第3話

「取り合えず何か甘くて美味しい飲み物下さい。」


 クシェルがメニュー表と睨めっこしながら出したのは、受付のおばちゃんに全て任せる事だった。


「じゃあ私が勝手に選ぶけどいいかい?」

「はい。」

「だったら730ディゼルだよ。」


 おばちゃんに言われた額を支払うと「ちょっと待ってな。」と言われたので少しソワソワしながら待つ。


 730ディゼルは昨日食べた店の一食の値段よりも高いため、一体どんな飲み物が出るのか期待してしまう。


「お待たせ!」


 出てきたのはLサイズのカップに表面張力ギリギリまで注がれてその上からクリームの山が乗っかったジュース。


(でっか!)


 普通に一食分に相当するサイズの飲み物で驚いたが、ひとまず物は試しとストローを吸い口にしてみる。


(あ、甘すぎる!なんだこれ人の飲み物じゃないだろ!)


 一言で言えば糖分過多。あらゆる甘味を詰め込んだような飲み物。

 カロリーという名のエネルギー集合体が脳みそを叩きつけた。


(あ、でも上のクリームを混ぜながら飲むと美味しいな。まぁもう頼まないけど。)


 意外にも上のクリームは甘く無く、混ぜながら飲むと味がマイルドになり深みも増して飲みやすくなる。

 だが甘いのは甘いので二度と飲まないとクシェルは決めた。


 ゆっくりと飲んで時間を潰し、時間を見ればあと15分で約束の時間。

 こっそり大食堂の中心のテーブル席から階段を上がり、東テラス席を覗き込むと例の人が周囲に沢山の人を侍らせながら優雅に談笑していた。


 それにしても取り巻きがやけに多い。

 貴族は下の階級の人を手下のように連れまわして権力を誇示する習性があるが、大体は二人程度の所、例の生徒の取り巻きは見たところ15人は超えている。


(ちょっと女子生徒の割合が高いのは趣味なのか?高潔そうな見た目に反して意外と俗っぽい所があるんだなぁ。)とクシェルが思っていたら不意に例の生徒の目が会った。


 気のせいかと思って一旦、身を隠してもう一度顔を覗かせてももう一度目の目が交差する。完全に気付かれている。


 周囲の人達は他所を向いている例の生徒に対して怪訝そうな目で見ているし他の人達から気付かれるのも時間の問題。

 ここは行くべきかそれともやっぱり時間通りに行くべきか悩んでいると、まるで子猫にでもするかのような優しい手つきの手招きで呼ばれたため勇気を出して一歩を踏み出す。


 クシェルが階段を登り切り身体をテラス席に晒すと、一気にざわついた。

 それは東テラス席で集まっている生徒達だけでは無い。


 北・西・南のテラス席に座っていた貴族達も話題をクシェルの方へと移す。

 無論それは悪い意味での話だ。


「なんだあいつ。ここが貴族専用だと知らんのか。」「技工科が何の用だ。」「油臭いんだけど。」「誰か早く追い出せよ。」「身の程も弁えぬ下民が。」


 色んな方向から冷たい視線と罵詈雑言が飛んでくる。


 貴族は自分が貴族である事に誇りと優越感を持っている輩が多く、平民を視界に入れる事すらも嫌う人もいる。

 そんな貴族達の巣穴とも言うべきテリトリーにクシェルのような一般階級の生徒が足を踏み入れれば敵意を抱かれても当然だ。


 だがクシェルは堂々と胸を張った。


 俺は呼ばれたから来たんだ、恥じるような事は何もないと。

 呼び出した生徒の元へと恥ずかしがらず真っ直ぐに背筋を伸ばして歩いていく。


「おい待て!貴様、何の用だ。」


 自分達のいる東テラス席に用があると気付いた生徒達の内、呼び出した生徒の近くにいた取り巻きの一人の女子生徒が、通せんぼをするように身体で行く道を塞ぐ。


 背は小さいが見上げながら鋭い目つきで威嚇してくる女子。ネクタイを見ればクシェルと同じ一年生だと分かる。だが…何故かやたらと距離が近い。


