あったか漫画倶楽部の思い出
スロ男
けど少し温かい……
帰りた〜い 帰りた〜い
あったか倶楽部が待っている♪(テーマソング)
僕がその倶楽部のことを知ったのは、大学に入学したときのことだった。
埼玉に教養課程のキャンパスのある三流大学で、施設案内をしてくれた人は、なぜか先輩ではなく、僕と同じ一年の女子だった。いま思い返しても、なぜそんなことになってたのかは、よくわからない。
が、その案内のとき、小柄で色白で眼鏡をかけてた彼女に一目惚れした僕は、彼女が「面白いから来なよー」といってくれた部活、つまりあったか漫画倶楽部に後日入ったのだった。
「ねえ、あの三色の旗ってなに?」
先輩と思しき集団の、笑顔で旗を振ってる人たちが気になって彼女——サワちゃんに聞くと困ったような笑顔を浮かべて、
「あー気にしないほうがいいと思うよ。なんていうか、特定の思想の集団みたいな?」
と言われたので気にしないことにした。
僕は一浪した挙句、浪人時に文転した元理系ではあったけれど、元々ムー民ということもあってわりと思想だのニューエイジだの新興宗教だのには理解があったので、なんとなく察したのだった。
その肝心の“あったか漫画倶楽部”の部室に出向いた時、お目当てのサワちゃんはいなかった。
部室には、二人とも長身の、顔色の悪さも共通したのっぺりした田原俊彦みたいな男と、シド・ヴィシャスを無難な髪型にしたみたいな男がいた。
シドはエレキギターを電源も通さずに抱え、楽譜を見ながら一生懸命ピッキングの練習をしていて(後にわかったのだが、その時はスレイヤーのスコアだった)、トシちゃんのほうはウクレレを抱えていた。
(あれ、これ部室間違えたな?)と僕が思うのも無理ない話だろう。
だが、合っていた。
そこはあったか漫画倶楽部の部室で、部室にいた男子二人は同い年の先輩(つまり現役入学生)だった。
ところで僕はあったか漫画倶楽部と並行して、大学生協で販売する冊子を作っているサークルにも顔を出し、ちょっとだけ参加したことがある。
きちんと印刷会社に依頼して製本し、表紙は学内の女子をモデルのように写したそれらしい体裁で、生協のレジ横に並べられて売られていた。
田舎から(少しだけ進んだ)田舎に出てきた僕は色々なことに疎かったが、本を作って売るなんて楽しそう、というので参加したのだった。
そこでも、ちょっと大人びた(老けてるともいえるかもしれない)女子、アサちゃんと仲良くはなったのだが、そのアサちゃんは同サークル内の部長とすでに深い仲だったらしい。
学内の部室棟に部屋がないのはサークルだから当然ではあったのだけれど、なぜか三駅離れたちょっと栄えた小江戸の駅に、築三十年以上は軽く経っているオンボロアパートを借りていて、そこにアサちゃんに誘われていったら部長(小柄で浜田省吾に憧れてる感ダダもれの人だった)がいて、一緒に頑張ろう、と熱く握手されたのだった。
まあ、そこは結局、サークルの部室なんかではなく民生同盟のアジトかなんかだったみたいで、ハマショーとアサちゃんはそこでくんずほぐれつだったこともあって、その後そこに行くことはなかった。
さて、肝心のあったか漫画倶楽部についてだが、次に部室に顔を出した時にはサワちゃんはいた。
サワちゃんの他、二人の男子がいた。
今回は先輩ではなく、同じ一年生だった。
そのうちの一人が急に僕の名を読んで、アメリカ人よろしく手を上に挙げたので、僕もよくわからないまま、その手を叩いた。
「よろしく」
「よろしく」
きっとサワちゃんが僕のことを話題に出していたのだろう。
男子二人は元々同窓らしく、お互いに名前で呼び合っていた。なんでもふたりとも僕と同じく新入生の施設紹介のときにサワちゃんに案内されたらしく、サワちゃん目当てでここに入ったのは一目瞭然だった。
部室の真ん中に鎮座するデカい木のテーブルに僕もついて、
「ところで、ここは何の部活なの?」
と初めて訊いた。
女子目当てで入った新入生ふたりは口をもごもごとしたが、同じく新入生であるはずのサワちゃんは明朗にこう答えたのだった。
「ここは、みんなを肯定する、漫画を愛する人達の集まりよ」
皆を肯定するとは、一体なんなのか?
