第25話

「倒しなさい!」


 ラクスの支配が及ぶ前にと、アルテナから鋭い命令が飛ぶ。解けかけの血毒に過剰な期待はせず、アルテナは鳥籠にさらなる魔力を注ぎ込む。

 床から蔦を模した氷が現れ、ラクスとバルヴァラの身体を足下から這い上がる。


 ケージの檻と同じように、蔦には鋭い刺が付いていた。肌を切り裂きながら絡み付き、締め上げる。幾重にも巻きつく氷の蔦に、最早身動きは叶わない。

 青の氷の中に閉じ込められた紅の鮮血が、花を散らしたように毒々しく浮かび上がる。


「やっ……!」


 自分を支配しようとする魔力同士のせめぎ合いの中で、浅く、バルヴァラの意識が浮上した。

 己が傷付けようとしている相手がラクスであることを理解して、渾身の力で抵抗する。

 だが、血毒を振り切れない。術の威力が違うのだろう。

 僅差でアルテナの魔法の効きが強かった。バルヴァラの必死の抵抗も虚しく、ラクスの背に大剣の刃が潜り込む。肉を裂いた手ごたえに、バルヴァラの手が大きく震えた。


「い、や……!」


 唇がわななき、瞳が潤む。


「逃、げ……っ! 死、ぬぞッ!」

「心配するな」


 このままなら数分持たずにバルヴァラの刃が身体を両断し、死ぬことになるだろう。

 怖くない訳がない。何より痛い。凍りついた下半身の感覚など、すでにラクスに存在していなかった。


 抵抗の証だが、震えるバルヴァラの手は横向きに押し当てられた剣をも細かく動かし、傷口を押し広げ、目の前が明滅するような激痛を与え続けている。

 それでも今、自分がするべきことは喚くことではないと分かっていた。

 バルヴァラの心を奮い立たせるために。


「信じていいんだろ?」


 ただ甘やかに、そう囁く。


「く、ぅぉっ……!」


 バルヴァラは目を見開き、唇を噛み締める。ブツ、という音がして、伸びた牙が唇を切って血を流させた。だがそんなことにまるで気がつかない勢いで息を荒げ。


「うぅっ、ぉ、おおおぉぉぉっ!!」


 ズッ!


 支配を振り切り、勢いよく大剣をラクスの背から引き抜く。しかしすでに氷は胸のすぐ下にまで迫っていた。


「ユーグ!」

「持ちませんでしたが、十分でしょう!」


 ユーグは双剣を投擲する構えを見せる。あくまでも鳥籠の外から決着をつけるつもりだ。

 満足に身動きの取れない二人に避ける術はない。

 しかしアルテナとユーグの意識の外から、忘れかけていた伏兵が現れた。


「もうちょっと前行ってね! 突風陣エア・リーフ!」

「――え!?」


 来るはずのない、背後からの攻撃魔法。ただ強風を叩きつけてくるだけの術をくらって、ユーグはそのまま、鳥籠に向かって数歩たたらを踏み。


「せぇあっ!!」

「っ、ぁ……!?」


 肩から袈裟掛けに大きく切られて、呆然とした声を上げると、そのまま床に倒れ伏す。

 ギリギリ届いた、バルヴァラの七誓煌刀に切り裂かれて。


「な――」


 唖然としたアルテナは、ユーグを襲った何者かを見定めようとして、後ろを振り返ろうとする。しかし彼女が目的を果たす前に。


光の閃雷瞬降エル・ステラライトニング!」

「ああぁぁっ!」


 エリシアの放った光属性魔法に貫かれ、膝をつく。


「な、ぜ……?」


 エリシアが今、魔法を使えるはずがない――と、当惑した表情でアルテナは呻く。


「あぁ、コレ?」


 アルテナの戸惑いを心地良さそうに笑って、エリシアは彼女の眼前に手枷を投げ捨てた。二つに割れて壊れたそれの切り口には、融解した跡がある。

 エリシアから指輪を奪ったラクスが、バルヴァラへの牽制の一撃の前に女神の花炎剣で焼き切ったものだ。


「そん、な……」


 あとに、何と続けようと思ったのか。

 瞼を落とし、気を失ったアルテナから答えが紡がれることはなかった。


「……最低だ」


 アルテナが気絶したのを確認してから、ラクスはげんなりとした息をつく。

 あの一瞬――そのままでは鳥籠の外まで届かない距離を稼ぐため急いで足元の氷を焼き切り、残りは氷漬けのまま、バルヴァラ共々回転しつつ倒れ込みながら、ユーグまで刃先を届かせた。

