六.裏の顔②
トイレを済ませて居間に戻ると、「さて、北野さん。長崎君について、教えてもらえませんか?」と二代目が北野さんに声をかけていた。
当たり前だが、僕を待ってはくれなかったようだ。僕の全員が犯人説を披露する暇もなかった。
「長崎について? あんなセコい男の何が知りたいの?」
「彼の秘密、いや、裏の顔。いや、もっと言うと、この地質愛好会に張り巡らされた影のネットワーク、それについて教えてもらいたいのです」
「そんな大げさな。地質愛好会に影のネットワークなんてありません」
「ない? そうですか。まあ、良いでしょう。では、長崎君はどんな人でしたか?」
「どんな人って言われても、日頃、威勢のいいことばっかり言っているけど、小心者で常にびくびくしていた。そんな男」
「何に怯えていたのですか?」
「何って、何でも。言ったでしょう。気の小さな男だって」
「どうしても長崎君の秘密を打ち明けたくないようですね。分かりました。では、最後に筒井君、新沼さん、あなた方、二人に聞きましょう」
突然、名前を呼ばれて、筒井君と新沼さんは、ついに来たかといった顔をした。今まで、二代目の事情聴取によって、メンバーの過去がほじくり返されている。どんな秘密を暴かれるのか、戦々恐々なのだ。
「品行方正、清く正しく生きて来たお二人のようですね。筒井君、あなたには小さなトラウマがある。過去、子供の頃、それも虫に関するものですね」
「赤とんぼのことですか?」
「それでしょう」
筒井君は諦め顔で話し始めた。「子供の頃の話です。夕暮れ時に群れで低く飛ぶ赤とんぼを捉まえて、二匹を無理矢理、戦わせました。首が取れて死ぬまで。残酷なことをしたものです。気がついたら、地面に一杯、赤とんぼの死体が転がっていて、怖くなりました。赤とんぼは仏様の使いだと聞いて、何と罰当たりなことをしたのだろうと、随分、後悔しました」
「子供は時として残酷なものです。それが未だに、トラウマとしてあなたを苦しめている。でも、あなたの過去の汚点と言えば、その赤とんぼの件くらいしか無いようですね。さて、新沼さんとは大学で一緒になって付き合い始めた。違いますか?」
「はい。そうです」表情が硬い。警戒心を解いていないようだ。
「本当に? 大学で一緒になる前から、新沼さんのこと、知っていたのではありませんか?」
この質問には、新沼さんの方が驚いた様子だった。
「知っていた・・・と言うか、会ったこと、いや、見たことがあっただけです」と筒井君がはにかみながら答える。
「やはり知り合いだったのですね?」
「いえ、だから遠くから彼女を見ていただけです。彼女は僕のこと、覚えていないでしょうけど、朝、何度か地下鉄で一緒になりました。可愛い子がいるなあ~彼女と知り合いになれたら良いのになあ~って、年頃の男の考えそうなことでしょう。一度、朝の地下鉄で一緒になってから、同じ時間の地下鉄に乗るようになりました」
「初めて聞いた」と新沼さんが呟く。
「何だから、ほら、ストーカーみたいで嫌だったから、言えなかった」と筒井君が答える。
「はは」と二代目は軽く笑うと、「さて、新沼さん。あなたも筒井君のことを知っていましたね?」と新沼さんに矛先を向けた。
「えっ⁉」と彼女が驚く。
「あなたも筒井君のことを知っていましたね?」と二代目が繰り返すと、暫く躊躇してから「はい」と素直に頷いた。隠し事をしても無駄だと思ったのだろう。
「私も彼と会ったのは、いや、初めて彼を意識したのは地下鉄でした」と言う。
「あなたも彼のことが気になっていた?」
「高校三年生の時――」と新沼さんが語り始めた。「受験の為に予備校に通っていました。夕方から始まるので、何時も帰宅が遅くなりました。予備校は駅前にあったし、最寄り駅までは父母が車で迎えに来てくれていたので心配はありませんでしたが、帰りの地下鉄は夜遅くなると、混んでいるし、酔っ払いが増えて嫌でした。あの日も、模試があって帰宅が遅くなってしまいました。電車に乗っていると、若いOL風の女性が酒に酔った二人組のオジサンに絡まれていました。若い人はいいねえ~って、そんな訳の分からない理由でしつこく絡まれていました」
光景が目に浮かぶようだ。
「その時、傍に立っていた若い男性が、彼女、嫌がっているじゃないですか。止めて下さいって、オジサンたちに言ったのです。そしたら、オジサンたち、怒ったみたいで、生意気なやつだ。次の駅で降りろっ! て怒鳴り始めました」
「へえ~それでどうなったのです?」
「知りません。若い男の人とオジサン二人が次の駅で降りて、それをOL風の女性が心配そうに見送っている内に、電車は駅を出てしまいました。あの後、若い男性はどうなったのだろうと、他人事ながら心配になりました」
「そうでしょうね」
「それから暫くして、また、その若い男性に会ったのです。今度は朝の電車でした。制服を着ていたので、隣町の高校の学生だと分かりました。私と同じように予備校に通っていたのでしょう。あれからどうなったのだろう? と思ったのですが、声をかける勇気なんてなくて、それから、朝、時々、電車で顔を会す度に、彼のこと、気になっていました」
