ゆめうつつ
小城海馬
正夢
ディスプレイが光る暗い部屋の中に、白衣を着た2人の男がいた。1人は椅子に座っていて、もう1人はその隣に立っていた。人というよりは、人に擬態した何かという言い方のほうが正しいような雰囲気だ。
「オブセルバドール、実験体No.12の結果はどうだ?」
立っている男が、聞いたことのない奇妙な言語で訊く。
「ええ。予想通り、実験体No.12は他の実験体と同じ行動を取りました。十分データは取れたので、実験は次で終了でいいでしょう」
オブセルバドールと呼ばれた男は、低い声で説明する。
「分かった。最後の実験体はもう決まってるのか?」
「はい。日本国東京都国分寺市に暮らす夢野小弓、17歳の女です」
オブセルバドールは淡々とそう伝える。
「そうか。じゃあ、その人間が1人でいるときに私が話しに行こう」
「了解しました。上にも伝えておきます」
オブセルバドールはそう言うと、モニターに向き合った。立っている男は用件を済ましたのか、部屋から出ていった。
「実験が終われば、この星も恒星系ごと無くなるのか……」
オブセルバドールは、誰にも聞こえないくらいの小さな声で呟いた。
「元気だしなよ。良いじゃん、先生に叱られたぐらい。私だって叱られたことあるよ」
「私の場合はその回数なんだよなぁ……」
夕焼けに染まる空の下でへこたれながら歩く私に、友達のるのちゃんが私の背中をさすりながら声を掛ける。
私の名前は夢野小弓(ゆめのこゆみ)、東京の国分寺に暮らす高校生だ。るのちゃんからはこゆと呼ばれている。
「で、今日は何で叱られたの?」
「最初は遅刻して、その次は宿題を忘れて、その次は授業中居眠りして叱られた……」
私は下を向きながら答える。我ながら、1日にここまで叱られた学生は私くらいしかいないんじゃないかと思う。
「今日もたくさん叱られたね。それが嫌なら自分で改善すればいいのに」
「でも遅刻は朝弱いからだし、宿題は遅刻に焦ってカバンに入れ忘れるからだし、授業中居眠りしちゃうのはどうしても眠いからだし……どう改善すればいいの?」
るのちゃんは浅くため息をつき、かけている眼鏡を上げる。
「改善する所いっぱいあるじゃん。夜早く寝れば朝はすんなり起きれるし、授業中眠くなることも無くなる。宿題は寝る前にカバンに入れとけばいいでしょ」
「うーん、でもゲームもたくさんしたいからなぁ……夜早く寝るのは難しそう」
るのちゃんは今度は深いため息をつく。
「こゆ……社会人になったら苦労しそうだね」
私はなんて返事すればいいか分からず、苦笑する。
「それじゃあ、また明日。明日は遅刻しないようにね」
「努力はする!」
るのちゃんの家の前で別れを告げ、私は1人で狭い道を歩く。一気に辺りが静かになり、聞こえるのは遠くで走っている西武線の走行音だけだ。
私は鼻歌を歌いながら空を見上げる。どこまでも広がるオレンジ色の空には、1機の旅客機が飛行機雲を出しながら飛んでいた。飛行機は自由でいいなあ。叱られることもないし、自由に広大な空を飛ぶことができる。来世は飛行機で決まりだな。
そんなことを考えていると、急に目の前の電灯がぷつんと消えた。
「……故障かな?」
私が呟くと、奥の電灯も順番に消えていった。そして、それとともに空も急に暗くなった。隣の家の明かりも塗りつぶされたように光を失い、辺りは1メートル先も見えないくらい暗くなった。
「えっ!?何……!?」
私は怖くなり、その場に縮み込む。コツコツという足音も奥から聞こえてきて、私は後退りをする。今すぐここから逃げ出したいのに、恐怖で体が固まって少ししか動かない。そうしている内に足音はどんどん大きくなり、ついに私の目の前にまで迫ってきた。そして――
ぷつん
目の前にある街灯が付き、前が見えるようになった。足音の正体は、バイオハザードのタイラントが着ているような服を着た、背の高い男の人だった。帽子を深くかぶっていて、顔がよく見えない。
「こんにちは」
「えっ?ああ、こんにちは……」
いきなり挨拶をされ、私はとりあえず挨拶を返す。良かった、怖い怪物とかじゃなくて。
「見た夢が現実になる能力、要りますか?」
「え?」
私は一瞬なんて言われたのか分からなかった。少しして意味を理解し、また困惑する。
「見た夢が現実になる能力、ですか?なんですかそれ」
「例えば、お金をたくさんゲットする夢を見たら現実でもお金をたくさん得ることができて、逆にお金をたくさん失う夢を見たら現実でもお金をたくさん失ってしまう、という能力です。要りますか?」
要りますかって言われてもなぁ……。まあ、ここは適当にあしらっておこう。
「じゃあ、ください」
すると、かろうじて見える男の人の口角が上がった。
「分かりました。それでは」
男の人はそう言って、暗闇へ歩いていった。少しすると奥の電灯や周りの家の電気が付き、空も少し明るくなった。
男の人が歩いていった方を見ると、コンクリートの塀が立ちはだかっていた。
「……なんだったんだろう」
私はそう呟き、歩き出した。
あれ……ここどこだろう……なんか悲鳴が聞こえるな。私は目を開く。
「おい!何してるんだ!早く逃げなさい!」
1人の男の人が私の前で叫び、後ろの方へ逃げていく。何かあったのかな。私は目を凝らして前の方を見る。
前には大きなビルが立っていて、見た瞬間になんとなくそれが麻布台ヒルズだと分かった。今私は芝生の広場にいて、近くにある時計は時刻が5時40分であることを告げていた。上の方を見ると、ビルの上部が燃えていてたくさんの煙が上がっていた。
「火事……?」
私がそう呟いた瞬間――
ドカアアアアアン!!!
