第12話

「旦那様。だーんーなー様っ。朝ですわよっ」


 キティの小さな手が、ゆさゆさとラクスの肩を揺さぶる。


「ん……むー……。あと、五時間……」

「五時間って、寝坊のおねだりに使う単語じゃありませんわよ、もう!」


 腰に手を当て、呆れた息をついてから――キティはイタズラを思いついた仔猫のように、クスッ、と魔性を含んだ笑みを零す。

 姿を黒猫に変えて小さく柔軟になった身体を使い、するりとラクスの包まる毛布の中に潜り込んだ。

 ベッドの内側に入ってから再び少女の姿へと変化して、四つん這いの姿勢でラクスに覆い被さる。


「ん、だよ。寒ィって……」


 温かく心地良かった布団の中に、キティが外の空気を連れて入ってきたせいで、一気に温度が下がってしまった。半覚醒状態だが、ラクスは往生際悪く二度寝を試みる。

 身体が密着しないギリギリのところまで身を沈めて、キティはラクスの耳元で甘く囁く。


「起きないと、イタズラしちゃいますわよ?」


 楽しげに笑うキティの瞳は、どう見ても臣下のものではない。自分より立場が下の者をからかう女主人のものだ。

 しゅるん、と尻尾がラクスの股ぐらを撫で、夜着から覗く肌に小さな舌をちろりと這わせる。


「うぉあッ!!」


 半分起きてはいたので、ラクスの反応は早かった。自分の上に乗ったキティを撥ね退けるようにして起き上がる。


「きゃんっ」


 絶対にわざとに違いない、甘ったるい、可愛こぶった悲鳴を上げてキティはベッドから転がり落ちた。


「いったた……。ひどいですわ、旦那様」

「酷いのはお前だ! 主の寝込み襲って何してんだッ!」

「朝のご挨拶ですわ。ええ、ごくごく常識的な」

「その間違った常識の詰まった頭、どっかで取り換えてこい」


 全く悪びれずにさらっと答えてきたキティに、ラクスは舌打ちをする。


(何で、よりによって『俺に必要な』魔石の化身がこんななんだ? 淫魔だからか? 俺が淫魔だからか?)


 いろいろな意味で、何だか泣きたくなる。


「むぅ。キティは旦那様のお好みにはあいませんの?」

「そういう問題じゃねーだろ!」

「いいえ! 殿方であれば、あそこはがばーっときてぐわーっとなるところですわ! まして旦那様は淫魔なのですから、ソレも武器の一つですわよ! さぁ、磨くために、いざお出でくださいな!」

「俺はそーゆーのは武器にしねーって決めてんだよッ」


 一時的に魅了魔法を使うことは吹っ切ったが、それとこれとは話が別だ。

 できるなら、魅了魔法も使いたくはない。だが死ぬぐらいなら使って逃れようとするのだと、昨日、自分自身で証明してしまった。


(いや、いーけど。結局バルヴァラにはかかんなかったんだし)


 ほっとしたような、自分の魔力が及ばなかったのが悔しいような、複雑な気分だ。


「……つーか、何で起きなきゃいけないんだよ。別に好きに起きて寝ればいいだろ」


 エリシアのために、彼女の生活習慣に合わせて早起き遅寝をしていた生活はもう終わった。自堕落に、好きな時間に起きて寝てを勝手にしたい。

 魔王試験そのものにも然程積極的ではないラクスは、怠け心を優先しようとする。


「いけませんわ!」


 しかしそんなラクスの怠惰な願望は、キティの一喝であっさり打ち砕かれる。


「そんなことで魔王の職務がこなせるとお思いですの? さ、起きてくださいまし!」

「キティ……」


 気だるげな声で懇願すると、うっ、とキティは声を詰まらせた。耳がぴこぴことせわしなく角度を変えて動き、尻尾がうねる。


「だ、駄目ですわよっ。ええ、そんな、キティの好みど真ん中な顔と声でおねだりされたって駄目です! キティはそんなことでは動揺しませんから! キティは旦那様のためを思いつつ、キティも楽しい範囲で旦那様と触れあいつつで、ドキドキさせるとか駄目ですから旦那様っ」

