第7話 バ美肉おじさんと大掃除

 ケーキを一緒に食べた後、宝石姉妹と別れ彼女達が住むアパートの管理人の部屋を弓の姿で訪れた。


「ああ、古関さんとこの? あそこは近々強制的に立ち退いてもらう予定だから」

「待ってください。あのお子さん2人の家庭の事情はご存知なんですか?」

「母親がいなくなったのだけは知ってるが?」


 いくら管理人にも生活があるとはいえ、酷すぎやしないだろうか。


「家賃、どのくらい滞納してるんですか。電気水道ガス料金も、場合によっては私が立て替えます。ですので立ち退きは無かったことにしてもらえませんか?」

「ほーう? もの好きな奴もいたもんだ。…………3ヶ月分、しめて36万だ」

「この場で現金で払います」


 もう一つのサッシをすぐさまコンビニのATMへと空間を繋げると、キャッシュカードで引き出した。


「…………ふむ、良いだろう。住んでいても構わん」

「ありがとうございます」

「ただし、貸してる室内全てをなるべく綺麗に維持しておくのが条件だ。それを破れば立ち退いてもらうよ」


 予想通りの言葉が出てきたので安心する。


「ただ今清掃中ですのでお待ちください」

「……各会社に連絡を入れておく。直に電気水道ガスが使えるようになるだろう。しばし待つがいい」

「ありがとうございました。それでは失礼します」


 管理人室から宝石姉妹の住まいへ戻る。


 各種インフラは復旧の目処が付いたので、健康的で文化的な生活が最低限送れるようになるだろう。


 まずはトイレと風呂の掃除、それから姉妹を風呂に入れてたまった汚れを落として購入した下着と服を着せる。


 汚れた服は洗って臭いが落とせたとしても、汚れは染み付いてしまったので落ちないだろうから捨てる他ない。


 夕方、管理人室から電話で各種インフラが復旧したので使用可能と連絡が届いた。


 既に浴室は掃除が終わっていて、今はトイレ掃除中だ。


 水道を停められてから汚物が流せなくなったので、夜中にタンザがこっそりと近くにある公園で溜めた物を流していたそうだ。


 そのおかげもあってトイレ掃除は想像していたよりも早く済んだ。


 タンザは親の言いつけを頑なに守ろうとするが、汚物は別と判断したのは個人的に花丸をあげたい。


 もし室内が汚物で汚染されていたら色々と終わってたからだ。


「お巡りさんに見つかったらどうするの?」

「見つかったけど、帰してくれた」


 その場合は一発で児童相談所行きのはず。


 そう思って訊いてみたら宝石姉妹には適用されないんだった。


 それはそうと、姉妹にとっては念願の風呂である。


 浴槽に浅く湯を張ると姉妹を呼んで風呂に入ってもらう間に着替えを用意しておくのだ。


「タンザちゃん、良い? 頭と身体を隅々まで洗って、お湯で流して、お湯に色が付かなくなったらお風呂に入るんだよ」

「うん、分かった」

「かった」

「何か困った事があればすぐ呼んでね」

「はーい」


 念の為、浴室の外で待機。漫画でも読んで時間を潰そう。


 久方ぶりの風呂に姉妹のはしゃぐ声が漏れ出てきたのをBGMに漫画を読んでる途中、浴室にいる姉妹へ定期的に呼びかける。


「タンザちゃん、汚れは落ちた?」

「まだ出てる」

「しっかり洗って綺麗になろうね」

「うん」


 それからしばらくして2人共洗い終わったらしく、仲良く浴槽に入ったようだ。


「お姉ちゃーん」


 おや、タンザちゃんが呼んでる。


「どうしたの?」

「モルガ、中に入らない」


 中? 浴槽に入ろうとしない?


