと返した。

「はい。友達のすみあかねさんです。今日はサクラをお願いしました」

 サクラって。オブラートってものを知らないのか、ユメっちは。内心でツッコみながら、タキはその茜とやらに視線を向けた。両足ががくがく揺れていた。


 ひと言でも話しかけたら、後ろに跳ねて逃げそうな気配すらある。人見知りか、それともタキが怖いのか。いや、その両方な気もする。

 とりあえず、うざくなりすぎない程度の明るさでいくと決めた。


「はっじめましてー! 俺はタキ! ユメっちとセッションしてる伝説の男っス!」

「はじめまして。俺はタキ。ユメっちとセッションしてる、うるさい男、だそうです」

 ユメがしれっと通訳めいたセリフを口にして、タキは思わずのけぞった。

「おいおいおい! どこからうるさいが生えた!? 俺のどこにそのワードが!?」

 ユメは返事もせず、茜のほうへと向き直る。

「大丈夫です。彼は騒がしいですが、害はありません」

 フォローなのか注意喚起なのか、よくわからない。

「よ、よろしく……お願いします」

 茜は視線を足元に落としたまま、小さくつぶやいた。

 茜は髪をきゅっとまとめ、白いTシャツに淡いブルーのワイドパンツを合わせていた。とびきり華やかなわけではないのに、全体のバランスがきれいに整っていて、どこか品が漂っていた。

 ユメとは違う方向性だけど、見た目の可愛さなら並んでる。タキは、心の中でこっそり評価していた。

 だが、数秒で気づいた。この子は、ユメのように軽口でぐいぐい距離を詰めていいタイプじゃない。そう感じた瞬間、タキのテンションも自然と調整された。


 さあ行くか、と思いかけたそのとき、ユメが唐突に切り出した。

「オババは夕方に来ます。『適当にやっといて』とのことです」

「了解。じゃ、ゆるっと鳴らしときますか」

「茜、ここに座ってください」

「う、うん……」

 ユメがいつものビールケースと板で即席の椅子をつくり、手際よく茜をそこへ案内した。

 茜はそろりと腰を下ろしたものの、タキのことはまだ警戒しているらしく、視線が泳いでいた。
 

 ところが、にゃあ太がするりと膝に乗ってくると、目を丸くして、それからふわりと笑った。

 茜ちゃん、100%いい子すぎる案件なんですけど。そう思った気持ちは、一曲目が終わったあとに確信へと変わった。

「犬のおまわりさん」のラストコードが鳴り終わると、茜はぱちぱちと拍手をくれた。ぎこちなさは残っていたけど、ちゃんと聴いてくれていたのが伝わってきた。

 人間からの拍手。それをもらえたのは、六日目にして初めてだった。タキは、ひと呼吸置いてから口を開いた。

「……お客さん、リピーター決定ですね」

 するとユメが、

「お客さん、まだまだこれからです」

 と、嬉しいことを言ってくれたので、タキは一気にテンションが跳ね上がった。

「ああ、そうだ! じゃあ次は、激アツの『ゾウさん』だ!」


 そんなふうにして、「ユメのたき火」はじわじわと火力を上げていく。

 何曲か演奏するうちに、にゃあ太がいつものように足元にやってきて、そこへ毛並みの乱れた野良猫たちもぞろぞろと合流した。


 鳩は遠くで行ったり来たりしながら、首を小刻みに動かしてリズムに合わせている……ような気がする。


 電柱のてっぺんでは、例のカラスがじっとこちらを見下ろしていた。まるで審査員のような顔つきで。

 そのど真ん中で、ユメの歌声がすっと伸びた。通りの空気を優しく撫でていくような、さらさらとした音が続く。


 歌詞の切れ目でふと空白ができて、そこにぴったり、にゃあ太が「にゃあ」とひと鳴き。タキは軽くギターを鳴らしながら、口元をゆるめた。

「うん、今日もいつメンそろってるな」

 人間の観客は、茜ひとり。けれど、その茜が笑顔で手拍子を合わせてくれているだけで、ライブの満足度はMAXだった。


 そんなとき、向こうからゆっくり歩いてくる夫婦の姿が目に入った。ふたりとも三十代くらい。女性のお腹がほんのり丸く膨らんでいて、見た感じ妊婦さん。穏やかな表情を浮かべながら、ふたり並んで足を止めた。

 これはもしかして、観客が増える……?

