令和6年度 漫画研究会 会誌『ぽかぽか』

南雲 皋

読んでくれた全ての人へ

 高校では、漫画を描いているなんて恥ずかしくて言えなかった。

 オタクをキモがる女子たちから目を付けられないよう、漫画に興味なんてないフリをして、だけどドラマの原作だったり、話題になりそうな少女漫画にはみんなに影響されて読んだんだという顔をして。

 それでも、メッキは剥げてしまって、ひょんなことから私が漫画を描いていることがバレて、クラスどころか学年、学校中で回し読みされて、笑われた。


 だから、必死になって大学に入った私は喜び勇んで漫画研究会の扉を叩いた。

 ここでなら、漫画を好きな人しかいないここでなら、大手を振って漫画の話ができると思ったから。


「あー、新山にいやまさんは描きたい系の人なんだ。うち、あんまりそういう人いないんだけど大丈夫?」

「え? そ、そうなんですか? でも、去年の学祭で出されていた会誌にはいっぱい漫画が……」

「あぁ、あれね。ここだけの話、あれってうちが出したんじゃないんだよね。毎年、学祭が近づいてくると印刷所から送られてくるんだよ」


 そんなことがあるのか。

 意味の分からない話を聞かされて、私はがっかりしながら家に帰った。

 学祭で買った会誌は、大事に本棚にしまってある。ここに私の描いた漫画も、載せてもらえると思ったのに。


 パラパラとめくっていると、奥付けに目が止まった。


【発行:あったか漫画クラブ】


「あったか漫画クラブ……?」


 翌日、私はその会誌を持って漫画研究会を再訪していた。

 昨日も対応してくれた、副会長の丹田たんださんが、大きな体を揺らしながら出てきてくれる。


「わぁ、会誌じゃん。漫研のメンバーは購入も閲覧も不可って言われてるし、毎年完売しちゃうからちゃんと見たことないんだよね」

「あの、このあったか漫画クラブっていうのはどこにあるんですか?」

「あったか漫画クラブねぇ、そんなサークル見たことないんだけど……あれじゃない? OBとかOGとかがさ、それぞれバラバラに仕上げた原稿を誰かがまとめてるとか、参加者はいるけど実態はない的なさ」


 丹田さんは部屋にいた漫画研究会のメンバーに聞いてくれたけれど、誰もあったか漫画クラブのことを知らなかった。

 私はまたしてもがっかりしながら家に帰った。

 家に帰って、誰も知らない人たちの描いた漫画を読んだ。

 みんな絵も話も面白くて、自分がそこに混ざれないことがとても悲しかった。


 翌日、とぼとぼと歩く私に話しかけてくる人がいた。

 スラリと背が高くて、清潔感のあるシャツとGパン、少しウェーブのかかった焦茶色の髪をきちんとセットした男の人。

 好青年という言葉を擬人化したらこうなるのではと思うくらいに整った男の人だった。

 こんな人が、私に用があるとは思えない。何かよくないことにまきこまれたらどうしようと、無意識に警戒態勢を取ってしまった。


「あぁ、そんなに警戒しないで。丹田くんから、新入生であったか漫画クラブに興味がある子がいるって教えてもらったんだ」

「え?」


 あったか漫画クラブのことなんか知らないって言ってたのに……。

 いや、もしかしたら大勢の前で大っぴらに言えない事情があったのかもしれない。

 そんなことを考えていると、目の前に大きな手のひらが差し出された。


「ボクは、あったか漫画クラブの部長。遠藤えんどうといいます」

「あ! えと、私は新山、新山ゆかりです!」


 慌てて握り返した手に、力が入る。

 

 この人は。

 昨日の夜、読んだばかりだから記憶に新しい。

 この人は、私が一番好きな話を書いた人だ。

 そんな人とお話しできるなんて!


