第3話 言霊

「そんなわけでこの箱はあの調査の時のものなんだよ」


 目の前には当時研究室の先輩だった素子がいる。大学と大学院の違いはあっても、僕と素子は同時に卒業して就職した。その調査の後から何となく意識をし始めるようになったが、本格的に付き合うようになったのは社会人になってからの事だった。そうして今では彼女は僕の妻だ。今ではおしゃべりなかわいい盛りの娘もいる。


 今日は朝から納戸に使っている部屋の整理をしていた。いや、本当は納戸ではなくずっと僕の家での仕事用だった部屋だ。最近では外に借りている仕事場で幾人かの人間と協働するようになったので、一人で家で仕事をする事も減ってしまった。

 当然そこには物が溜まり放題で物置の様になっていた。そろそろ娘にも部屋を与える準備をしないといけないので、少しずつガラクタを整理しているところなのだ。


 それで収納の奥の方に転がっていた昔のカバンを開けてみたら、長らく忘れていた赤い箱が出てきたので、リビングに持って行って昔の話を素子にしたというわけだ。

 律儀にも駐在さんの教えを守って、紙に書かれた言葉どころか、今までこの赤い箱の存在自体を誰にも話したことは無かった。いや、正直に言えば今の今まですっかり忘れていた。


 ソファーに腰かけている素子は、黙って話を聞いた後こちらを向いてこう言った。

「あれってもう十何年も前の話でしょ。よくそれを今まで黙っていたものね。で、その紙にはなんて書いてあったの?」


「それがさ、『チョコレート』だって。その女性は最後に甘いものが食べたかったのかな? 素子はチョコレートが苦手で食べられないって言ってたよね」


 僕の発言を聞いて素子は固まった。彼女の膝枕で三歳の娘は寝息をたてている。


「……とうとうその言葉を人に教えてしまったわね……」


 そう言う彼女からはいつもの優しい笑みが消えていた……。

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