 そう思った次の瞬間、ユメがぴたりと歌をやめた。

 え、どうした? とタキが目を向けると、ユメは夫婦の男性のほうをじっと見つめていた。

 ギターに置いていた指を離し、タキはユメに顔を寄せた。

「……知り合い?」

「……男性のほうが、前に依頼された方です」

 ユメは声を落とし、表情をほんの少し引き締めた。

 ということは、つまり――変換済みの誰か、ってことだよな?
 やば。これ、ルール的にかなりギリギリなやつじゃ……確か、変換前の話を外でバラしたら……。

 思い出しただけで、背筋がすうっと冷えた。


 張り詰めた空気をふわっとやわらげるように、妊婦さんがにこやかに声をかけてきた。

「とってもきれいな声。聞いてってもいいかしら?」

「はい、ぜひ、聞いてください」

 ユメが返すと、茜がすかさず立ち上がり、自分の席を妊婦さんに差し出す。

「座ってください」

「え? いいの?」

「はい」

「ありがとう」

 妊婦さんは腰を下ろし、茜はその隣に立った。その光景を眺めながら、タキは内心で拍手を送りたくなった。茜ちゃん、やっぱりいい子。
 

 そして、気づけば人の観客が「3」。やばいくらい胸熱になる。

 旦那のほうは、妊婦さんの隣で静かに立っていた。口を開くこともなく、全体の空気を崩さないように馴染んでいる。何事も起きずに済んで、本当に助かった。


 そのとき、ユメが近づいてきて、声を落として言った。

「……ここで『ラスト・ホリデー』を歌いませんか?」

「……え? もう? オババは来てないっしょ?」

「でも、今が一番いい気がします。人間三名、動物多数。たぶん猫だけで十五匹以上います」

 言われて足元を見ると、猫たちが勝手に木陰を分け合いながら寝そべっていた。ギターケースに爪を立てる強者もいて、集まった猫たちはどの顔もやたらと場慣れしていた。

「……そ、そうだね。うん、任せた」

「……ありがとうございます。では、私が進行を担当します」

 ありがたかった。最初から無理だとわかっていたし、そのつもりでいた。なのに、どこかでもやっとしていた。

 任せるのが正解だと理解しているのに、のにな――そんな考えが、ふいに湧いた。


「皆さん、今日は『ユメのたき火』のスペシャルライブにお越しいただき、ありがとうございます。少し不思議かなって思うかもしれませんが、細かいところは突っ込まないでもらえたら助かります。私はそこまで歌が好きなわけじゃないですし、普段はこんなふうに淡々と話します。ですが、私の歌を褒めてくれる人がいて、その人は、とてもギターが上手な方です。まぁ、少しうるさいところもありますが、愉快な方です」

 ユメの語りに引き寄せられるように、人が増えていた。立ち止まる人、腰を下ろす人、通りの端でこっそり様子をうかがう人。ざっと見ても二十人はいた。気まぐれな猫たちも、しれっと並んでいる。

 その中に、見覚えのある後ろ姿があった。オババだった。人の輪の外側で、どこか涼しい顔をして立っていた。何も言わず、でもちゃんと、約束どおり来てくれていた。

「次に歌う曲は、ラスト・ホリデーというほんのり切ない、夏の夜にぴったりのナンバーです。まだ空は明るいですが、よければ目を閉じて聴いてみてください。ギターの音が、そっと耳に届くと思います。私は、それに合わせて歌います」

 ユメが手を少しだけ上げ、控えめな合図をくれる。


 ――やべぇ……ユメっち、好きすぎて、二回死ねる……。


 タキの心が盛大に暴れかけたが、それをそのまま言えば終わると本能が告げていた。


 なので、代わりにいつもの調子で、うるさめの笑顔を浮かべてごまかす。

 そのあとで、ユメが言った。ほんのり優しい声で。

「それでは聴いてください。ラスト・ホリデー」

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