 そういえばと思い当たる。


「もしかして入れないの?」

「うん、そう」


 浴槽の壁がモルガにとっては高過ぎるのかもしれない。


 俺は浴室に窓を移動させて確認する。


 ああうん、予想通り壁を乗り越えられないでいる。


 というか背丈の事を考えて湯を浅く張ったから、下手すると落下して怪我をする恐れもある。


「モルガちゃん、ちょっと後ろを向いてくれる?」

「あーい」

「ばんざーいして」

「あんざーい」


 両手を上げたモルガちゃんの両脇を持つ。


「動かないでね? 『窓よ、50cm上に。……30cm前に。……ゆっくり下がって……はい、位置固定』」


 浴槽の壁を飛び越えてモルガちゃんを浴槽に入れた。


「わー! 温かい!」

「はい、2人共、肩まで浸かって」

『はーい』

「お湯の中で、手で身体を擦って」

「んー? …………あ、何かとれてる」


 お湯の中を漂う細かいのは恐らく垢だろう。積もりに積もった老廃物がまだへばりついているようだ。


 心なしか、お湯が濁り始めている。


 どうやら姉妹に任せて身体を洗わせたのは不十分だったようだ。


「風呂から上がったら、また身体を洗おうね」

『えー』

「女の子なんだから綺麗にしないと」

『……はーい』


 2人は渋々と返事した。


 しばらく風呂に入ってなかったから怠け癖でもついたのかもしれない。


 今後の課題の1つだなと考えつつ2人を浴槽から洗い場に出し、浴槽内の汚れた湯を排水する。


 今度は俺が姉妹を洗う。


 頭髪はまだ脂が残っていたし、身体をタオルで擦ると垢がまだ出てくるのを見て、まるで玉ねぎの皮を剥いている気分になった。


 浴槽内の排水が終わったのでまたお湯を入れなおす。


 姉妹の髪を見て思うのだが、床屋に行ってないから髪はボサボサだし、ある程度調髪しないといけない。


 鋏(はさみ)も購入しておかないといけないな。


 参ったな、他人の髪を切った経験1度も無いぞ。


 それは後に考えるとして、姉妹を隅々まで洗い終え風呂に入れる。


 今度は垢は出てこなかった。ヨシ!


 温まった頃合いを見て2人を上がらせ、エアコンにより暖まった脱衣所でバスタオルで拭いてあげる。


 2人が水で水分補給している間、ボサボサの髪を拭いていた時、変なものが視界をよぎる。


 虫っぽいような……まさか。


 嫌な予感がして2人の髪をかき分け、毛髪の付け根を確認する。


 はたして、長さが3mmほどの虫が何匹も這い回っていた。


「…………虱(シラミ)だ!」

「シラミ?」

「何そえー?」


 寄生虫の類(たぐい)のはずだ。


 放置しておけばえらいことになる。


 確か、虱潰しの効果的な対策は……。


→丸坊主

 丸坊主

 丸坊主


 脳内に選択肢が出たけど、2人共女の子だよ!


