8
翌日。風がやたらと気持ちよかった。真夏なのに照り返しは控えめで、空気まで空気を読んでいた。タキは「あざ〜っス、天気!」と心の中で叫んだ。今日は最高のライブ日和だ。
昼の二時を回った頃、ギターをぽろんと鳴らしながら、ちらちらと通りの向こうを気にしていた。 オババがいつ来るのかは知らされていなかったが、前日にユメが「明日は二時からでお願いします」と珍しく伝えてきた。
これまでのライブは、タキがひとりで音を鳴らしていると、ユメがひょっこり現れてそのまま始まる、ゆるすぎるスタイルだった。ところが今日は、開始時刻がばっちり決まっている。
じゃらんと弦を鳴らしていると、にゃあ太が足元にぺたりと腰を下ろした。さすが皆勤賞の猫。今日も安定のフライング登場だ。
ほどなくして、「お待たせしました」とユメの声が届いた。黒Tにプリーツスカートという、いつもの見慣れたシルエット。
ただ、そのすぐ後ろに、ユメより少し背の高い少女がくっついていた。肩をすくめて目立たないようにしていたが、隠しきれていない。
「ん? 後ろにいるの、どちらさま?」
問いかけに対して、ユメがさらりと返した。
「はい。友達の
サクラって。オブラートってものを知らないのか、ユメっちは。内心でツッコみながら、タキはその茜とやらに視線を向けた。両足ががくがく揺れていた。
ひと言でも話しかけたら、後ろに跳ねて逃げそうな気配すらある。人見知りか、それともタキが怖いのか。いや、その両方な気もする。
とりあえず、うざくなりすぎない程度の明るさでいくと決めた。
「はっじめましてー! 俺はタキ! ユメっちとセッションしてる伝説の男っス!」
「はじめまして。俺はタキ。ユメっちとセッションしてる、うるさい男、だそうです」
ユメがしれっと通訳めいたセリフを口にして、タキは思わずのけぞった。
「おいおいおい! どこからうるさいが生えた!? 俺のどこにそのワードが!?」
ユメは返事もせず、茜のほうへと向き直る。
「大丈夫です。彼は騒がしいですが、害はありません」
フォローなのか注意喚起なのか、よくわからない。
「よ、よろしく……お願いします」
茜は視線を足元に落としたまま、小さくつぶやいた。
茜は髪をきゅっとまとめ、白いTシャツに淡いブルーのワイドパンツを合わせていた。とびきり華やかなわけではないのに、全体のバランスがきれいに整っていて、どこか品が漂っていた。
ユメとは違う方向性だけど、見た目の可愛さなら並んでる。タキは、心の中でこっそり評価していた。
だが、数秒で気づいた。この子は、ユメのように軽口でぐいぐい距離を詰めていいタイプじゃない。そう感じた瞬間、タキのテンションも自然と調整された。
さあ行くか、と思いかけたそのとき、ユメが唐突に切り出した。
「オババは夕方に来ます。『適当にやっといて』とのことです」
「了解。じゃ、ゆるっと鳴らしときますか」
「茜、ここに座ってください」
「う、うん……」
ユメがいつものビールケースと板で即席の椅子をつくり、手際よく茜をそこへ案内した。
茜はそろりと腰を下ろしたものの、タキのことはまだ警戒しているらしく、視線が泳いでいた。
ところが、にゃあ太がするりと膝に乗ってくると、目を丸くして、それからふわりと笑った。
茜ちゃん、100%いい子すぎる案件なんですけど。そう思った気持ちは、一曲目が終わったあとに確信へと変わった。
「犬のおまわりさん」のラストコードが鳴り終わると、茜はぱちぱちと拍手をくれた。ぎこちなさは残っていたけど、ちゃんと聴いてくれていたのが伝わってきた。
人間からの拍手。それをもらえたのは、六日目にして初めてだった。タキは、ひと呼吸置いてから口を開いた。
「……お客さん、リピーター決定ですね」
するとユメが、
「お客さん、まだまだこれからです」
と、嬉しいことを言ってくれたので、タキは一気にテンションが跳ね上がった。
「ああ、そうだ! じゃあ次は、激アツの『ゾウさん』だ!」
そんなふうにして、「ユメのたき火」はじわじわと火力を上げていく。
何曲か演奏するうちに、にゃあ太がいつものように足元にやってきて、そこへ毛並みの乱れた野良猫たちもぞろぞろと合流した。
鳩は遠くで行ったり来たりしながら、首を小刻みに動かしてリズムに合わせている……ような気がする。
電柱のてっぺんでは、例のカラスがじっとこちらを見下ろしていた。まるで審査員のような顔つきで。
そのど真ん中で、ユメの歌声がすっと伸びた。通りの空気を優しく撫でていくような、さらさらとした音が続く。
歌詞の切れ目でふと空白ができて、そこにぴったり、にゃあ太が「にゃあ」とひと鳴き。タキは軽くギターを鳴らしながら、口元をゆるめた。
「うん、今日もいつメンそろってるな」
人間の観客は、茜ひとり。けれど、その茜が笑顔で手拍子を合わせてくれているだけで、ライブの満足度はMAXだった。
そんなとき、向こうからゆっくり歩いてくる夫婦の姿が目に入った。ふたりとも三十代くらい。女性のお腹がほんのり丸く膨らんでいて、見た感じ妊婦さん。穏やかな表情を浮かべながら、ふたり並んで足を止めた。
これはもしかして、観客が増える……?
