第3話 猫又の盆帰り

 喫茶まほろば。

 妖怪たちの憩いの場であるこの喫茶店は、私のお気に入りのお店でもある。鮮やかな植物に心落ち着くBGM。とても居心地の良いはずのこの場所が、今日は重い空気に包まれていた。

 

「はぁ・・・」

「アンタねぇ、いつまでもそんなに悩むくらいなら行きゃあいいじゃないか」

「それが出来ないから悩んでるんだにゃ!」


 いつもはテーブル席に座っている山姥のおばあちゃんが、珍しくカウンターに座っている。その横には尻尾が二股に分かれている一匹の猫が座っていて、その猫さんは私がお店に入ってから一時間程ずっとこの調子だった。

 何にそんなにも悩んでいるのかは気になりつつ、でも初対面の私が口を出しても良いものかと結局何も言えずに少し温くなったココアにちまちまと口を付けた。


「出来ないって言ったってね、それでもう二度と会えなくなったら後悔するのはアンタだってわかってんだろう?」

「それは・・・でも、会いに行ったって・・・」

「化け物って拒絶されるのが怖いのかい?」

「・・・・怖いにゃ・・・」

「だったら諦めるんだね」

「簡単に諦められてたら苦労しないにゃ!!」


 どうやら猫さんには会いたい人がいて、でも会いたい人に拒絶されるのが怖いという葛藤を抱えているらしい。でも、と私は思う。会いたい人がいて、その人が会えるところにいるのなら。


「会った方が、良いと思うな・・・」

「え・・・?」


 無意識に言葉が漏れていたらしい。カウンターに顎を乗せて項垂れていた猫さんは、驚いたように体を起こして私の方を向いた。山姥のお婆さんも、コーヒーを飲みながらこちらを見ている。

 普段の私なら、こういう場面で口を挟む事はしないし、出来るだけ存在感を消して居ないものの様に振る舞っているけど、何故だか今日は自然に言葉が溢れ出して、ソレを止めることが出来なかった。


「会いたいと強く思う人がいて、その人が会える距離に居るのなら、私は会った方が良いと思う」

「お、お前に私の何が分かるって言うんだにゃ!何も知らないくせに!」

「はい。私は猫さんの事を何も知りません。貴方がどんな妖怪で、どんな事情があるのかも。

 でも、私は・・・会いたいに人に会えない辛さを、寂しさを、知っています。」


 マスターが洗い物をする音が止んで、落ち着いたBGMだけが静かに響いている。

 ほんの僅かに居心地の悪さを感じながら、私は最後の一口を飲み干してカップをゆっくりとテーブルに置いた。


「あんたは、会いに、行かなかったのにゃ?」


 猫さんの声に小さく首を振る。


「私の会いたい人は・・・どこに居るのか分からないから・・・」

「分からない?どういう・・・」

「・・・・私は、ずっと・・・お父さんに会いたかった。私のお父さんは、私が生まれてすぐに居なくなってしまったって、お母さんから聞きました。なんで居なくなってしまったのか、どこに行ってしまったのかも分からない。」


 子供の頃は、何度も何度もお父さんを探しに一人で町を歩き回ったこともあった。今思えば、そんな行動に意味はなかったしそんなことをして見つかるわけもないのに。でも、あの時はどうしてもお父さんに会いたくて必死だった。


「ずっと・・・会えないままなのかにゃ・・・?」

「はい。今も・・・でも、私は、諦めてしまったから・・・」

「なんで・・・」

「疲れて、しまったから。お父さんを探すことも、探しても見つからない度に傷つくことにも」


 もう、疲れてしまった。だから探すのをやめた。

 私はそもそもお父さんの顔も名前も知らない。知っているのはお母さんから聞かされた話だけ。

 背が高くて、私みたいに前髪が長くて、穏やかで優しくて、とても温かい人なのだと。そういう事しか知らない。知らないのだから探しようもない。お母さんは今でもお父さんを想っていることを知っているから、お母さんにはお父さんと会わせてあげたいとは思っているけれど。私自身がお父さんと会いたいと思うことは、諦めてしまった。


