【BL】ネットワークセンターの神様 4年目の二人

畔戸ウサ

第1話 プルースト効果 ※エロありご注意を

 あっ——


 と、一際甲高い声がして小さな膨らみが唇から離れていく。舌で転がしていた薄い皮膚の感触を追って誠が身じろぎすると、洋人は強すぎる快感から逃れるように背中を丸めて切なげな吐息を吐き出した。

 柔く畝るひだを押し分けて差し込まれた欲望は限界まで張り詰め、先を急げと誠の本能に訴える。密着した肌が離れてしまわないよう及び腰になる洋人の身体を引き寄せると、白い爪先が甘い苦痛に耐えるようにぎゅっと窄まった。

 結婚前から幾度となく繰り返してきた二人だけの行為。

 ただ快楽を貪り合っていた以前とは違って、そこには互いを思う確固とした愛情が伴っている。愛する男の切羽詰まった様子を見ていると、誠の中にこれ以上相手を困らせることはしたくないという優しさと、泣いて許しを乞うまでもっと意地悪なことをしてみたいという嗜虐的な願望が同時に湧き上がった。


「イキそう?」


 自身の体重を支えきれなくなったのか洋人は動きを止め、誠の首に両腕を回しながらもたれ掛かってきた。頬に押し付けられた耳朶に誠が小さくその問いを囁くと、洋人はコクコクと頷いて首筋に歯を立てる。遠慮しているのか恥ずかしがっているのか『カプ』と甘噛みしたままそれ以上食い込んではこない犬歯に「もっとして」とせがまれているような気分になって、誠は抱きしめた身体をベッドに横たえた。


「誠さん、キスして……」


 薄がりの中、掠れた声と共に濡れた視線で懇願する洋人は一層いやらしく、花のように美しい。誠は立ち込める色香に魅了された昆虫のように洋人の手を取り、指先から順にキスを落としていく。やがて二つの唇が重なり甘い唾液が混ざり合うと、誠は熟れてトロトロになった洋人の奥へ進める行為を再開した。淫靡な響きが脳髄にまで染み込んで、二人は息を弾ませながら一つになれた喜びに耽溺する。


 すったもんだの結婚騒動。

 その直後、誠に課せられた非情な一人旅。

 弟との共同生活から解放され有り余るほどの独りの時間、脳裏を占めるのはいつだって離れて暮らすパートナーのことだった。営業の動向など今の今まで微塵も気にしたことのなかった誠が、新しいキャンペーンが始まっただとか本店の売り上げがどうだとか……洋人が勤務する店舗のことだけは何気にチェックしている。

 ワーカホリックで力を抜く事を知らない伴侶が、人知れずどこかで無理をしているのではないかと実は結構、密かに心配しているのだ。そんなこんなもあってか元来のコミュ障故、相も変わらず人の機微には無頓着なのに唯一洋人に関してだけは電話の声や話し方で小さな変化にも気づくようになった。

 ——じゃ、そろそろ電話切りますね——

 切り出すのはいつも洋人の方。

 その声にはいつも寂しさが滲む。解っているのに自分から電話を切る根性のない誠は、申し訳ないと思いつつ洋人の優しさに甘えてばかりいる。


「洋人」


 名前を呼んで頸に鼻を埋めると、体温と汗に混じって洋人が愛用している香水の匂いがした。控えめに鼻を擽る香りはフローラル系だがすっきりしていて嫌味がない。記憶に刻みつけるようにその匂いを体一杯まで吸い込むと、言葉では言い表せないほど温かなものが誠の中に溢れてきた。


「……愛してる」


 胸の奥から込み上げてくる感情を表す言葉がこれ以外頭に浮かばず、余りにも自分とは縁が無さすぎて、一生口にすることはないだろうと思っていた言葉が酸欠の理性をすり抜けてこぼれ落ちた。

 洋人はその瞬間はっと息を飲み、信じられない物を見るように誠を下から見つめてくる。快楽に溺れ焦点を失っていた瞳が束の間、正気を取り戻してマジマジと不躾な視線を投げかけるので、誠は今し方の失態を反芻して顔を真っ赤に染めた。


 うわー……言っちまったぁー……。


 猛烈な恥ずかしさを誤魔化すために大きく腰をグラインドさせる。


「や……っ! ちょっ……まことさ……」


 突然の暴挙に洋人は言葉を継ぐ事が出来なかった。大きく背中をしならせて声にならない悲鳴を上げる。荒い呼吸の合間「ずるい……!」と涙を浮かべ抗議はしてみるものの、主導権を握った誠はそれをサラリと無視して本能が赴くまま行為に没頭した。


******


「何かお探しですか?」


 店頭に並ぶ白いボトルを手に、しばしの間物思いに耽っていた誠は隣からにこやかに声を掛けられて、はたと現実に戻った。

 隙のないメイクをした女性がこちらを見ている。

 「あ、いえ。見てただけです」そう言えばいいのに、アウェーであるこのフロアの地場の悪さに喉が詰まって咄嗟に切り返すことが出来なかった。

 高速バスと電車を経由して降り立った懐かしの土地。洋人のためにデパ地下で美味しい物でも買って行こうかと足を踏み入れた大嫌いな一階の化粧品売り場で、誠は気になる店を見つけて足を止めた。

 これ、洋人か使っているやつじゃね? と見慣れたボトルが並ぶ陳列棚の前に立っては見たものの、香水のことなど全く意識してないせいか、種類までは思い出せない。スタイリッシュなボトルはどれも同じ形と色をしていて、テスターを嗅ぎ分けてようやく該当の物を探し当てた時だった。