「新山くんは、あったか漫画クラブに入りたいのかな?」

「はい! あの、私、遠藤さんのお話が一番好きで!」

「ボクの……?」


 遠藤さんは少し驚いた顔をして私を見た。

 ああ、話の内容が内容だったから、女子のファンなんていないと思ったんだろうか。


「一番最後に載ってた『贄の儀』って遠藤さんの作品ですよね? 私、ああいうお話が大好きで、でもあんまり大きな声では言えないというか……なので、あの作品が掲載されるようなクラブなら私も自信を持って漫画が描けるんじゃないかって」

「すごい、そうだったんだ。嬉しいよ。ボクらは君を歓迎する。さっそくなんだけど、今日の午後は空いてるかな?」

「はい!」


 あまりに嬉しくて、面倒だと手付かずだった履修登録を速攻で終わらせ、私は遠藤さんとの約束の場所に向かった。


 そこは、サークル棟から少し離れたところにある古びた建物だった。

 窓ガラスはところどころひび割れていて、遠藤さんが案内してくれていなかったら今は使われていない場所なのかと思ってしまうくらいだった。


「ごめんね、こんなところで」

「いえ、大丈夫です」


 本当は少し気味が悪かったが、こういう場所で活動しているからこそ、ああいう作品が生み出せるのかもしれない。


 薄暗く、汚れた階段を上がって二階へ。奥から二番目の部屋が、あったか漫画クラブの部室なのだそうだ。

 中はカーテンが締め切られていて、二本だけついている蛍光灯が薄らぼんやりと室内を照らしていた。入って左手にある大きな本棚には今までの会誌や、週刊誌、月刊誌などのバックナンバーが並んでいて、そこを見るだけでも時間が溶けていきそうだと思った。


「みんな、新入部員の新山ゆかりさん。彼女はボクの作品を気に入ってくれたそうだよ」


 部屋の中には四人の男女がいて、それぞれが遠藤さんの言葉に反応していた。

 ドキドキしていたけれど、みんな好意的で、にこやかに握手をしてくれた。


「ここ、空いているから使って。個人所有のものは机の中にしまうか、名前を書いておいてね。それ以外のものは全部クラブの共有備品扱いになるから、新山くんも自由に使って構わないよ」

「分かりました!」

「あ、それと隣の部屋もうちで使わせてもらっていてね。こっちに置けない資料なんかを保管しているんだ」


 私は使ってもいいと言われた椅子にカバンを置いて、遠藤さんの後に続いた。

 隣の部屋も、カーテンが閉まっていて暗い。遠藤さんが電気のスイッチを入れると、そこには大きな魔法陣が描かれていた。


「わ! すごい……! これ、『贄の儀』に描かれていたものですよね!」

「うん。ボクはリアリティを大事にするタイプだから……。これみたいに、場所を取るものに関してはこっちの部屋を使うようにしてほしい」

「はい! 私、頑張って漫画家デビューします!」

「ははは、それはいいね。きっと新山くんは素晴らしい漫画家になるよ」


 そう言われて、私は浮かれた。あまりに単純すぎるけれど、こんなセリフを面と向かって言われて嬉しくない人なんかいないだろう。


『君には才能がある』

『しっかり見て』

『しっかり描いて』

『それを、大勢の人に届けてくれ』


 それから私は、授業がない時はずっと部室で漫画を描くようになった。

 遠藤さんも、先輩方も、みんな私を馬鹿にせず、いつだって応援してくれた。


 構想を話せば面白いと言ってもらえて、資料が足りないと言えば一丸となって揃えてくれて、私がこの漫画を完成させられたのは、間違いなくあったか漫画クラブの一員であったからだった。


『今年の会誌、トリは新山さんに決まりね』

『間違いないな』

『君には負けたよ』

『本当に素晴らしい才能ですね』


 学祭前日に間に合うようにデータを揃え、あったか漫画クラブ御用達ごようたしという印刷所に入稿した。

 これで、漫画研究会に会誌が届けられるという。


 私は満足感に浸っていた。全力で駆け抜けて、ようやくゴールテープを切ったのだ。


「あなたたちも、本当にありがとう」


 私のために、ありがとう。


 遠藤さんの使った魔法陣は、もう私の描いた魔法陣で上書きされている。

 中央にしつらえた祭壇には三つの頭蓋骨。

 みんな高校時代にお世話になった人たちだった。


 私が漫画を描いていると知って、私の部屋からネームのノートを盗んださやかちゃん。

 さやかちゃんからノートを受け取り、大量にコピーしてばら撒いたゆきなちゃん。

 私の話を聞いてくれず、コピーされた私のネームを笑って破り捨てたななみ先生。


 みんな、みんなありがとう。


「『贄の儀』、完成してよかった!」


 ただ、ひとつだけ気になることがあった。

 たくさんの編集部に送ったけれど、未だにひとつも返事がないのだ。


「ま、いっかぁ」


 会誌を読んでくれれば、私の作品の素晴らしさが分からないはずがないのだから。


 私は軽い足取りで部室へと向かうのだった。

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