企画参加短編:『カレーライス』

江口たくや【新三国志連載中】

企画参加短編:『カレーライス』

「カレーライス作るのなんて簡単だよ」

 幼馴染が困っているところを見ると、昔からどうにかしなきゃと思った。

 だって、放っておいたら大変なことになりそうなんだから。

 調理実習で作る料理なんだから、そんなに高度な技術を求められるわけもない。クラスで班を作って、みんなでやってみようってレベルだ。

 夏野菜のカレー。それが今日のお題だった。

 カレールウ、百グラム。

 豚肉、二百グラム。

 玉葱、一個半。

 人参、一本。

 じゃがいも。二個。

 子茄子 二本。

 ピーマン 二個。

 サラダ油、大さじ二杯。

 水、七百ミリリットル。

 白いご飯、二百グラムが五人分。

 家庭科室の大きなテーブルの上に、材料が並んでいる。

「簡単? どこが? だってこんなに材料山盛りじゃん」

「順番に準備していけば大丈夫だって。まずみんなで分担してこう」

 班は女子三人と、俺とこいつの五人。女子たちが野菜を洗い始めた。

「じゃあ俺、豚肉洗うわ」

「ちょ、ちょ、ちょ! 洗わない洗わない! 肉は違う!」

 慌てて豚肉のパックに伸びた手を掴む。きょとんとした顔でこっちを見たってダメだ。

「え、洗わないの?」

「洗わないの? ……じゃねえわ! 洗わないよ! なんで洗うんだよ。じゃあ、こっち。ほら」

 炊飯器の釜を取り出しながら手渡す。親指を勢いよく突き出して、何がグッドなのかよくわからないがグッドサインが返ってきた。

 米が釜の中にざざっと入り、蛇口の水が上から注がれていく。

「お米は炊いたことあるんだな」

「まぁねー」

 得意気な返事と共に蛇口の水が止まる。でも、安心するには早かった。

「待て待て待て待て!」

「え?」

「何で腕まくりしないの! 袖、びちょびちょになっちゃうじゃん!」

「あー、そっか。そっちか」

 一体どっちの選択肢だと思ってたんだ。慌てて後ろから袖をまくってやると、満足そうに米を研ぎ始める。

「なんか、お母さんみたいだね」

「それな」

 女子たちが笑っている。こんな手のかかる息子はなかなかいないんじゃないか。

 一通り準備が整った。カレー鍋にサラダ油を垂らして熱し、野菜と肉をよく炒める。他の班も大体同じ進み具合なのか、軽快な音があちこちでし始めて調理室一杯に広がった。じゃがいもだけは、そのまま入れると煮崩れするから炒めた後でいったん取り出しておく。

