第8話:偽聖女の終わり
爆煙が晴れたとき、壇上に立っていたのは、かつての“神の使い”ではなかった。
ミリアの祭服はすすけて破れ、乱れた髪の下から見えるその瞳には、信仰も誇りも宿っていない。
ただ、泣き叫ぶ子供のような、混乱と怒りが渦巻いていた。
「違う……これは違うの! これは……誰かが、罠を――!」
言い訳のような叫びは、誰の心にも届かなかった。
広場の空気が変わる。
誰かが、ぽつりとつぶやく。
「……嘘だったのか?」
「聖女様じゃなかったのか……?」
それは波紋のように広がり、やがて怒号へと変わった。
「返せよ! 俺たちの信仰を、希望を……!」
「神の名を騙しやがって……!」
群衆が石を投げ始めた瞬間、ヴェイルの号令が響く。
「やめろ、王家の調査が先だ。今ここで処罰するな!」
兵士たちがミリアを守るように取り囲み、混乱は一時的に制される。
そして――その場に、王太子セドリックが姿を現した。
「……ミリア。君に問う」
その声は低く、冷たい。
「君は“奇跡”を演出し、人々の信仰を操った。王家を欺き、民を愚弄した。その責任をどう取る?」
ミリアは彼を見上げ、縋るように叫ぶ。
「セドリック様! 私はあなたのために……あなたに認めてもらいたくて……っ!」
「ならば、なぜレティシアを陥れた?」
その名が出た瞬間、ミリアの表情が一変した。
「……っ、あの女は、邪魔だったのよ。私の居場所を、奪おうとしたから!」
セドリックの目が細くなる。
「君は、僕が知っている“聖女”ではなかった。――すでに、ただの罪人だ」
ミリアの目から、ついに涙がこぼれた。
だがそれは、悔恨の涙ではなかった。
自分の地位と居場所を失った、少女の未練と怒りの涙。
セドリックはレティシアへと目を向けた。
「……君を、信じられずすまなかった。これからは、二度と間違わない」
レティシアは静かに頷いた。
「過去は変えられません。でも、未来は選べます。私たち次第で」
王家の兵によって連行されていくミリアの背中は、もはや誰の目にも、ただの“敗者”として映っていた。
民衆の信仰は再び正され、レティシアの名誉は取り戻された。
だが、彼女の胸にあるわだかまりが、すぐに消えることはなかった。
(彼女は……どこで間違ったのかしら)
(もしかしたら、私も同じだったかもしれない。選ばれなければ――)
それでも、レティシアは前を向いた。
信仰は、奇跡の結果ではない。
真実の中にこそ、神の道はあるのだから。
♢♢♢♢♢
「開けろ」
鉄の扉が軋む音と共に、光が差し込む。衛兵が二人、重々しい足音を響かせながら入ってきた。ミリアはぼんやりとその姿を見つめながら、干からびたパンにかじりつく手を止めなかった。
「聖女だったんだろ? ずいぶんとみすぼらしくなったもんだ」
吐き捨てるような声。だが、ミリアは何も返さなかった。返す価値もないと、心の奥で見下していた。かつては自分に跪いていた民。その衛兵が、今では自分を哀れみ、嘲る立場になっている。それが、なによりも――許せなかった。
「水を置いていく。ちゃんと生きてろよ。お前の処刑は、まだ決まってねぇんだからな」
処刑。その言葉にも、ミリアは動じなかった。すでに覚悟は済んでいた。いや、それ以上に、自分をここまで貶めた者たちへの怨嗟が、彼女を支えていた。
(レティシア……お前が、私のすべてを奪った)
あの時、祭壇の上で偽りの啓示を叫び、ミリアを陥れた令嬢。表面上は清廉で、誰よりも真っ直ぐな正義を口にする少女。その裏で、どれだけ多くの人間を欺き、味方を得てきたのか。ミリアには、あの偽善の笑みが今でも脳裏に焼きついている。
(セドリック様も……あの女に心を許して……)
ミリアの胸に、嫉妬と悔しさが渦巻く。信じていた人間すら、自分を見捨てたのだ。聖女として尽くし、祝福を与えたはずの彼らが、真実を知ろうともせず、ただ世論に流されてミリアを断罪した。
なぜ、こんなことに――。
「私は、間違っていない……」
小さく呟く。声は誰にも届かない。石の壁と鉄格子に吸われて、ただの反響となって返ってきた。
(私はこの世界を救おうとしていたのよ……神の教えに従って、正しい道を示していただけ。愚かな者に罰を与え、悪を排除する。それの何が悪いというの……?)
彼女の信念は、未だ揺らいでいなかった。いや、それが暴走という形をとって強化されていた。もはや神の意志ではなく、自分自身の“正しさ”に酔い、その権威にすがる形で。
ミリアは、パンの欠片を見つめた。硬くて、乾いていて、味もほとんどない。だが、これが今の自分に許された唯一の“糧”だ。
そして彼女は思う。
(……私は、終わらない。ここで終わるはずがない)
その目に浮かぶのは、諦めでも悲しみでもない。燃えるような怒りと、憎悪。そして、復讐の決意。
やがて扉が閉じられ、再び闇が訪れる。
聖女ミリアは、そこでひとり、ゆっくりと微笑んだ。
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