第26話 皇子の秘密

 ノックすべきか、このまま立ち去るべきか。

 もう五分以上、フェリオスの部屋の前で固まってる気がする。


「っええい、女は度胸!」


「入るなら入ってくれないか? いつまでそこにいるんだ」


 扉を叩こうとした瞬間、急にそれが動いて私の手は空振りした。ドアが少しだけ開き、中からフェリオスが顔を覗かせている。


 すでに湯浴みをしたのか簡素な服に着がえたようだ。シャツのボタンが何個か外れて鎖骨が見えている。

 髪の毛だって少し濡れて――なぜか色っぽい。


 っ平常心……!

 イメージトレーニングの成果を出すのよ!


 フェリオスから放たれる正体不明の色気を無視し、カッと目を見開いて叫ぶ。


「お話したいことがあります! どうか中へ入れてくださいませ!!」


「……その気合が恐ろしいな。また婚約を破棄したいと言うつもりなのか?」


「いいえ、別の話です!」


「……なら構わないが……」


 フェリオスは不審そうな顔をしつつ、私を部屋の中へ入れてくれた。執務室と同じで、白と焦げ茶を基調とした部屋だ。

 紗の天蓋で覆われた大きなベッドは見ないようにする。


「あなたが俺の部屋に来てくれるのは初めてだな。本来なら喜ぶところだが……」


 窓際に置かれた小さなテーブルを挟んで向かい合う。

 フェリオスはまだ婚約の件を気にしている様子だ。


「心配なさらなくても大丈夫ですわ。婚約は結んだままにします」


「…………ん? 婚約は?」


「結んだままにします」


「っほ、本当か!?」


 フェリオスは身を乗り出して叫び、前かがみになったせいでシャツのすき間からお腹が見えた。


 うう、腹筋が見えてるぅ。

 もう目を閉じて話そうかな。


「ほ、本当、です。お祖父様に言われてよく考えたのですけど、巫女姫は一生に一度しか結婚できませんし……。やっぱり、好きな男性と結ばれたいかな、と。――ひっ!?」


 恥ずかしさに耐え切れず俯いていると、いきなり手を握られた。

 大きくて熱い手。

 剣を扱うからざらざらしているが、なぜか不快ではない。


「ありがとう、ララシーナ! 一目ぼれというのは嘘ではなかったんだな……!」


 もうその話はいい!

 お願いだから忘れて!


 すでに茹だりそうなほど顔が熱く、額にじわっと汗がにじむ。

 これじゃトレーニングした意味がないわ。


「そっ、それでですね! 実はイリオン様から、エンヴィードの皇族に関して気になるお話を聞いたのです。結婚すると決めたからには、全ての事情を明かして頂きたいですわ。……あなたの、体のことも。もちろん無理にとは言いませんけれど……」


「あいつ、そこまで話していたのか。やはり絶交しておくべきだった……」


「絶交!? やめてください、イリオン様は必要な方ですわ! 色々と使えますし」


「……何に弟を使うつもりなんだ? あなたこそ、意外とひどいじゃないか」


 フェリオスは楽しそうにくくっと笑ったあと、急に椅子から立ち上がった。

 そして何故か、衣服のボタンに手をかけ――。


「えっ? あの? や、ちょっと! なんで脱いでるの!?」


 無表情のまま黙々とシャツのボタンを外していく。


 ぎゃああああ!

 こっ心の準備がぁ!


「あなたを慌てさせるのは楽しいな……。冗談はさておき、これを見てくれないか?」


 両手で顔を隠してブルブル震えていると、頭の上から愉快そうな声がした。

 ひとを慌てさせて楽しむなんて、悪趣味すぎる!


 文句のひとつでも言おうかと顔を上げたが、フェリオスが指差す一点に目を奪われた。左肩から胸にかけて、かなり古い傷跡がある。


「これ……火傷やけどのあとですか? かなり古いようですけど……」


「ああ、十年以上まえの傷だから」


 火傷を負った箇所だけうっすらと肌の色が違う。

 跡が残ったのだから、浅い火傷ではない。熱湯でもかぶってしまったのだろうか。


「動かすときに違和感はありませんか? こんなに大きな火傷……痛かったでしょう」


 傷跡に触れながら訊くと、フェリオスはふっと笑った。


「平気だ、もう何ともない。それにあの時は別の痛みのほうがひどくて、火傷どころじゃなかった」


「……別の痛み? 火傷以上の痛みがあったのですか?」


 フェリオスは袖に腕を通しながら「ああ」と答え、ボタンを全て戻した。

 口を開いて何か言いかけ、迷うような表情をした後やっぱり口を閉ざしてしまう。


 重大な秘密を打ち明けようとしているのだ。私は何も言わず、じっと彼の言葉を待った。

 やがて――。


「エンヴィードの皇子たちは、七つになると必ずある訓練を受ける」


「訓練?」


「……毒に慣れるための訓練だ」


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