蒼い春

猫柳蝉丸

本編

「秋山先輩、今日は急に呼び出したりしてすみません」


「いいのよ、日高くん。私も日高くんと久しぶりに話したいなって思ってたところだもの。ところで日高くん、今日は何の用事なの?」


 僕は高鳴る鼓動をどうにか押し留めながら秋山先輩と向かい合う。

 最近の高校には珍しく年中解放されている屋上で、夕焼けに照らされながら二人きりなんてうってつけのシチュエーションだ。

 そう、僕は今日、これから秋山先輩にこの胸に秘めていた想いを告白をする。

 成功するなんて思い上がってはいない。

 むしろ僕のこの想いが届かない可能性の方が遥かに高いと言っていいだろう。

 だけど、いいんだ。僕はこの想いを届けられる最後のチャンスに賭けたいだけなんだから。

 僕は深く、大きく深呼吸してから、先輩に思いのたけを伝え始める。


「秋山先輩、僕と秋山先輩が初めて出会ったのはこんな夕焼けの中でしたね。中学校では文化祭のポスターを頼まれる程度の画力だった僕が、美術部の門を叩くのはとても勇気が必要だったのをまるで昨日のことのように思い出します」


「そうだったわね、日高くん。日高くんってば部室の前でずっと迷っていたものね。話しかけていいのか私の方もちょっと迷っちゃったわ」


「あの時はすみません。でも、秋山先輩が声を掛けてくれたおかげで、僕は勇気を出すことができました。美術部には入れて、秋山先輩と知り合えて、この一年間、まるで夢のように楽しかったです」


「そう? そう思ってくれるのなら私も嬉しいわ」


 秋山先輩が目を細めておっとりと微笑んでくれる。

 ああ、そうだ。僕はこの秋山先輩の表情が大好きなんだ。大好きで大好きで、だから、この想いを伝えなきゃって思ったんだ。

 僕は拳を握り締め、ずっと伝えたかった想いを言葉にする。言葉にして、想いを届ける。


「秋山先輩。僕は秋山先輩のことが好きです。秋山先輩と過ごす美術部での時間が大好きなんです。二人で絵を描いて、好きな画家や絵筆について語ったりするのが大好きだったんです。だから……」


「日高くん……」


 秋山先輩の表情は夕焼けに照らされてよく分からない。

 分かってくれだろうか?

 秋山先輩には僕の伝えたかった想いを受け取ってくれたのだろうか?

 数秒? 数分? とにかくどれくらいかの時間が経った後、秋山先輩は長い黒髪をかきあげてから笑ってくれた。


「私も日高くんのこと大好きよ。決まってるじゃない」


「秋山先輩……、それじゃ……!」


「そうね……! 今日は私の家で朝までセックスしましょう!」







 分かってねえええええええ!







 僕はそう突っ込みたいのを我慢して、もう一度深呼吸する。

 落ち着け、落ち着くんだ、日高明弘。秋山先輩がそういう人なのは心の底からよく分かってるじゃないか。

 だからこそ今日僕の想いを届けに来たんじゃないか。


「いや、違うんですよ、秋山先輩。僕は先輩と過ごす時間が好きなんですよ、分かりますよね?」


「私だって日高くんと過ごす時間が好きよ? だからセックスしたいんじゃない。日高くんだって好きでしょう?」


「いや、好きですけど……。嫌いな高校生男児の方が少ないですけど……」


「そうでしょう? だから日高くんとセックスするようになってから先月まで、ほとんど毎日していたんじゃない」


 毎日ならまだいいんだよね、毎日なら。

 ヌードデッサンをしようと秋山先輩が提案した時、邪な期待が無かったと言ったら嘘になる。

 秋山先輩とそういう関係になれて夢のような毎日だったのは認める。

 けれど、僕が夢見ていた秋山先輩と過ごす日々はこういうものじゃなかった。

 デパートや映画館、遊園地や水族館、そういう所を二人で手を繋いで周ったりして、別れ際に触れるだけのキスしてみたり、そういう高校生らしい青春を期待していたんだ、僕は。

 それが今はどうだ。美術部に顔を出した途端、幽霊部員が多いのをいいことに日が落ちるまで秋山先輩の淫行に付き合うことになる。

 淫行って言い方は悪いけれど、正直そうとしか言いようがない。二人で学校の廊下を全裸で徘徊してみたり、そういうのは一般的に淫行としか呼ばないと思う。


「そりゃあ僕だって秋山先輩とキスをするのは好きです。セックスだって嫌いじゃないんです。でも、こう……、好き合う二人には他にも色々することがあるでしょう?」


「二人で他にすること……?」


「そうです。思い浮かびませんか?」


「そうね……。ごめんなさい、日高くん。私、そこまで思い浮かばなくて……」


「分かってくれたんですかっ?」


「日高くん、本当は受けがやりたかったのね? ごめんなさい、私、気付かなくて……」


「デートです!」


「デート……?」


「そこで首を傾げないでくださいよ!」


「だって……、デートってセックスまでの道のりでしょう? もうセックスしてる二人に必要あるのかしら?」


 何だろう、僕の方が間違ってるのかな……。

 屈託も無い瞳で見つめられると自分が間違ってるような気がしてくる……。

 いいや、しっかりしろ日高明弘。今日が僕の最後と決めたチャンスなんじゃないか。

 僕は挫けそうになった心を奮い立たせ、秋山先輩の肩を掴んで想いをぶつける。


「あの……、秋山先輩、この一年の美術部、楽しかったですか? 僕はとても楽しかったんです。部員が少ない部活だったけれど、週三回の部活が楽しくて楽しくて……、とても楽しい毎日だったんです」


「……ええ、私だってこの一年間、とっても楽しかったわ。唯一の後輩の日高くんとの部活、今見ても夢のようだわ」


「そうですよね? 楽しいと感じていたのは……、僕だけではなかったんですよね?」


「ええ、もちろんよ」


 そうだよ、楽しかったじゃないか。

 淫行無しでも秋山先輩との毎日はとても楽しかったんだ。

 絵を思ったよりも上手く描き上げられたこと、二人で美術館を巡ったこと、映画館やゲームセンターで遊んだこと。

 どれもどれも秋山先輩との大切な思い出なんだ。

 そうして、秋山先輩は屈託の無い晴れやかな笑顔を僕に向けてくれた。


「日高くんをどうセックスに誘おうか悶々としている毎日、思い出してみたら楽しかったもの。日常とシチュエーションを重ねてこそ燃え上がるってものよね!」


 あー……。

 まあ、そうなるよね。

 そうなる気はしてた。別に秋山先輩が間違ってるわけじゃない。価値観が全然違ってただけなんだ。強くそう思う。

 僕は秋山先輩が好きだ。秋山先輩と過ごす何気ない時間が好きだったんだ。

 秋山先輩も僕のことを好きではいてくれているのだろう。さすがの秋山先輩でも好きでない相手を淫行に誘ったりはしないはずだ。でも、それは僕と同じ意味では決してない。

 同じ好きでも様々な色や形があって、それは尊いことだとは思うけれど、どうやっても埋め合わせられないこともある。

 つまりはそういうことなのだと思う。

 そして僕は、そのすれ違いには耐えられそうにない。大切なものが全く違うというすれ違いには。

 だから、僕は秋山先輩の肩から手を放して、できる限りの笑顔で最後の言葉を届けたんだ。










「退部します」



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蒼い春 猫柳蝉丸 @necosemimaru

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