マイクとサンダルとリスペクト

須藤淳

伝説のMC

 健一郎は真面目な高校2年生だ。成績はまあまあ。目立つことが苦手で、クラスでは空気のような存在。だが、誰にも言えない秘密がある。


 それは、ヒップホップ。特にMCバトルの動画を毎晩こっそり見ては、一人でリリックを書き溜めるのが日課だった。ただし、家族にも友人にも決して明かしていない。


(俺も……一回でいいから、生であの熱気を味わってみたい)


 そう思い始めたのは春先のことだった。だが、地味で共通の趣味を持つ友達もいない健一郎にとって、クラブに一人で乗り込むのはどう考えてもハードルが高かった。


 大学生の姉・遥香はおっとりしていて控えめ。世間知らずなところもあるが、健一郎のことをよく気にかけてくれる存在だった。


 母・真理子は家事にうるさく、何かと文句ばかり。常にピリピリしていて、家ではとても話しかけづらい雰囲気を放っている。


 ある日、健一郎が自室で動画を見ていると、台所から母が鼻歌のように妙なリズムで歌詞を口ずさんでいた。(……何か韻っぽい?)


 また、健一郎がよく見ているMCバトルの動画に、どこか声のトーンが似たMCがいたが、彼は気づかなかった。


「姉ちゃん、ちょっと相談があるんだけど……」


 クラブに行きたいという健一郎の願いに、遥香はびっくりした。


「クラブ? あたしだって行ったことないし、不良が集まるようなところでしょ? 危ないよ~!」

「そんな危なくないって!お願い!一度でいいから付き合って!」


 遥香はしぶしぶ了承し、二人でこっそり最寄りのクラブのイベントを調べた。


 イベント当日。健一郎はドキドキが止まらなかった。クラブの中は照明が暗く、低音のビートが腹の底まで響く。


 はじめて味わう熱気と臨場感。MCたちの手に汗握るパフォーマンスが次々と繰り広げられる中、最初は圧倒されていた姉弟も、少しずつ声を上げ始めていた。


 熱気にのまれ、会場のノリに自然と馴染み始めたそのとき――


「本日スペシャル枠で登場! その名も――MC MAMA-RIKO!」


 次の瞬間、サンダルにヨレヨレのTシャツ、買い物帰りのエコバッグ片手に、中年女性が登壇した。帽子を目深にかぶっていたが、姉弟はすぐに気づいた。


「……えっ」

「母さん!?」


 母・真理子が、マイクを握り、DJのビートに合わせて叫んだ。


「家政婦じゃねーんだ、リスペクトくらい寄越しな!!」


「脱いだ靴下は脱ぎっぱなし 飲んだペットボトルそのまんま

 誰かがやってくれる前提か? 妖精さんじゃねーんだわ!!」


「夕飯のリクエスト“なんでもいい” 出せば“これじゃない”って 何様だテメェら、こちとら神か召使いか!!」」


 会場が一気に沸いた。


 母親への不満をネタにラップするMCたちに、真理子は痛烈なアンサーを即興で返していく。


「ティッシュ入れたまま洗うな? そっちがだしとけボケナスが」

「ゴミの日は誰が出してる? 気づけよ週2のヒロインタイム」


 押韻も、フローも、即興のアンサーも完璧。観客たちはスマホを構え、「ヤバい!」「本物やん!」とどよめいていた。」とどよめいていた。


 真理子の怒涛のパンチラインに、健一郎はその場で崩れ落ちた。


(終わった……人生終わった……)


 だが翌日、状況はさらに悪化した。

 そこには100万回以上再生された動画。


『マジでヤバい主婦ラッパー爆誕!クラブでバトル勃発!』


 コメント欄は、「パンチライン神」「母さんに土下座したくなった」「MC MAMA-RIKO最高!」と絶賛の嵐だった。


「うわあああああああああああ!!!!」

健一郎と遥香は二人して頭を抱えた。


 ◆


 数日後、謎のMAMA-RIKOは一時的に有名になり、学校でも少しだけ話題に。しかし帽子で顔を隠していたおかげで、真理子が本人とは気づかれずに済んだ。


 とはいえ、家庭での母親との空気は気まずいままだった。


 健一郎と遥香は、あの動画を見直した。


 そこには、自分や遥香のことを心から想っているようなフレーズがいくつも刻まれていた。


「宿題忘れたあたしの息子 叱ってばっかでゴメンな ほんとはずっと見守ってるから アンタの未来 応援してんだよ」


「しっかり者のようで抜けてる娘 弟思いで優しいこと知ってるよ」


((……母さん))


 数日後、ずっと気まずい雰囲気をなんとかしたく、遥香の提案で三人でカラオケに行くことにした。


 誰も何も曲を入れず、居心地の悪い空気が続いたが、健一郎がおもむろに曲を入れてマイクを握る。


「MCバトルって知ってるか? 俺のかーちゃん、そこじゃ伝説 だけどな、ただの母さんじゃない 俺にとっちゃ、最高のヒーローなんだよ!」


 驚いた真理子は、すぐさまマイクを手に取った。


「ヒーロー扱い? やめなって! 毎朝アンタの弁当作ってんだって!

 でもその言葉に、心は満腹 母さんにとって一番のギフト!」


 すると、遥香が控えめに手を挙げてマイクを取った。


「お母さん、ずっと言えなかったけど ほんとはすごく尊敬してる

 誰より強くて優しい人 ずっとそばで見てたからわかるの」」


 健一郎が笑って返す。


「マジか姉ちゃん……ちょっと泣けるわ 確かに、オレらのかーちゃんリスペクト」


 真理子も負けじと笑いながらマイクを握り直す。


「家族三人でリリック飛ばす 涙も笑いもこの場で交わす

 ラップって最高、家族って最強 この夜のバトル、永久保存!」


 三人は声を合わせて笑い、ようやくわだかまりが解けた。


「今のもう一回動画にして、TikTokに上げてみる?」


 そう提案した真理子に、姉弟の声は見事にハモる。


「「絶対にやめて!!」」


(ラップでバズった一夜の過ち。だけど、それは家族の関係をちょっとだけ変えてくれた)


 ◆


 余談だが、現役の頃、MAMA-RIKOとライバル関係だったもう一人の伝説のMCは、本日一人家に置いていかれた、普段は冴えないサラリーマンの父、MC KAZこと和夫であるという事実を、まだ姉弟は知らない。

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マイクとサンダルとリスペクト 須藤淳 @nyotyutyotye

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