 あと一歩踏み出せば身体同士ぶつかるほどの近距離で、ほのかに香水の良い匂いもする。

 これ以上は絶対に進ませないという硬い意思が伝わり、なるほど確かに硬い障壁だ。胸の事では無い。


「よ、呼ばれて…」

「ここには貴様を呼ぶ奴はいない。去れ!」

「いや、でも…」

「いいか?私はと言ったんだ。」


(言ってないじゃん…。)


 心の中では反抗しても、身体は正直だ。

 さっきまで堂々としていたクシェルの身体は段々と萎んでいき、目の前の子犬のような生徒を前に背中を猫背のように縮めて萎縮してしまっている。


 相手は貴族。決して逆らってはいけない相手。そうだ、呼ばれたのはきっとこうやって俺を見世物にして笑うためだったんだ。なんて愚かなんだ俺は。優しくされたからって雛鳥のように言われるがままに動いてその結果がこれ。貴族に囲まれて少女からビビって怖くなってそれをまた笑われて。せめて最初から馬鹿にされると分かっていたらこんなにも傷つく事は無かったのに。まぁ別にそこまで傷ついてはないけど。元々貴族の言う事なんて信じてないし、逆らえば後で報復されてもおかしくないから渋々来ただけで微塵も期待なんて持って無かったし。第一最初から怪しいなと思ってたんだ。あの演習場は建物が集まっている中心から遠く離れているし、わざわざ夜中に訪れるような奴なんていやしない。どこかで聞きつけて馬鹿にするつもりで話しかけてきたんだ。いいさ、だったらもう馬鹿にされるっていう役目は終わったんだからさっさと帰って技工科としての仕事をしないと。他にも沢山待っている人がいるし少しでも早く調整してあげた方がいいからな。こんな場所と違って。


「か、帰ります…。」

「最初からそうしろ。」


 周りから罵倒の言葉が薄っすらと聞こえるが何を言っているのか詳細までは聞き取れない。


(今日の事は忘れて記憶からは消し去ろう。そうだ先輩を見習って食べて飲んで忘れよう。)と思いながらその場を後にしようと背中を向けるクシェル。


 そんな彼に一人の生徒が呼び止めた。そう、例の生徒である。


「彼は私が呼んだんだ。」

「えっ⁉」


 名前も知らぬ目の前の小さな可愛らしい生徒が勢いよく振り向くとクシェルも何となく振り向く。


 それだけでは無い。他のテラス席の貴族達は聞こえていないせいで無反応だが東テラス席にいた貴族達は一気に騒然とした。


「本当ですか様⁉」

「あぁ。」


(へ~レオンって名前なのか、かっこよ。)


 見た目だけでは無く名前まで格好いい事に惚れ惚れしていると、さっきまで足止めしていた生徒が悩みに悩んだ末に「こっちに来て。」と言われたので後ろについていく。


 そうなれば声が聞こえなかった他のテラス席にいた貴族達も異変に気付いて動揺する。

 普通なら絶対に立ち入らせない聖域に一般人が招かれたという事態は非常に珍しく、嘲笑一色から驚きや興味、怒りと色んな反応を示す貴族の子供達。


 クシェルはそんな彼等の様子を見ていると、北テラス席の方に喧嘩別れをしてしまったラルエドを見付けた。


 唖然として心ここにあらずという表情をしているため、試しにクシェルは手を振ってみたが反応して貰えず、手をパシッと叩かれてしまった。


「勝手な行動を取るな!」

「すみません。」


 こんな同年代とは思えない低身長な少女に叱られて情けなくなり俯いて黙るクシェル。

 今度こそ大人しく付いていき、ようやくレオンという名の生徒の元まで辿り着いた。


 レオンは威厳たっぷりに脚を組んだ。


「先に言われてしまったが私はアマハ・レオン。そこの女の子はニジマ・ルリだ。」

「私の紹介は結構です。」


(その名前って…)