 おかげで現在、バルヴァラの下敷きだ。頬を挟む両胸の感触が何とも言えない。


「お前、我の美乳にまでケチをつけるか」

「顎に鎧が当たってなきゃもうちょっとありがたがってやってもいいけどなッ!」

「よし分かった。やはり服は要らんということだな。認めたな」

「すみません俺が悪かった! 鎧でいいです!」

「ちょっと! わたしの目の前でベタベタするのやめてよ! 見えない所でやるか、じゃなきゃわたしのことも可愛がって!」

「これがベタベタしてるように見えんのかお前は!? さっさとこの氷を何とかしろ!」


 ラクスの文句に、エリシアは転がっていた女神の花炎剣を拾い上げ、鳥籠と、二人の体を戒めていた氷を溶かす。


「あぁ、くそ、痛ってえ……ッ」


 同じ術にかかっていながら、赤いみみずばれ程度で済んでいるバルヴァラの頑丈さがもの凄く恨めしい。

 自分だけが損をした気分になりつつ、治癒魔法で傷を治していく。


「さて」


 気を失っているアルテナとユーグを見て、バルヴァラはラクスへと目を戻す。


「こいつらをどうする?」

「放っときゃいいんじゃね?」

「ええ!?」


 投げやりなラクスの答えに、不満の声を上げたのはエリシアだった。


「絶対、仕返しに来るわよ!? それに、わたしだって――」

「じゃあ好きにしろよ。今のうちに縛って、起きたら気が済むようにやり返しゃいいだろ」

「……うっ……」


 無抵抗の相手をいたぶる自分の姿を想像したか、エリシアは顔をしかめた。所業として無様だ。

 しかし治まりのつかない気持ちがあるのも確かなようで、エリシアは小さく唸ると。


「い、いいわ! 顔にしばらく消えないペンで落書きするだけに留めてあげる!」


 妥協案を口にした。


「あ、それだったら俺もやるわ」

「うむ、それは楽しそうだ。屈辱は屈辱だろうから、我もスッとするし」


 プライドが高いからこそ、起きて気付いたとき、別の意味で憤りに打ち震えるだろう。部屋に戻ってペンを持ってきて、早速落書きを開始する。

 死なれでもすると寝覚めが悪いので、傷口を塞ぐと同時に強睡眠の魔法も掛けておいた。魔法耐性の強い吸血鬼族でも、気を失って無防備な今ならしっかりかかってくれるだろう。


「で、エリシア。お前の城の魔石は?」


 特に捻る必要は感じなかったので、アルテナの頬にぐりぐり渦巻き模様を描きつつ、ラクスは隣のエリシアに訊ねた。


「何よ、気がつかなかったの?」


 きょとんとして言うと、エリシアは女神の花炎剣を解呪して、鍔に付けられた宝石の一つを示す。


「これよ、これ」

「あ」


 一見、何の変哲もない琥珀。他の装飾に紛れていたせいもあって、気に留めないぐらいにさりげなく隠されていた。

 エリシアから武器の作成を注文されたとき、装飾用の宝石をはめるのだと言っていたし、実際その通りにしていたので気付かなかった。エリシアが琥珀って地味だな、と思いはしたのだが、そういうことだったのか。


「はい」


 魔石を取り外し、エリシアはラクスの手の中に落とした。


「いいのか?」

「いいわ。空っぽの城に住んでたって仕方ないもの。わたしもあんたのお城に入れてくれるんでしょ?」

「言っとくけど、お前は使用人からやり直しな」

「嘘!?」

「何か文句でも?」

「うぅ……っ」


 文句はあるだろう。

 下級労働者の代名詞である使用人など、エリシアが望むはずがない。

 ない――はずだが、エリシアは屈辱に顔を歪めつつも、瞳にはどこか恍惚とした熱を帯びさせてラクスを見上げてくる。

 そしてややあってから、びしっ、とラクスを指さして。


「い、い、言っとくけど、わたしが従うのはあんただけだからね!」


 認める台詞を口にする。


「当り前だ。お前は俺だけのものなんだから、他の奴に使わせるわけないだろ。俺以外の奴には従うな」

「は、い。ラクス、様……」


 蕩けるような甘い声音。陶酔した様子でエリシアはラクスの名を呼ぶ。


「お前、本当に性質は最低な男だな」


 その様子を見ていたバルヴァラは、呆れた息をつく。


「ま、だからこそ我も屈服させたいと思っているのだし。それはそれで楽しいかと思わなくもないし。お互い様か」


 続けて口の中で呟くと、ニヤリと不敵に笑うのだった。

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