 水を加えて、まずは強火だ。沸騰したら灰汁を取る。取りすぎるとかえってうまみを捨ててしまうことにもなるから、ほどほどに。

 材料がやわらかくなるまでは弱火から中火で煮込んでいく。十分ほど経ったら、ここでじゃがいもを入れておいて、もう十分くらいだ。

 使い終わった包丁やまな板は、この煮込み時間の間に洗ってしまえばいい。最後にまとめて洗ってもいいけど、カレールウの鍋と一緒に洗うのは逆に非効率になる。

「どうした?」

 ふと振り返ると目が合って、尋ねた。

「すごいな」

「何が?」

「さっきから、手際がめちゃくちゃすごい」

 飽きているかと思ったけど、意外と調理工程を見ていたみたいだ。

「そんなことないよ。普通だよ、普通」

 お腹が空いてきたのか、こっちの一挙手一投足に興味津々な姿に思わず笑ってしまった。

「何だよ」

「ううん。何でもない。カレールウ、やる?」

「うん。やる」

 一度、鍋の火を止める。

「火、消していいの?」

「そう。火をつけたまんまだと、カレールウの中の小麦粉が固まっちゃうから。入れていいよ、ほら」

 言葉通り素直にカレールウを割って、鍋に置いたお玉の中にぽとん、と落とす。

「大丈夫?」

「これで、ゆっくり溶かしていって。撥ねないように優しくな」

「こう?」

「そうそう」

 お玉のうえのカレールウをかき混ぜるたびに、微かに腕が体を掠める。いつもよりちょっと近い距離。熱い。きっと鍋が目の前だからだ。

「おおお、溶けてきた」

「だろ? あとは弱火でとろみが出るまで 煮込むだけ」

 良い匂いがしてきた。




「思い出すだけでもまじ旨かった! やっぱお前天才だよ!」

「そんな大袈裟な」

「ほんとほんと! めっちゃ旨かった! お替わりしたいもん!」

 いつもの帰り道。テンション高めの声が響き渡る。学校と地下鉄は直結だ。広めの駅だけどこの声量は目立つ。

「地下鉄の中ではでかい声出すなよ? ガチで恥ずいから」

 嬉しい。照れくささをごまかすように、地下鉄のマナーめいた理由をとってつけた。

 地下鉄が来た。

 この時間帯は本数が多いこともあって、帰宅する生徒の数も多くホームが混んでいないとまではいかないけど、一本見送れば座れないこともない。

「おれの席ゲットー!」

「お前の専用席じゃないだろ」

 乗り口のすぐ横。手すりのついた席がこいつのお気に入りだ。金属の手すりが冷たくて気持ちいいらしい。座るのに手すりなんて要るのか?

「あーあ、クラス替え嫌だなぁ」

 そうだ。そろそろクラス替えだ。今年は去年と違って繰り上がりじゃないんだ。

「また一緒だといいな」

「俺と?」

「何で目の前にいて他の奴の話出てくると思うんだよ」

 そんな照れくさそうに言うなよ。つられてこっちも照れる。今、ちょっとキモい顔してるかもしれない。

 いや、だいぶやばい。

「……確かに」

「おい、その間は何だよ」

「嫌だったら毎日一緒に帰んないけど」

 この恋心を自覚したのはいつだったろうか。

 気づいたときにはもう好きだった。

 放っておけない。それは誰かに盗られてしまうかもしれないと思うからだ。こんな心が自分にあったと気づいたとき、正直引いた。

 地下鉄の心地よい振動に、すっかり微睡みの中に潜っていく頭が揺れ、ドアの隣に立っているおばさんに傾きそうになったので手を伸ばして頭を抱え込むように抑えた。

 おばさんと会釈しあって、抱えこんだ頭をこっち側に凭れかからせる。寝息がはっきりと聞こえる距離になった。

 あーあ、こんな無防備な顔ですやすやと。

 こいつのうたたねなんて、いつものことだ。いつものことなのに、頬が熱を帯びている。誰かに見られてるんじゃないかと思って空いている左手で鞄を抱えてちょっとだけ俯いた。

 できるなら、ずっとこのままでいたい。

 いや、いつもの地下鉄なんだからそんなことあり得ないのはわかっているけど。右肩にかかる体重と伝わる体温を感じながら、だんだんと自分の鼓動だけが大きく強くなって聞こえてくる。

「ほ、ほら、駅。次だからもう着くよ」

 小さな声で話しかけながら、体をゆすってやる。学校から家の最寄り駅まではたったの十五分。この僅かな時間でよくもまぁ毎回眠りにつけるものだ。

 停車アナウンスが流れだす。

 地下鉄が減速し始める。瞳がゆっくり開いて、悪戯っぽい笑顔がこっちを見てきた。

「おはよ」

「ほら、鞄。スマホはちゃんとある?」

 鞄を押し付けるように渡す。鞄を受け取ると、胸ポケットのスマホを見せびらかすように出してかっこつけたように笑った。失くさないように胸ポケットに入れておくように決めさせたの、そういえば俺だっけ。

「あるある。大丈夫。やっぱ持つべきものはお前だな」

「なんだそれ」

 ほんと。なんだそれ。嬉しい。

 でも、こいつは俺がこんな些細なことで心臓ばくばくさせてるって知っても、同じこと言ってくれるだろうか。変わらず一緒にいてくれるだろうか。幼馴染としてじゃない、このどうしようもなく気持ち悪い感情を知っても。

 地下鉄を降りる。改札を出てからの帰り道も俺たちは一緒だ。

「ほんと何でもできるよなぁ。今日のカレーライスだってあんなに手際よくてめちゃめちゃ旨いし」

「別に。箱に作り方書いてるじゃん」

「まーそうだけどさぁ」


 やっぱり、カレーライス作るのなんて簡単だよ。

 レシピどおりに出来たら褒めてくれるんだろ?

 この気持ちを隠し続けることに比べたら、ずっとずっと簡単だ。

 どこかに正解が書いてないだろうか。この気持ちを君に伝える方法の正解が。君に同じ気持ちになってもらえる方法の正解が。

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