「あぁ、気付いての通り私達は東日皇国いずちこうこくの人間だ。それと心が読める訳じゃないから安心して欲しい。」


 心を読むどころが思考を先回りされて恐怖する。


「あまり怖がらないでくれ。私はどうも相手の人柄で次にどう考えるのか分かってしまうんだ。」

「レオン様の人の上に立つべきお力、感服します。しかし、何故この男を呼んだのかちゃんとお聞かせ願えますか?」


 ルリという生徒がレオンに対して威圧的に問いただすと、少し申し訳なさそうに頬を指で掻いた。


「あまり怒らないでくれ。せっかく可愛い顔なのに眉間に皺が寄っては台無しじゃないか。」

「そんな言葉いいですから、説明をお願いします。」


 イケメンの言葉に微動だにせず、ルリはぐいっと顔を近づける。


「段取りを考えていたんだがな。」とレオンは諦めながら溜息を吐きながら呟き、その後クシェルに視線を向け、手を伸ばした。


「私はな…彼をこの派閥に迎え入れようと思う。どうだ?其方、私の派閥に入らないか?」

「無理です。」


 レオンのあまりにも衝撃的過ぎる発言が一つ。庶民がレオンの誘いに即座に断った事で一つ。

 どちらに反応するべきかを悩んだ末、他の貴族だけでなくルリまでもが頭がパンクして何も考えられなくなり少しの間レオンとクシェルの二人だけの時間が始まる。


 レオンもまさか、こんなにもあっさりと断られるとは思っていなかったのか少し動揺していた。


「な、何故だ?昨日、派閥には入っていないと確かに聞いたのだが…。」

「いや、あの。この制服見て気付きませんか?」


「?」と首を傾げるレオン。全然分かっていない様子だ。


「確かに私達の着ている制服とは違ってデザインも素材の質も低いな。…あぁ。恥じる事は無い。派閥に入れば制服ぐらいは私が買ってやろう。」


(人の考えが分かるっていう話はどこに行ったんだよ…。でも、この制服が技工科の物だってのは分かってないらしいな。だったら俺が誘われたのも説明つくし。…ただこの人、相当偉いっぽいんだよなぁ…。)


 拒否した理由を説明したとして、不遜と言われてもおかしくないのが貴族だ。

 そこでクシェルはこの中で一番レオンに意見していた、まだ棒立ち状態のルリに視線を送るとハッと我に返り、レオンに対して忠言する。


「レオン様!何をお考えですか!技工科の生徒を派閥に入れようなどと!」


 ちゃんと知っている人がいてくれてホッとするクシェル。


「技工科?とはなんだ。」

「技工科というのはこの学園に約200名ほどいる、授業を受けつつ生徒の魔導機装の整備等を行って学園側から給金を貰っている生徒達の事です!まだ学生ですが将来は私達の魔導機装を修理する専門家として進むでしょう。レオン様は専属チームがあるので関係ありませんが。他にも見ての通り私達と制服が違うのも特徴です。。…ひとまずこのお話はまた後程。」


 間違いなく後に人目の無い所で説教をするであろう凄みをルリは出していた。

 それに気付いたレオンは後の事を想像して冷や汗を流しながら話題を別に移す。


「では技工科の生徒だから私は断られたという訳か。」

「理由は幾つかあります。日頃、多くの人と触れ合う必要があるためや一般人しかいないので派閥意識が低いなど。しかし一番の理由は技工科の生徒は魔導機装で戦わないからでしょう。」