耳をつんざくような轟音と共に、ビルの上部から凄まじい炎と煙が上がった。何かが上で爆発したようだ。
ガラスが上から降ってきて、スマホを構えて撮影していた人も逃げていく。再び爆発音が聞こえ、ビルの下部から炎が上がる。その爆発のせいか、ビルが少しずつ私の方へ傾いていく。今までに経験したことがないくらいの揺れが辺りを包み、私は立つことができずその場にしゃがみ込む。
あっという間にビルは太陽の光を遮り、ガラスの雨が降り注ぐ。救急車のサイレンの音や悲鳴が耳に届き、私は悲鳴を上げる。が、自分の声ですら耳に届かない。ビルは私の視界を完全に覆う。
――もうだめだ。私は諦めて目を閉じた。
「――っはぁ……!」
私は思い切り飛び起きる。肋骨の中で心臓が暴れている。体中に汗がびっしょりついている。ここは……私の部屋だ。
おかしい、さっきまで私は麻布台ヒルズの広場にいたはずだ。それで、ビルが爆破されて……そうか、夢だったんだ。良かった。そりゃそうだ、そんな事あるわけない。
――でも、夢にしてはリアルすぎたような……。そこで私はある言葉を思い出した。
「見た夢が現実になる能力、要りますか?」
……そうだ。昨日、謎の男の人にそんなことを言われたんだった。いるって言ったあと、その人はそのままどこかに行ってしまった。そのことが関係あるのだろうか。もしそうだとしたら、夢で見たことが現実でも起きるということ?いや、そんな訳無いか……。
「小弓ー!早く起きなさいー!」
私が考えていると、リビングからお母さんの怒鳴る声が聞こえた。私は「起きたー!」と大声で返し、ベッドから出た。
「こゆ、どうしたの?なんか今日は朝から元気ないじゃん」
学校から帰る途中、るのちゃんが唐突にそう切り出した。
「え?いや、そんな事ないよ!」
ぎくりとしつつも、私はとりあえず嘘をつく。顔に出てたみたいだ。
「ほんとぉ?」
るのちゃんは疑っている顔をして私の顔を覗き込み、私は笑顔を取り繕う。
「まあ、良いや。それじゃあ、また明日」
るのちゃんは私に手を振って家の中に入り、私も手を振り返す。るのちゃんの姿が見えなくなると、私は急いで走って家に帰る。夢で見たことが本当に現実で起きるのか、確認するためだ。
夢では5時40分頃に麻布台ヒルズが崩壊した。その時刻になるまで、あと10分くらいしかない。5分程走り、私は家に着いた。乱暴に扉を開け、乱暴に靴を脱いでリビングに行く。親はまだ帰ってきていないようで、リビングには誰もいなかった。
私は高校のバッグをソファに投げて、リモコンを手に取ってテレビの電源をつける。ちょうどテレビでは「news every」がやっていて、左上の時計は今の時刻が5時37分であることを告げていた。私はソファに座り、40分になるまで落ち着かない気持ちで待った。
「あと1分……!」
時刻が39分になり、私は更に緊張する。時間が経つのがこんなに遅く感じたのは、これが初めてだ。
10秒、20秒、30秒と経過して、左上の数字はついに40になった。私は思わず前のめりになってテレビを見る。
……が、何も起きない。1分くらい待ったが、テレビではいつも通り世界情勢についてのニュースをやっている。
……まあ、そりゃそうか。そんな事起きるわけない。私は何を期待していたのだろうか。私は立ち上がって、テレビを消そうとする。その時――
「えー続いて速報です。本日17時40分頃、港区麻布台ヒルズで爆発があったとのことです。詳しい事はよく分かっていませんが、現場のすぐ近くの東京タワーから中継で繋がっています」
え……?私は思わず手に持っていたリモコンを落としてしまい、カチャンという音が耳に届く。
テレビは東京タワーの展望台から中継しているアナウンサーの映像へと変わった。
「私たちは今、東京タワーの展望デッキにいます。隣にある麻布台ヒルズの上部から炎と煙が上がっているのが見えます」