「それが筒井君だった訳ですね」
「はい。大学に入って、同じ学部になったので、びっくりしました」
「それで、あの後、どうなったのか、筒井君に聞きました」
「いえ、なんか聞けなくて、未だにもやもやしています」
「はは。お互い、可愛い秘密を抱えていた訳だ。では、私が代わりに聞いてあげましょう。筒井君、電車を降りた後、どうなったのですか?」
突然、話を振られて、筒井君は「あっ」と小さな悲鳴を上げてから、「別に、何も」と説明を始めた。電車を降りた後、からんできたオジサンを「まあ、まあ。セクハラだなんだと、色々、うるさい世の中だから」ともう一人のオジサンがなだめて、筒井君を残して去って行ったそうだ。彼らの降りる予定の駅だったようだ。
結局、一人残された筒井君は次の電車を待って、家に帰ったと言う。
「ふふ。あちらも喧嘩はしたくなかったようですね。どうです? これでスッキリしたでしょう」と二代目が言うと、「はい」と新沼さんが花のような笑顔を見せた。
その笑顔にクラクラしない男なんていないだろう。
「さて、微笑ましい話の後ですが君たちは地質愛好会の裏稼業から距離を置いていたようだ。違いますか?」二代目が真顔に戻る。
「ちょ、ちょっと待って下さい。地質愛好会の裏稼業だなんて、そんなものありませんよ」二代目の言葉に、筒井君が反発する。
「おや? 君が知らない訳はないと思ったのですが、違いましたかね。まあ、良い。質問を変えましょう。事件当夜、あなたは夕食が終わってから新沼さんの部屋にいたと証言しています。そうですね?」
筒井君が何を今更と言った感じで、「はい」と頷いた。
「本当に? 間違いありませんか?」と二代目が念押しした。しつこいという顔をするかと思いきや、口元をぎゅっと結んだまま苦しそうな表情を浮かべた。そして、「いや。一度、彼女の部屋を出ました」と絞り出すように答えた。
「部屋を出て、何処に行ったのですか?」
「長崎さんの部屋です」
驚いた。彼が犯人なのだろうか。
「長崎君の部屋に行ったのですね」
「はい。長崎さんと五代院さんの言い争う声がしたので、心配になって見に行きました」
「なるほど。ということは長崎君の部屋に行った訳ですね」
「はい」と筒井君が頷く。
僕には、皆の考えていることが手に取るように分かった。筒井君が長崎君を殺害したのだ。だが、何故? 何故、筒井君は長崎君を殺さなければならなかったのか? そう顔に書いてあるような気がした。それが筒井君にも分かったようだ。「だから僕は言いたくなかったんだ」と声を上げた。
「何を言いたくなかったのですか?」
「長崎さんの部屋に行ったことです。そう言えば、僕が殺したと疑われるに決まっている。そう思ったのですが、その通りでした」
「そうですか? あなたが長崎君を殺したのですか?」
「違います!」
「あなたが部屋に行った時、長崎君は生きていたのですか?」
「いえ、どうしたのですかって尋ねながら、ドアをノックしたのですが、返事がありませんでした。どうしたんですか? 入りますよって声をかけて、部屋に入ろうとしたら、ドアに鍵が掛かっていました」
「鍵が掛かっていた?」
「はい。鍵が掛かっていました」
「ドアの鍵はボタン式で中から鍵を掛けることができますが、外から鍵を掛けるには鍵が必要になります。確か、部屋の鍵は無くすと弁償しなければならないので、配っていなかったはずですよね」
「そうです。だから、長崎さんは部屋にいたことになります」
「大事なことです。翌朝、長崎君の遺体が発見された時、部屋に鍵は掛かっていませんでした。あなたが尋ねた時、長崎君の部屋は鍵が掛かっていたのですね?」
「はい。そうです」と筒井君が投げやりに答える。
「その後はどうしました? 五代院君の部屋に行ってみましたか? 彼の部屋にも鍵が掛かっていましたか?」
「いえ。行きませんでした」
「どうしてです? 五代院君のことは気にならなかったのですか?」
「そんなことありません。二人、喧嘩したみたいでしたから、長崎さん、不貞腐れて人に会いたくなくて無視しているのだと思いました。五代院さんも、きっと同じだろうと思って、部屋に尋ねるのは止めておきました。あれこれ聞かれるのも、嫌だろうなと思ったので」
筒井君らしい気の配り方だ。だが、何処か空々しく聞こえるのは何故だろうか。
「各自に配られていなかったようですが、何処かに部屋の鍵が保管されているはずです。何処だかご存じ方はいませんか?」
二代目が聞くと、皆、顔を見合わせた後で首を振った。
「ご存じない。そうですか。では、調べてもらいましょうかね」と二代目は言って新庄さんの顔を見た。「ちっ!」と新庄さんが小さく舌打ちをした。
「ふむふむ・・・」二代目は腕組みをすると、考え込んだ。暫く沈黙した後、「それでは鍵を探しに行きましょうか」と妙なことを言い出した。
「・・・」鍵を探しに行く? どういうことだ? たった今、新庄さんに鍵のありかを確認してもらうと言ったばかりだ。
皆、理解できない様子だった。無論、僕も。
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