 間違いなく、これではあるが何かが違うような気もする。何でかな? なんて事を考えていたらそこからツラツラといつぞやの淫らな記憶が蘇ったのである。

 本心なので前言撤回するつもりはないが、さすがに「愛してる」はちょっとキザ過ぎたのでは? と、思わないこともない。

 全てが終わった後、洋人に「もう一度言ってください」とせがまれたが、だからといって簡単に口に出来る言葉ではないし、素面でなんて絶対にごめんだ。


『リクエストしてやるもんじゃないって、前にもあっただろ。こういうこと』


 と過去の出来事を引き合いに出してはみたものの「そんなことありましたっけ?」と洋人は全く身に覚えがないといった風だったので「あった。お前が言った。障害対応の時。あっくん事件の時」とその日時まで教えてやった。その後はのらりくらりと要求を跳ねのけているが、あんまりしつこいようなら言ってやっても構わない——洋人が寝た後に、ではあるけれど。

 ともあれ。


「そちらの香りはすっきりしていて飽きがこない商品でして。幅広い年齢の方がお求めになりますよ」

 

 ただの興味だったのにがっつり営業トークされている。


「あ……いや……」


「あと、比較的若い世代の方には、こちらのサボンもとても人気があります。そちらに比べるとやや甘めの印象が残る商品にはなるんですが、石鹸のような香りなので、男性でも利用しやすいって仰られる方が多いですね。……試してみられますか?」


 あー、いやいやいや。買うつもりないんだって。

 そうは思ってみるものの、ふと周りを見ると化粧品を購入しに来た女性客がチラチラとこちらの様子を窺っている。営業トークを繰り広げる店員の同僚と思われるポニーテールの片割れも仕事をするフリをして誠の様子を気にしているので始末が悪い。


「こっ……これ、ください」


 しどろもどろになって手にしていたボトルを渡すと、女性店員は真っ赤なルージュが引かれた唇をにっこりと引き上げて「ありがとうございます」と感謝の意を伝えてきた。

 洋人に言ったら絶対笑われるな、これ……。

 日常使いしているし、腐るものでもないのでプレゼントすればそれで喜びはするだろうけど、品物よりもこのエピソードの方に洋人は食いついてくるだろう。

 そんなことを考えながらまんまと香水を買う羽目になった誠はカウンターの前に立った。


「ご自宅用でよろしいですか?」


「えっ⁉︎ ……あー……プレゼント用で」


 パニックに陥る中、咄嗟にそう伝えると女性店員は一度目をパチと瞬いて背の高い誠の顔を見上げた。


「奥様にですか?」


 誠が左手の薬指に指輪を付けていることに気付いていたのだろう。

 細かいところまでよく見てんなぁ、と感心しながらも、誠はどう答えるものかと半瞬考えた。

 指輪の相手に、ではあるが『奥様』ではない。

 それに、は奥様なんてつつましやかな人間ではない。


「まぁ、そうなんですけど、そうではないと言うか……」


 妥当な質問なら「パートナーの方にですか?」ではあるが、通りすがりの客相手に、いきなりそんな聞き方するわけがないし、洋人だったらこういう時なんて尋ねるのだろう。


「男なんだよね。パートナー。その香水使ってて……」


 キョトンとする店員に、そう言って誠はヒラヒラと左手を振って見せた。

 店員は弾かれたように表情を変え「あ……失礼しました」と謝罪してカウンターの下からショップバッグを取り出した。


「きっと、お洒落な方なんでしょうね」


 小さな瓶を小さなバッグに収めながら、瞬時に平常心を取り戻した店員は持ち手の暇を引っ張りながらほほ笑んだ。


「え? そんなこと分かるの?」


「お客様の年代ならサボンを選ばれる方が多いんですけど、ショップの店員の間ではこちらの香りの方が人気があるんです。爽やかで飽きがこないし、万人受けするからって」


 あちらへどうぞ、とラッピングした袋を手に女性店員は店のブースの端まで誠を誘導する。


「あー。そういうの解ってそう。営業だから」


「そうなんですか? 喜んでいただけるといいですね」


 軽やかに笑って、店員は両手で持った手提げを誠に渡し「ありがとうございました」と頭を下げた。

 誠も会釈して地下に続くエスカレーターへと向かう。


 意識高い系ワーカホリック。

 まさか香水も客のために狙って購入しているなんて言わないよな?

 そんな疑念が浮かぶ中、それでもやっぱりショップで嗅いだ匂いと自分が知っている香りが違うような気がして、何故だろう、と右手に握った手提げを見て考えた。


「あ……」


 そっか。

 自分が嗅ぐ匂いは洋人の体臭込みだから……。


 その答えに思い当たった瞬間、誠はデパ地下もマンションまでの道のりもすっ飛ばして今すぐ洋人に会いたくなった。

 洋人は今日通常勤務で十九時上がり。マンションに帰ってくるのは早くて二十時前だろう。午後四時を過ぎたデパ地下は主婦層を中心とした買い物客で混雑している。この人ごみに混ざってあれこれ選んで買い物をしていれば、それなりに時間は消化できそうではあるが……。

 

 やっぱやーめた。


 誠は決断して反対方向にある上りのエスカレーターへとUターンした。

 向かう先は二人の愛の巣ではなく、ここからちょっと歩けばたどり着く本店一階の営業店舗だ。


 別に。同じ会社の社員だし。

 営業妨害しに行くわけでもないし。

 ちょっとバックヤードで缶コーヒーでも飲みながら待たせてもらうだけ。


 長旅のお供に鞄に入れて来たゲーム機の充電はまだ残っている。

 誰かゲームやってるかな……?

 ネットワークセンターの疑似家族のいずれかを暇つぶしに突き合わせる気満々で一階の正面玄関から外へ出た。

 誠は雑踏の中に一歩を踏み出した。

 その手に、芳しい洋人の香りを携えて。

 

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