アナウンサーはマイクを持ちながらカメラに向かって説明する。
「いや、ただの偶然だよね……そんなことある訳無い……」
私は自分に言い聞かせる。すると、次の瞬間――
「あっ!見てください!ビルの上部で再び爆発が起きた模様です!」
アナウンサーがそう言い出し、私は思い切りテレビに顔を近づける。アナウンサーが言った通り、ビルの上部で大きな爆発があったようだ。炎と煙が上がり、大量のガラスが下へ落ちていっている。
「あっ!またビルの下部で爆発が起きました!ああっ!ビルがどんどん傾いていきます!」
ビルはアナウンサーがいる場所とは反対側にゆっくりと倒れていく。カメラの近くにいる一般人の悲鳴が、呆然とする私の耳に入る。麻布台ヒルズは隣にあるビルにぶつかり、隣のビルもドミノのように傾いていく。
「嘘……」
私のせいだ……私があんな夢を見たからこんな事になったんだ……私があの時くださいなんて言わなければ……。
喉の奥がきゅっと苦しくなる。気付けば目から涙が溢れていた。私は手で涙を拭うが、いくら拭っても涙が止まらない。
「後悔しているようですね」
突然声が聞こえ、私は声がした方を見る。気付けば私がいる場所はリビングではなくなり、暗闇の中になっていた。
声の主は、昨日私に不思議な能力を渡したあの男の人だった。
「あの時の……!」
「交渉に来ました」
男の人は私を見下ろし、しゃがんで目線を私の目線と同じ高さに合わせる。そして、指で優しく私の涙を拭った。
「落ち着きましたか?」
少しして涙が収まり、男の人は優しく言いながら私に手を差し伸べる。
「はい……」
私は男の人の手を取って答える。
「それで、交渉ってなんですか?」
「後悔している様子だったので、新しく別の能力を渡しに来ました」
男の人は淡々と説明する。
「新しい能力……ですか?」
「はい。今度の能力は、見た夢が現実で起きないようにするために、超能力が使える能力です」
「……というと?」
私はよく理解できず訊き返す。
「例えば、あなたは爆破テロが起きて何人も死ぬ夢を見たとします。このままでは、現実でも同じ事が確実に起きてしまう」
「……!」
男の人は目を見開く私に構わず続ける。
「でも、そんな事は起こしたくない。この能力ではそんなときに超能力を使うことができます。超能力を使えば、爆破テロに使われる爆弾を無力化させるなどして爆破テロを起こさないようにすることができます」
男の人の言葉は、なぜか一つ一つがとても重く感じた。
「でも、それって私が何とかしなきゃいけないんですよね……?」
「はい。見てしまった以上、夢の責任は自分で取らなくてはいけません」
あなたが私に能力を渡したんだよね?という言葉が喉元まで出かかったが、ぐっとその言葉を飲み込んだ。その代わりに、私は気になっていたことを訊くことにした。
「一つ聞きたいんですけど、良いですか?」
「何でしょうか」
「私、普段あんな夢なんて見ないんですけど……何で急にあんな夢を見たんですか……?」
男の人は、私の質問に少し考える素振りをする。
「さあ、なぜでしょうね……」
少しはぐらかされた気がするが、気のせいだろうか。
「それはそうとして、説明は終わりましたがこの能力、要りますか?」
これからどんな夢を見るかわからない。もしかしたら、多くの命が私の夢のせいで失われるかもしれない。なら、私が何とかしないと……。
「はい、ください」
私は覚悟を決めて言う。すると、男の人の口角が上がった。
「では、交渉成立ということで」
男の人はそう言い残して暗闇へ消えていった。少しすると、暗闇はプールに1滴入れた墨汁のようにじわりと消えていき、気付けば周りはいつものリビングへと戻った。
……これから大変な日々になりそうだな。私はなんとなくそんな気がした。
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