よくわからないまま、僕は、
「ああ、なるほど」
と呟いた。
その頃の僕は、高校時代の友人に勧められた村上春樹にカブれてた頃のことで、
「やれやれ」
と言わなかっただけでも、充分慎重だった、と思う。
飽きたからもういらないとトシちゃんがいったウクレレを、シドがなぜかパンクにネックを折って、その後は灰皿としての余生を過ごしていたそれに煙草の吸殻を押し付けて、僕はトシちゃんに訊いた。
「そういえばKさんはなんでこの部活に?」
「んー、Tさんに誘われて?」
Tさんというのは四年の先輩で女性だった。
つまり僕と同じ穴のムジナだったのだろう。
その年の文化祭で、あったか漫画倶楽部なのに何故かライブ喫茶というのが企画され、その時Tさんがプリプリの「M」を歌いたいというので、キーボードのイントロ部分を練習したのは懐かしい思い出だ。
僕は、そのライブ喫茶で、Tさんの歌う「M」のキーボードパートと、サワちゃん目当てで入ったうちの片方M(奇しくも彼は僕と生年月日がまったく一緒だった)が歌いたいといった「アナーキー・イン・ザ・UK」のドラムを担当した。
ドラムはTさんと同じく四年の元部長が自腹で買ったもので、板橋にある本校舎にいったとき触らせてもらって
「ベードラとスネアは同時じゃなくて交互だよ」
と教えてもらった。
所詮その程度の知識しかないので、ハイハットのオープンとクローズの使い分けが、いまだにわからない。
ところで一年の最初の夏休み、僕は生まれて初めてのバイトを体験した。長野でのリゾートバイトだった。
木島平というところにあるロッジで、サワちゃん目当ての片割れ、初対面で僕とハイタッチをしたNと一緒に電車で長野に向かった。
向かう途中でちょっとした軽犯罪なども犯したりしたのだが、いまはもう時効だということで追求はしないでもらいたい。
途中で食べたトンカツ屋で、あんまり待たされたのでむかついて、ソースにお茶を入れたとか、いまになって思うと店じゃなく客へのダメージすぎて、酷い子供だったと思う。
首謀者は僕で、なぜNは僕を止めてくれなかったんだろう、とも思うが、こんな言種は連続殺人鬼が鏡に「僕を止めて!」と書き残していくのと何ら変わりない。
人のせいにしては、いかん。
そのバイトで一カ月ほど働いて、僕はキーボードを買ったわけだけれど、結局シーケンサー付きで3.5インチに記録できるそれより、安価で買ったカワイのスペクトラばっかり使っていたのも、懐かしい思い出ではある。
後に奥華子が使ってるのを見て、
「うお、スペクトラじゃん!」
となったのも、はて、何年前のことか。
思い出しながら書いてても、いくらでも書けてキリがないので、とりとめのないまま、そろそろ〆に入ろうかと思う。
Nは結局、あったか漫画倶楽部に入ってきた新入生の女子と恋人同士になった。そして誕生日が一緒のMは、僕とサワちゃんが池袋に映画を見に行くという流れになったとき無理やり入ってきたくせに、同じく他の女子部員と付き合うことになった。
ちなみにそのときに見た映画は文芸坐のイタリア映画三本立てとかで、『気狂いピエロ』と『勝手にしやがれ』は覚えているのだけれど、もう一本がなんだったのかは、もう覚えていない。
そして僕とサワちゃんの仲は特に進展することもなく、僕は最低の告白をした。
それは通い始めた教習所の女性指導者(当時、既婚)と付き合い始めたけれど、君のことがずっと好きだった、というもの。
彼女は彼女でべろんべろんで、池袋のミニシアターに飲み会の後誘われていったものの、開始の時間までダンキンドーナツのトイレにずっと籠っていたとかもありつつ。
その時の飲み会で「サワちゃんはキス魔なんだよねえ」とか女子たちに散々いわれてて、「え、俺されたことないよ、マジで?」とかあったのもあって、映画を見終わったあとの夜明け前の寂れた公園で、ブランコを漕ぎながらそんな告白をしたあと、やや強引にキスをして、
「ごめん、舌はちょっと」
なんていわれながら僕の初恋は終わったわけだけれど、結局あったか漫画倶楽部とはなんだったのかまったくわからないままだし、僕は僕で自分の人生ってなんなんだろうと、いまだにわからないままだ。
そのあと彼女は国文学研究会というのに移籍してしまった。そこの部誌にラブクラフトと夢野久作のことについて書いたエッセイを寄稿していて、
「あはは似てる似てる」
と笑いながら、国文学とはなんぞや、と思ったことを覚えている。
そこで、ちょっと僕に似た、僕自身の視点では僕よりイケてない先輩と彼女が付き合い始めたことを風のたよりに聞いた。
彼女は、いまどうしているのだろう?
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