 丸坊主はさすがにまずいだろ、効果的だけど。


 発想が昭和すぎる……。


 しばし頭を悩ませて思いつく。


 そうだ、こういう時こそスマホのネットAIに尋ねれば良い。


『シラミ除去シャンプーと専用の梳き櫛が効果的です』


 なるほど。早速ドラッグストアに空間を繋げる。


「こんにちは」

「いらっしゃいませ」

「虱除去シャンプーと専用の梳き櫛ありませんか?」

「それでしたら、こちらです」


 店員の案内に付いていき、商品棚に並べられている目的の品を持って会計する。


「ありがとうございました。またのご利用をお待ちしております」

「ありがとうございました」


 互いに挨拶を交わし退店するように見せかけ窓を閉めた。


 しかし、現代はこんな便利な物が売られているのか。


 時代の流れは速いものだと感慨深げになりつつ、2人を拭いて湿ったタオルを洗濯機に入れ、俺の部屋のポットから虱潰しのための熱湯を注ぐ。


 後何回か湯を沸かす必要があるな。


 作業をしながら2人に話しかける。


「もう一度頭を洗おうね」

『えー、やだー』


 2人共はっきりとした拒絶を見せるが、そうは問屋が卸さない。


「……タンザちゃんとモルガちゃんの頭にたくさんの虫が付いてるの」

『え』


 嫌がっている姉妹が止まる。


「頭がかゆいのもその虫のせいなの」

『…………』

「虫を殺すシャンプー買ってきたから、やりましょう」


 俺の言葉に反応したのは姉のタンザ。


「……そのシャンプー使えば、かゆくなくなる?」

「どちらかと言うと、使えば使うほどだんだんかゆくなくなって行く、かな?」

「……やって。お願い」


 思いのほか決断は早かった。


「分かった。……タンザお姉ちゃんはシャンプーするって。モルガちゃんはどうするの?」

「……する。ヤンプーするー!」

「良いでしょう。じゃあまた浴室へどうぞ」

「かゆいのばいばいする!」

「する!」


 2人の同意を得て再度浴室へ。


 虱除去シャンプーを取り出すと、早速2人の頭を順番に洗い始める。


 繰り返し洗う事で髪質を痛めるかもしれないけど、虱潰しが先だ、丁寧に隈無く洗う。


 洗い流して浴室から出て再度タオルで拭き、ドライヤーで乾かす。


 最後に梳き櫛の出番だ。これで卵を除去する。


 櫛で梳いていくと、床に敷かれた新聞紙に白っぽい物がぽとぽと落ちる。


 うええ、これ全部虱の卵かよ……。


 ついでに鋏を取り出して首から下に伸びる髪の毛も切り落としてしまおう。


 極力、卵が付いた髪も問題ない範囲で除去しておきたい。


 本当なら床屋に連れていきたいところなんだけど、外部の目があるからなあ。どうしたものか。


「髪の毛にも虫が付いてる所があるから、鋏で切るからね?」

「えー」

「切らないとまた虫が増えるよ?」

『うー』


 2人共、うんうん唸っていたが観念したようだ。


「切って」

「いって」

「ごめんね」


 大雑把にジョキジョキと髪を切る。


 あまりやり過ぎると後で床屋に行ったとしても、ある程度自由な髪型にできないだろうから。


 おかっぱ頭でも良いかもしれないけど、今は流行りではないから却下。


 落ちた卵と髪を新聞紙で包むとゴミ袋に入れて俺の部屋へ移動させる。


 これは燃えるゴミ行き。


「新しい下着と服を用意したから着替えて。汚れたのは処分するからね」

『はーい』


 タンザが着替え、彼女がモルガを着替えさせてる間に異臭を放つ服や下着を回収してゴミ袋へ放り込む。


 これも燃えるゴミ。


 次は床に散乱した細かいゴミなどを除去しないと、新しい布団を送り込めない。


「タンザちゃん、掃除機はある?」

「ある」

「掃除機、かけられる?」

「やった事ある」

「じゃあお願い」

「はーい」


 タンザちゃんは元気よく返事すると居間へと足を向け……。


「タンザちゃん、待って!」

「何?」

「もしかして、掃除機ってそっちの部屋?」

「うん、押し入れの中」


 予想通り、汚れた床の向こうにあるようだ。


 せっかく洗ったのに足の裏が汚れてしまう。


「私が取りに行くからそこで待っててね」

「うん」


 窓を押し入れの前まで水平移動させ開けて中を覗こうとしたら中から何かが崩れ落ちてきた。


 どざっと中に溜め込まれていたゴミが、せっかく片付けた床面に散らばった。


「うわっ。……あーあー……」

「お姉ちゃん、どうしたの?」

「タンザちゃん、モルガちゃん、来ちゃ駄目」


 そうだよな、部屋中ゴミだらけなら押し入れの中だけは綺麗って事はありえないよな。


