第24話 重鎮、やってくる

「姫様、本当にフェリオス皇子殿下との婚約を解消したいんですか?」


 家捜し開始から四日目の朝、カリエが私の世話をしながら言った。


 どうして婚約を解消したいのか説明したはずだが、カリエは私がフェリオスに惚れたと思っているので納得できないのだろう。


「したいわ。だって陛下がお認めにならないのだから、もう諦めるしかないと思うの」


 フェリオスは何かを企んでいる様子だけど、エンヴィードの最高権力者が頷かない限り私と彼は結ばれない。


 カリエは何かを言いかけて口をつぐみ、持っていた服を寝台へ置いた。

 私の真正面に移動してきて、やけに真剣な顔で訊いてくる。


「本当の、本当に、解消したいのですね?」


「しっ…………したい、わ。どうしたのよ、そんな真剣な顔をして?」


「分かりました。カリエにお任せください」


 そういうと、シーツを抱えて部屋から出てしまう。私はぽかんとしたまま彼女の後ろ姿を見送った。


 カリエのあんな顔を見たのは初めてだ。

 いつも私の悪事に巻き込まれ、泣きそうになっていたあの子が。


「どうしたのかしら……。フェリオス様に突撃したりしてないといいけど」


 着がえた後に二人の皇子と朝食を取ったが、特に変化はなかった。どうやらカリエはフェリオスに何か言ったわけではないらしい。


 良かった。

 エンヴィードに睨まれたら、ロイツは生き残れない。

 今でさえ綱渡り状態なんだから、余計な揉め事を起こさないようにしないと。


 その日も家捜しをしたが当然のように書類は見つからず、数日後にとうとうイリオン皇子がハートンを発つ日を迎えてしまった。

 しかし彼を見送るために城の門まで来た私は、思いがけない来客に呆然と立ち尽くした。


「お……お祖父様……!?」


「久しぶりじゃのぅ、ララ。元気そうで良かった」


 イリオン皇子が乗る馬車のよこに、ロイツ製の白い馬車が並んでいる。扉が開いて出てきた人物は、私がよく知る人物――なんと教皇猊下である、お祖父様だった。



◇ ◇ ◇



 応接室にお祖父様、私とフェリオス皇子。そしてなぜかイリオン皇子。彼は帰る予定を変更し、成り行きを見守ることにしたらしい。

 お祖父様の向かい側に私とフェリオスが座り、一人掛けのソファにイリオン皇子が座った。


 廊下では使用人たちが慌しく動いて来客に備えているようだ。何しろ普通の客ではない。ロイツ聖国を治める教皇だ。今ごろ客室を大急ぎで整えているのだろう。


「お、お祖父様。どうしてハートンへいらしたの?」


「なぁに、大した用ではない。観光ついでに、ちと孫の顔を見ておこうと思ってのぅ」


 シワだらけの手でティーカップを持ち、紅茶を飲む。


 駄目だわ、シワが深すぎて表情が読めない。

 何を考えているのか全然わからないわ!


「教皇猊下。俺とララシーナの婚約について、何か知ったからハートンへ来られたのだろう? あまりにもタイミングが良すぎる」


 フェリオスがちらりと私を見てからお祖父様へ言った。私がお祖父様を呼んだのかと疑っているらしい。

 残念ながら私ではありません。


 でも確かにおかしい。

 婚約のことで悩んでいる真っ最中にハートンへ来るなんて――。


「あっ! もしかして、カリエがお祖父様を呼んだのですか? 私はあの子に悩みを相談していたから……」


「ふふ、そうじゃよ。でもあの子を叱らないでやっておくれ。儂がもとからカリエに頼んでおったのだ。ララの様子を、手紙で知らせてくれと」


「そうだったのですか……」


 お祖父様は隣に立つ司教へ荷物を見せるように指示し、一つの筒を取り出した。

 蓋を開けると丸められた紙が入っている。


「ララはこれが欲しかったんじゃろう? 何日も探したと手紙に書かれておった」


「あ……!」


 お祖父様は丸められた紙をテーブルの上に広げた。私とフェリオスのサインが記された、婚約の証となる書類だ。全く同じものを二枚用意し、一枚をエンヴィード、もう一枚をロイツで保管することになっていた。


 フェリオスが身を乗り出し、少し慌てた様子でお祖父様に話しかける。


「待ってくれ、教皇猊下。俺はまだ納得していない」


「儂もじゃよ。わざわざここへ来たのは、孫の本心を聞くためだ。のうララ、本当に婚約を解消したいのかい? おまえはフェリオス殿下に一目ぼれしたと言っておったじゃないか」


「お、お祖父様!!」


 悲鳴みたいな甲高い声が出た。


 それ、言わないで欲しかったのに……!


 横に座る青年の様子をそっと伺うと、彼は目を丸くしてお祖父様を見ている。

 角を挟んだソファには、面白そうに笑う少年。


 全然面白くないわよ、イリオン様!


「…………一目ぼれ? 本当に?」


「本当だとも。儂はララにフェリオス殿下の肖像画を見せたが、その時にララは「ああっ!」ともの凄い悲鳴を上げてのぅ。あれが恋に落ちた瞬間じゃったのか……」


「も、もうやめて……。なんの拷問ですか……」


 恥ずかしくて無理。

 今すぐこの場を立ち去りたい。


 両手で顔を隠していると、片方の手を誰かがぎゅっと握った。

 武骨な手をした誰かは、大切そうに私の手を撫でている。


 確認するまでもない、フェリオスだ。


「とても嬉しい。俺たちは両想いだったのだな。ララシーナ、猊下の前で誓わせてくれ。俺は必ずあなたを妻に――」


「誓わなくてよろしいですわ!! 仮に両想いだとしても、皇帝陛下が認めてくださらない以上、諦めるしかないでしょう!」


「諦める必要はない。俺だって何の考えもなしに動いているわけじゃないんだ。どうか猶予を与えて欲しい、今すぐには無理でも必ず何とかしてみせる。だから……諦めないでくれ」


 最後の方は声がかすれていた。


 冷酷なはずのフェリオスが顔をくしゃりと歪め、切なそうに私を見ている。

 そんな顔をされたら彼を追い詰める気にはならず、黙って俯くしかなかった。


「フェリオス殿下。わしからもララに話したいことがあるんじゃ。しばらく二人きりにして貰えんか?」


 私たちの様子を見守っていたお祖父様が優しげに言うと、フェリオスは静かに頷いて部屋を出て行った。

 彼の後を追ってイリオンも司教も退室し、部屋に私とお祖父様だけが残される。


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