第34話 招待状


「巫女姫よ。そなたとフェリオスの婚姻は険しい道のりになるだろう。これから皇城へ出向く機会もあろうが、そなたは厳しい現実を知るだろう。それでもフェリオスの妻となるのか?」


「……なります。私は自分の心に偽りなく、愛する人を選んだのです」


 さあっと涼しい風が吹き、私の長い髪が背中へ流れた。

 穏やかな顔をしていたイスハークが、何かに驚いたように目を見ひらく。


「その、耳の下は……」


「あっ!」


 しまった。

 マジメに受け答えしようと頑張ったせいで、耳のことを忘れてたわ……!


「あの、これはですね。変な姿勢で寝たせいで、跡が付いちゃったみたいなんです。恥ずかしいから、あまり見ないでくださいませ!」


 大あわてで耳をかくす私を見て、イスハークはますます目を丸くした。

 徐々に顔が歪み、耐え切れなくなったように笑い出す。


「ふはは、わっははは! なんと、そなたは気づいていなかったのか! なるほど、なるほど!」


「え? あの……?」


 おかしいな。

 耳を見たら怒るかと思ったのに、愉快そうに笑っている。


 ひとしきり笑った王は、また穏やかな顔に戻った。


「どうやらフェリオスは、本気でそなたに惚れておるようだ。黙って跡をつけるとはなあ。昨夜から二人を試すような事をして申し訳なかった」


「た、試す? 私たちを試しておられたのですか?」


「うむ。レクアムの奴が、二人の絆がどれだけ強いのか試してくれと言うのでな。まぁ後は個人的に、フェリオスに恨みがあったからだが。顔のいい男がモテるのはどうも許せん」


「…………」


 せっかく大国の王様として見直していたのに台無しだ。

 ただ単に、嫉妬ぶかい男のひがみにしか聞こえないんですけど。


「そう睨まないでくれ。余はフェリオスが羨ましい……。ひとりの女性に、一途になれる男が羨ましいのだ」


「イスハーク様にも、たくさんのお妃様がおられるではありませんか」


「うーむ……。余の妃たちはな、厳密にいうと妻ではない。余は妃をえらぶ際、一芸に秀でた女だけを後宮に入れておる。臣下として役立てるためにな。だからそなた達のように対等な関係ではないのだ」


「まあ、そうだったのですか……」


 道理で妃の数が多いわけだ。

 彼女たちはただの妻ではなく、すぐれた臣下という役目もあったらしい。


「もしどうにもならない状況におちいったら、ディナルへ来るといい。そなた達なら喜んで歓迎しよう。もちろん、そうならない事を願っておるが……。おお、戻ったようだな」


 森のけもの道を、二頭のラクダがゆっくりと歩いてくる。日陰だったためか三人とも疲れた様子もなく、特にエイレネ姫は上機嫌で笑っていた。


「高くて楽しいです! 空に近づいたみたいで素敵!」


「エイレネ、頭の上が熱くなっているぞ。少し休もう」


「う~ん、やっぱり揺れるなあ。僕は馬の方が好きかも」


 三人は思い思いの感想を口にし、ラクダから降りた。

 私は冷やしておいたグラスにレモネードを注ぎ、皆で休憩となった。



◇ ◇ ◇



 翌日、イスハークがハートンを発つことになった。


 しかし起き出してきた彼の目の下には青黒いクマがあり、出発の日に相応ふさわしくない不健康さをかもし出している。

 晩餐のあと、イスハークと二人の皇子はカードゲームをしていたらしい。


「いつまで起きてらっしゃったのですか? フェリオス様はお元気そうなのに……」


「俺は途中で抜けた。イスハーク陛下とイリオンは、かなり遅くまで遊んでいたようだ」


 爽やかな朝の日差しが差し込む部屋で、おいしい朝食。

 ――のはずだったが、イスハークは半分寝ているしイリオン皇子なんて姿さえ見せていない。今ごろ部屋の中でぐうすか寝ているのだろう。


「イリオンは強くなったなぁ。以前は簡単に騙されておったのに、余の手口を見透かすようになるとは……すえ恐ろしい奴よ」


 かなり年が離れてるのに、イリオン皇子を騙してたのか。

 やっぱり大国の王っていい性格してるわね。


「イスハーク陛下。こたびは我が城を訪れて頂き、ありがとうございました。俺は陛下を満足させられただろうか? 偽りなく、答えていただきたい」


 食事を終え、フェリオスはイスハークへ静かに頭を下げた。私も彼にならい、同じようにする。

 レクアム様が認めてくれるかどうかは、イスハーク陛下にかっているのだ。彼が不満を表せば、私たちの婚姻も遠ざかってしまう。


 イスハークはテーブルに頬杖をついて私たちを見ていたが、しばらくしてニヤッと笑った。


「偽りなく、か。そうだな……余は驚いている。フェリオスの変貌ぶりにな。子供の頃のそなたはおよそ人間らしくない顔をしておったが、今は普通の人間に見える。血のかよった人間に」


「……俺はもとから人間なのだが」


「ふははっ、自覚がないのか。安心するがいい、レクアムには満足したと伝えておこう。そなたが今のまま変わらないならばエンヴィードも安泰だな。巫女姫よ、フェリオスを頼んだぞ」


「は、はい!」


 ここで私に話を振るの?

 私がフェリオス様を変えたわけじゃないんだけどな、と思いつつ返事をした。

 何はともあれ、今回の歓待はうまく行ったようだ。


 イスハークは椅子が固定されたラクダに乗り、歩きだした途端にぐうぐうイビキをかいて寝ていた。おかげで別れの挨拶はあまり出来なかったが、アシムさんが彼の代わりに土産を置いていってくれた。

 ディナルで有名なお酒だ。イスハークらしい贈り物である。


 そして砂漠の王が旅立ってから数日後、フェリオスのもとに書簡が届いた。封には皇太子を表す龍の印が押されている。


 執務室で書簡を読んだフェリオスは、私に向かって告げた。  


「レクアム兄上からの招待状だ。皇太子宮で開かれる夜会に出席せよ、と」


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