 これらのゴミは俺が片付ける事にして、中に置かれていた掃除機を取り出すと姉妹の下まで運ぶ。


 掃除機は電源コードの付いている旧式の物だ。


 タンザちゃんがコードを限界まで引っ張り出すとプラグを近くのコンセントに差し込み、そして電源スイッチを入れると稼働を始めた。


 まだ日は沈んでいないので近所迷惑にはならないだろう。


「じゃあお願いね。掃除機をかけてない所は足を出しちゃ駄目だよ」

『はーい』

「モルガちゃんはそこで待っててね」

「あーい」


 俺はタンザちゃんが掃除機を動かしている間、押し入れから出てきたゴミと中にあるのを片付け始める。


 床を一通り掃除し終わる頃には押し入れのゴミも片付いた。


 ついでに雑巾がけもしておこうか。


 床に付いた汚れも拭き取っておきたい。


「今度は3人で雑巾がけだよ」

『何それ?』


 ドラッグストアで買ってきた雑巾を水の入ったバケツに入れて吸収した水を絞り、程良く湿った雑巾を2人に見せる。


「これが雑巾。……で、こうやって床を拭くの」


 窓を床が見えるよう斜め下に傾け、そこから腕を伸ばして特に汚れてる箇所を拭く。


 ソースか何かこぼしたのか?


 拭いたけど、汚れがちょっとやそっとでは落ちないみたいだ。


 これ、相当念入りに拭かないと綺麗にならないのではなかろうか?


 力を入れて何度か床を擦ると汚れがようやく落ちてきた。


「…………ほら、拭いた所とそうでない所を見比べて」

「……キレイになってる」


 お〜、と感嘆している姉妹に別の雑巾を突き出す。


「はい、2人も手伝って。お願い」

『はーい』


 俺が手本を見せた床の汚れはそうそう無かったようだが、2人は楽しそうにごしごしと拭いている。


 俺も加わろう。3人でひたすら床を拭く作業になった。


 しばらくして入居時同様とはいかないまでも、それなりに綺麗になった床全体を見渡して安堵のため息を漏らす。


 これなら新しい布団を持って来れそうだ。


「はい、お布団も新しいのと取り替えるよ。汚れて古くなったのは処分するよ」

「……カバさんとさようなら?」

「はい? 何?」


 俺が方針を伝えると、タンザちゃんがよく分からない事を言いだした。


「カバさん。お布団の」

「んん?」

「さよならは嫌」


 窓を移動させ汚れた布団を観察すると、汚れてて見づらいがデフォルメされたカバがプリントされていた。


 2人が抗議する。


「カバさんとさよならは嫌」

「いやー」

「えーと……」


 2人の泣きそうな顔に躊躇うが、ここは心を鬼にしなければ。


「今度の新しいお布団は何とキリンさんだ!」

「キリン?」

「何そえー?」

「そっかあ、知らないかあ」


 2人にちゃんとした幼児教育を受けさせなかった両親を恨む。


 スマホアプリのゴルゴン・アシスタントを起動し「キリンの画像」と言うと映し出されたので、それを2人に見せる。


「ほら、これがキリン」

「おー」

「首、長ーい」


 2人の意外と悪くない反応を見て、窓を利用して丸めた掛布団を向こう側に通す。


「はい、キリンさんの布団。広げてみて?」

「…………わあ」

「キリン、キリン!」


 姉が広げると、ディフォルメされたキリンがプリントされていた。歓声を上げる2人に安心する。


 これなら交換できそうだ。


 ついでに敷布団も通す。


「じゃあ2人共、カバさんの布団を丸めて私に頂戴」

『はーい』


 2人が汚れた布団を丸めて俺に渡してきた。それらを俺の部屋に移し、用意しておいたゴミ袋に放り込んだ。


「カバさんばいばい」

「あいあーい」


 あんなに愛着を持たれていたカバさんは哀れにもお別れとなった。


 今までよく頑張ったな、偉いぞ。


 他の下着や服を姉妹の部屋に運び込むと、3段の洋服ダンスの引き出しを次々と開けて中を確認していく。


 むわっと異臭が鼻を突いた。


 入っていたのは汚れた服で、これらも回収して処分にまわす事にする。


 用意しておいたアルコール消毒液をタンスの中に隈無く噴霧して滅菌をはかる。


 そのうえで雑巾で拭いて乾燥させた後、嗅いで何も臭わなければ服を収納していく。


「タンザちゃんとモルガちゃんの下着と服はこのタンスに入れておいたから使ってね」

『はーい』


 これで大掃除は終わったと考えて良いだろうかと思ったが、何かを忘れているような気がする。


 そんな事を考えながら一息つくのだった。

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