言えず片想い
篠原かえでしろ
最後の告白
ねぇ、最近、元気ですか。
父が再婚することになった。
あまりに突然で、ぼくでさえ父が「気になる女性ができた」としか知らなかった。
海外出張ばかりのキャリアウーマンらしい。父は「絶対に結婚する、一緒になる」と宣言した。
——上海への引っ越しをぼくに命じた。
生まれて初めての強硬な命令に、逆らえなかった。
もうできなくなることが頭を巡る。昼休みに玲舟さんのお弁当を覗き見ることも、放課後の笑顔の「またね」も、先生に「挙動不審」と注意されながら君に話しかけたあの日々も。
些細なことばかりなのに、失うとなるとやっぱり胸が締めつけられる。
ねえ、知ってた?ぼくを変え、救ってくれた人は、君だよ。
それは春休み最終日、ベランダに佇んで東京タワーの先端を眺めていた。四月の突風が頬を撫でる。深く息を吸い、ゆっくりと窓枠に足をかけた。
風が騒ぐ中、なぜかふらつかなかった。
「風が止んだら、飛び降りよう」
そう思った瞬間——
枕元の携帯が鳴った。
振り返ると、もみ上げの髪が風に揺れる。何かを悟ったように窓枠から降りた。
画面に表示された名前は、催促広告でも配達員でも、ましてや父ですらなく——一年間ただひとり、連絡先を交換した君だった。
躊躇いながら通話ボタンを押す。
「もしもし?」 優しい声が温度のないスクリーンから流れてきた。「篠原くんですか?急にごめんね、学校の掃除で人手が足りなくて……来てもらえませんか?」
ぼくのことを覚えていてくれたんだ。
目頭が熱くなり、渇いた瞼が瞬きをするたび涙が零れた。
「篠原くん?」
「行きます」
その夜、君はファミレスに連れて行ってくれた。友達同士の輪に混じり、無価値なぼくを受け入れてくれたことがただ嬉しかった。
多分あの時から、君のことを意識し始めたんだ。
その後も質問を投げかけ、お喋りをし、バレンタインチョコを交換した。そんな穏やかな日々が、冷え切った心を溶かしていった。
君と知り合ってから、もう自殺を考えなくなった。君という存在が、生きる意味をくれたから。
ありがとう。君自身は自覚がないかもしれないけど。
でもわかってる。君の優しさはぼくだけのものじゃない。鼻を啜る隣席にティッシュを差し出し、後ろの席にチョコを分け与え、無口な同級生に傘を貸す――
誰にでも等しく祝福を振りまく君は、皆の心の中で永遠に輝き続けるんだろう。
ぼくがいなくても、君はきっと平気でいてくれる。でも「生きる理由」を君に託したぼくにとって、この別れは魂を引き裂く痛みだ。まるで心を無理やり引き剥がされるような言葉にできない苦しみが、ここ数日ずっと胸を締めつけている。窓の外を見ると、またあの時の衝動が蘇る。
でももう飛び降りない。
夜も朝も、孤独に苛まれた日々も、生きる意味を奪われそうになった瞬間も、全部乗り越えてきた。
玲舟さんからもらったものは多すぎる。温もりも、優しさも、息を続ける理由も。たとえ離れていても、もう会えなくても、君がいる方角を眺めるだけで明日を迎えられる。
だって忘れないから。ぼくは何のために、ここまで生きてきたのかを。
またね、大好き。
言えず片想い 篠原かえでしろ @Shinohara_Kaedeshiro
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