そう思った次の瞬間、ユメがぴたりと歌をやめた。
え、どうした? とタキが目を向けると、ユメは夫婦の男性のほうをじっと見つめていた。
ギターに置いていた指を離し、タキはユメに顔を寄せた。
「……知り合い?」
「……男性のほうが、前に依頼された方です」
ユメは声を落とし、表情をほんの少し引き締めた。
ということは、つまり――変換済みの誰か、ってことだよな? やば。これ、ルール的にかなりギリギリなやつじゃ……確か、変換前の話を外でバラしたら……。
思い出しただけで、背筋がすうっと冷えた。
張り詰めた空気をふわっとやわらげるように、妊婦さんがにこやかに声をかけてきた。
「とってもきれいな声。聞いてってもいいかしら?」
「はい、ぜひ、聞いてください」
ユメが返すと、茜がすかさず立ち上がり、自分の席を妊婦さんに差し出す。
「座ってください」
「え? いいの?」
「はい」
「ありがとう」
妊婦さんは腰を下ろし、茜はその隣に立った。その光景を眺めながら、タキは内心で拍手を送りたくなった。茜ちゃん、やっぱりいい子。
そして、気づけば人の観客が「3」。やばいくらい胸熱になる。
旦那のほうは、妊婦さんの隣で静かに立っていた。口を開くこともなく、全体の空気を崩さないように馴染んでいる。何事も起きずに済んで、本当に助かった。
そのとき、ユメが近づいてきて、声を落として言った。
「……ここで『ラスト・ホリデー』を歌いませんか?」
「……え? もう? オババは来てないっしょ?」
「でも、今が一番いい気がします。人間三名、動物多数。たぶん猫だけで十五匹以上います」
言われて足元を見ると、猫たちが勝手に木陰を分け合いながら寝そべっていた。ギターケースに爪を立てる強者もいて、集まった猫たちはどの顔もやたらと場慣れしていた。
「……そ、そうだね。うん、任せた」
「……ありがとうございます。では、私が進行を担当します」
ありがたかった。最初から無理だとわかっていたし、そのつもりでいた。なのに、どこかでもやっとしていた。
任せるのが正解だと理解しているのに、俺にもできたらよかったのにな――そんな考えが、ふいに湧いた。
「皆さん、今日は『ユメのたき火』のスペシャルライブにお越しいただき、ありがとうございます。少し不思議かなって思うかもしれませんが、細かいところは突っ込まないでもらえたら助かります。私はそこまで歌が好きなわけじゃないですし、普段はこんなふうに淡々と話します。ですが、私の歌を褒めてくれる人がいて、その人は、とてもギターが上手な方です。まぁ、少しうるさいところもありますが、愉快な方です」
ユメの語りに引き寄せられるように、人が増えていた。立ち止まる人、腰を下ろす人、通りの端でこっそり様子をうかがう人。ざっと見ても二十人はいた。気まぐれな猫たちも、しれっと並んでいる。
その中に、見覚えのある後ろ姿があった。オババだった。人の輪の外側で、どこか涼しい顔をして立っていた。何も言わず、でもちゃんと、約束どおり来てくれていた。
「次に歌う曲は、ラスト・ホリデーというほんのり切ない、夏の夜にぴったりのナンバーです。まだ空は明るいですが、よければ目を閉じて聴いてみてください。ギターの音が、そっと耳に届くと思います。私は、それに合わせて歌います」
ユメが手を少しだけ上げ、控えめな合図をくれる。
――やべぇ……ユメっち、好きすぎて、二回死ねる……。
タキの心が盛大に暴れかけたが、それをそのまま言えば終わると本能が告げていた。
なので、代わりにいつもの調子で、うるさめの笑顔を浮かべてごまかす。
そのあとで、ユメが言った。ほんのり優しい声で。
「それでは聴いてください。ラスト・ホリデー」
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