「はぁ?」


 途中から支離滅裂になってきた言葉と、何よりテンションが上がって声のボリュームも上がったうるささに耐えかねて、ラクスは毛布から顔を出す。


「いえ、ですから――」


 後半、自分でも余計なことを口走ったと思ったのか、キティは一層うろたえた。そこにキティにとっては救いの主、ラクスにとっては迷惑な、第二の闖入者が現れる。


「おはよう、ラクス!」


 ばんっ、と思いきりよく扉を開けて入ってきたのは、バルヴァラだった。

 明るく、快活に、爽やかに朝の挨拶をしたバルヴァラへと目を向け、ラクスは絶句する。

 他人の部屋に勝手に入ってきた無作法を咎める前に、まず突っ込みを入れた。入れざるを得なかった。


「服を着ろおぉぉ――ッ!!」


 全裸だったので。


「今日は着る気分ではなかったのだ」

「気分の問題じゃねーだろ! 股開くな見えんだろバカ女!」


 平然とラクスのベッドの上にあがり込み、胡坐をかいて座ったバルヴァラに絶叫する。


「お前と人猫娘しかいないのだから構わん」

「俺が構うわッ!」


 心からの叫びは、一顧だにされなかった。


「そんなことより、さっさと起きろ。手合わせをするぞ」

「はぁっ!?」

「お前はもっと実戦慣れした方がいい。お互い、腕も磨けるしな」

「それはキティも賛成ですわ」

「ほら、さっさとしろ」

「待て待て待て!」


 腕を掴まれ引きずり出されそうになって、ラクスは必死で待ったをかけた。


「分かった。分かったから、お前らは出てけ。着替えるから」

「別に構わん。ここで待っていてやる。さっさと着替えろ」

「いただきます」


 ケロリとした女二人の言いように、ラクスは額に青筋を浮かべる。


「誰がテメーらの都合で言ってんだよ! タダ見せしてやる理由が俺にねーだろッ! さっさと出て行け変態女! それとちゃんと服着てこい!!」


 自分の城に裸の女を囲っているとか、そんな噂が立つのは断じて御免だ。




 朝、いきなり部屋に突撃してきてまだ寝ていたいという主張を無視して引っ張り出され、食事も採らずに手合わせに付き合わされたかと思えば、バルヴァラは『腹が減った』と勝手に仕合いを中断した。

 すべてにおいて勝手極まりない行動だが、終わってくれるのならラクスもその方がいい。腹も減っている。確かに。むしろ始めから減っていたのだ。誰も聞き入れなかっただけで。


(最悪だ。俺、絶対女運悪い)


 げんなりしつつ、ラクスは重いため息をつく。


「どうした? ため息をつくのは感心せんぞ。よく言うだろう、ため息をつくと幸せが逃げると」


 最大の元凶が、ラクスの前の席で所作だけは優雅に食後のティーカップを傾けている。種族の特性上バルヴァラはそれほど食べる必要がないはずだが、食べること自体が好きなのか、結構な量をたいらげた。

 相変わらず面積は少ないが、とりあえず、服も着させることには成功した。


「今のはため息じゃない。息を吐き出す方がちょっと長かった深呼吸だ。つーか万一ため息だとして、お前に関係ない」

「何だ、気持ちの悪い態度だな。男らしくない」

「欠片も女らしくないお前に言われたくねえ」


 バルヴァラの女らしさに比べたら、まだ自分の方が男らしい自信がラクスにはある。


「女が女らしくないのは許されるのだ。凛々しく取られる」

「お前のはガサツって言うんだよ! 許されねー領域に入ってる!」

「許容範囲の狭い男だな。つまらん奴だと言われんか?」

「範疇外の女に何言われようがどーっでもいい。つーか俺は女は嫌いだ。ロクなのがいない」


 ここまで生きてきて出会わなかったのだ。もう断じてしまっていいだろう。


「それはお前に見る目がないだけだ」

「言っとくがお前も含まってるからな!?」

「だから見る目がないと言っている。自分で言うのもなんだが、我は実に良い女だぞ」

「本っ当に自分で言うな。あと、俺の中でお前の点数、十点満点中零点だから」

「我の美顔にケチをつけるか!」

「顔とスタイルのプラス分を性格が丸々マイナスしてるっつってんだよ!」


 美人なのは認める。

 しかしそれがどうした、とラクスは思う。美人だからといって、なんでも許されるわけではない。


「美人度でほだされるほど、美形に飢えてねーから、淫魔俺たちは」


 ラクス自身、右を見ても左を見ても美形ばかりの場所で育っている。はっきり言って、美人に希少価値を感じない。


「……まあ、そうかもしれんな。お前の場合、鏡を見るだけで大抵の相手がつまらなく見えるだろう」


 納得してうなずいて、バルヴァラはニヤリ、と意地悪く笑う。


「それでこそ食いでがあるというものだ」

「すいまっせんでしたッ!!」


 不穏な気配を滲ませたバルヴァラに、ラクスはテーブルに両手を付き頭を下げ、即座に謝った。


「旦那様。潔すぎていっそかっこいいですわ。キティは涙で前が見えません」

「黙れ。プライドより命と貞操だ」


 レース付きの白いハンカチで目元を拭うキティを一瞥して、断言する。

 そして命と貞操を秤にかければ、命を取る。いざというとき自分が何を選択するか、ラクスは昨日、思い知った。

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