(随分と喋る女の子だなぁ…。)とクシェルは思う。


 教えている姿が様になっているというべきか。それがあるべき形であり自然体になっている。長年、こうやってレオンのために知識を蓄えて教えてきたのだろう。


 クシェルには主従というよりも友人やしっかりした妹のように見えた。


 ただ、もしこのまま話が続くのであればかなりの時間待たされるだろう。

 他の貴族達も慣れた光景なのか特例だとして平民がいるのを無視して、お茶を飲みながら談笑し始めた。


 そんな中、取り残されるクシェル。


「あの~長くなるのでしたら私は帰ってもよろしいでしょうか…、仕事が溜まっていますので。」

「駄目だ!貴様にも言いたい事があるからそこで待て!」

「はい…。」


 ルリに釘を刺されて、どうも帰れそうに無い。


「少し待ってくれ。彼は確かに昨日の夜、魔導機装を装着して演習場で訓練していた。だから私も声をかけたんだ。」

「そうなのか?」

「はい。暇つぶしで。」


 すっかりルリに飼い馴らされる従順に答えるクシェル。


「私はその時の訓練時の様子が気に入ってな。派閥にも入っていないというから、早い内に取り込もうと…。」

「それでも早計です!平民や技工科の生徒を抜きにしても!他の方も聞いてください!」


 ルリは遂にレオンに対してだけで無く我関せずだった東テラス席にいた貴族達に呼びかける。

 すると上級生も沢山いるだろうに一同、背筋を正してルリの方へと向く。


 レオンとも仲が良さそうだし、同じくかなり位が高い家の子なのだろうか。


「派閥はただ貴族の権力を示すための慣習だけでは無く、我々の国のためでもあります。特に近年は魔導機装の技術が高まり軍事力にも影響を及ぼす中で不用意な技術の流出は防がなければなりません!他にも派閥の力が弱まれば他国の貴族から見下され国の将来にも繋がります。ですから…」


 その後もルリは、くどくどと小姑のいびりのような説教が続き、初めは真面目に聞いていた貴族達も終わる頃には疲労を隠せずにいるとようやく話が終わった。


「そのため貴族としての誇りも大切ですが相応の態度を以て生活を心掛けてください。」


 レオンすらも難しそうに顔を顰める中で意外にもクシェルは最後まで話を聞いて、ためになっていた。


(なるほど。貴族が偉そうに威張ってるのにも威厳を誇示する理由があったんだな…。確かに貴族が一般人にナメられたら統治なんて出来ないもんなぁ。)


 クシェルは派閥が存在する理由やちょっとだけ貴族について知識を得られる、有意義な時間を過ごせた。


「悪かった、確かに派閥に入れようとした私が軽率だった。」

「人前で謝らないでください。」

「うむ。それで…そういえば其方の名前を聞いてなかったな。」

「あ、クシェル・カーティアです。」

「ではカーティア君。私から言った話だが無かった事に。」

「分かりました。」


 元々断る話だったがルリの話からも建前が重要だと理解している今のクシェルはただその言葉を受け止める。


 そこにルリが割って入った。


「カーティア。ここから出ていく時にだが、くれぐれも落ち込んだ様子で頼む。それと今回の事はこちらの落ち度だ。すまなかった。…ただ今後は極力私達とは関わらないようにしてくれ。」

「はい、言われた通りに。…こんな感じですか。」

「あぁ、そのままでいい。後日、詫びを持ってくる。所属は。」

「B班です。」

「良し。行け。」


 クシェルは落ち込んだ姿で足取りもトボトボと気落ちしている様子を演出しながら、わざとらしく遅く歩いてテラス席から去った。


 クシェルには何も聞こえてなかったが視線は感じており、その様子を見た他テラス席にいた貴族達の大半のリアクションは概ね【期待外れ】といった落胆だった。


「結局何をしに来たんだあの技工科は。」「自作の物でも売りに来たんじゃないか?浅ましい。」「二度と視界に入らないで貰いたい。」「見世物としては愚作だったな。」


 というような会話が多く、一部からはその情けない姿にクスクスと笑って自尊心を満たす貴族も居た。


 それはルリの計算通りでレオン達東日皇国のいる派閥を貶す人はおらず、誰もが些事として今日の出来事は翌日には跡形も無く記憶から消え去った。

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