終末契約:ユグドラシル・プロトコル

桜塚あお華

第00話 その日、空が裂けた

 本当に、一瞬の出来事だった。


 世界が終わる音を、俺は聞いた。


 それは十三年前の夏のことだった。

 昼下がりの空が、黒い線でひとつ裂けたのだ。

 まるで誰かが空に傷をつけたように。

 その亀裂から滲み出る闇は、何もかもを侵食していった。


 ニュースは最初、“気象異常”と報じていた。

 次に、“未確認物体の発生”。

 そして、その翌日には――“異界との接触”。


 世界は、終わっていた。


 それから十三年。自分は今、“向こう側”にいる。


     ▽


 目を覚ましたとき、レンは白い拘束椅子の上に座っている。

 これは、既に彼にとっては日常の一コマだ。


 金属のベッド。無機質なライト。

 静かに、耳の奥では、機械音声が絶え間なく鳴っている。


「精神安定指数、73パーセント。神経同期、継続中。契約体ネメシスとのリンク状態……安定」


 レンの体は管とコードに繋がれている。

 まるで、拘束されているような感覚になるが、それを考えるのはほんの一瞬のみ。

 皮膚の下を這う黒いラインは、神経接続ケーブル。

 背骨に埋め込まれた魔導コアが、今も微かに熱を帯びている。


 これは――自分が人間でなくなった証拠だ。


 灰原レン――それが、彼の名前だ。

 番号付きの兵士。契約兵No.001

 世界で最初に“異界との契約”を施された人柱――それが、彼だっだ。

 七歳で家族を失い、軍に回収され、

 手術台の上で“兵器”に作り替えられた。


『おはよう、レン』


 静かに頭の奥に甘い声が響く。

 それが“彼女”――契約体ネメシスの声。


 異界からやって来た存在であり、言語も思考も異なるはずなのに、彼女はまるで恋人のように、やさしく語りかけてくる。

 別に嫌ではないので、レンはただその声を静かに聞いていた。


『また出撃なの? あなた、最近眠りが浅いわね』

「……お前が夢に入ってくるからだ」

『嬉しいこと言ってくれる』


 彼女の笑い声が脳に直接こだまする。

 くすぐったいような、悪寒が走るような、奇妙な感覚。

 だがレンはそれに、もう慣れてしまっている――まるで侵食されるかのように。

 近くにいた人物に、レンは声をかけた。


「今日の任務はなんだ?」

「浸食区域E-11の制圧。対象は“自我を持つ異界個体”。殲滅命令が下りている」

『ふうん、かわいそうな子……でもレンが殺すのなら、きっと幸せね』


 レンは答えず、立ち上がる。

 足元に巻き付いた生体コードが絡む感触が、肉のように生々しい。


 兵装が起動し、背中に重みが走る。

 体温が下がるのを感じるたび、レンは自分が“人間”という感覚から少しずつ遠ざかっていく。

 戦うたびに、記憶が削れていく気がする。

 誰かの名前も、声も、何も思い出せない。


 だけど、それでいい。

 自分はただの兵器だから。

 軍の命令に従って、異界の“汚染”を焼き払うだけの存在――少なくとも、今日までは。


 “あの少女”に出会った事で、まさかの出来事が起こるなんて、誰が想像しただろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る