「だから、会いたい人に会えるなら・・・会った方が良いと、私は思います」

「・・・・・・会いたいにゃ・・・でも、怖いんだにゃ・・・」


 小さな声で、猫さんはぽつりぽつりと話し出した。

 猫さんは猫又という妖怪で、もともとはある夫婦に飼われていた飼い猫だったらしい。優しい夫婦で、猫又さんはその夫婦にとても可愛がってもらっていたのだとか。


「寿命がきて・・・じっ様とばっ様が寝た後に家を出て、死に場所を探して・・・とうとう力尽きて目を閉じたんだにゃ。」


 遠くなる意識の中で思ったのは、猫又さんを愛してくれた老夫婦の事で、それが未練となってしまったからなのか気づけば猫又として目覚めていたのだという。

 それからずっと、猫又さんはその老夫婦に会いたいと思いながらも、妖怪となってしまった自分が会いに行っても化け物と拒絶されるのではないかと考えてしまうと会いに行けずにいるのだと話してくれた。

 例えば、私がお母さんを残して死んでしまって妖怪になってしまったら、きっと私も、お母さんに会いたいと思いながらも会いには行けないと思う。同じように、拒絶されるのが怖いから。

 でも猫又さんの会いたいという気持ちは、なんとなく理解出来て、私はどうにかして会わせてあげられないかと考えた。

 考えて、ふと壁に貼ってあるカレンダーが目に入った。

 今日は、八月十五日。


「お盆・・・」

「なんだいお嬢ちゃん。お盆がどうかしたのかい?」

「今日は、お盆の最終日です。お盆は、亡くなった故人の方が、家族のもとに帰ってくる時期の事だから・・・。会いに行っても、良いんじゃないかなって」

「なるほど。確かに、それはいい考えかもしれませんね」


 ふと思いついた事に、マスターさんも同意してくれ、山姥のお婆さんもいいんじゃないかい、会いたいんだろうと猫又さんに声を掛けた。

 私は猫又さんを見つめて、どうですか?と問いかける。猫又さんは少し考えてから、小さく頷いた。










 何度も歩き慣れた道を、とてとてと歩いていく。

 時代が変わって、すっかり様変わりした街並み。

 あの老夫婦が住んでいる家も、建物は綺麗で立派な家に代わっていたけれど、あの頃と同じように庭には季節の花がたくさん咲いている。ばっ様が花を好きでいつも楽しそうに庭いじりをしていたけれど、きっと今もそうなのだろう。

 家の中からはとても賑やかな声が聞こえた。あの声はじっ様とばっ様の曾孫の声だ。もう八十を超えたじっ様たちを心配して、孫が一緒に暮らそうと言っていたのを、遠目から見ていたから知っている。

 孫と曾孫に囲まれて、二人はとても幸せそうだった。

 こっそりと庭に入り込み、花壇の隙間から様子を伺う。縁側に座って、じっ様が酒を飲んでいて、その隣には湯呑をもったばっ様が、家の中で遊びまわる曾孫を愛おしそうに見ていた。


「今年も、還ってきてくれなんだなぁ」


 不意に、じっ様の寂しそうな声が聞こえた。


「そうですねぇ・・・でもそれはきっと、鈴ちゃんが生まれ変わって、幸せに暮らしている証拠なんですよ」


 鈴。それは私の名前だ。じっ様が飼ってきてくれた鈴の付いた首輪が嬉しくて、ずっとその鈴を鳴らして遊んでいた私に、そんなに鈴が好きなら、お前の名前は今日から鈴だなと名付けてくれたのだ。


「そりゃあわかっとるがなぁ・・・どうしても、一目で構わんから、会いたいと思ってしまうんじゃよ」

「私も、鈴ちゃんに会いたいですよ・・・あの子、私らが悲しむと思って死様を見せまいとどこかへ行ってしまったから・・・」

「出来る事なら、ちゃんと、見送ってやりたかったのにのぉ」

「あの子は、優しい子でしたから」


 二人の会話に、涙が溢れた。

 私が会いたいと思っている間、二人も私に会いたいと思っていていくれた。こんなにも、愛してくれていた。それが嬉しかった。

 でも、まだ怖くて、一歩が踏み出せない。その時、マスターのお店で出会った子供の言葉を思い出した。


『会いたいと強く思う人がいて、その人が会える距離に居るのなら、私は会った方が良いと思う』


 そう、今にも泣きそうな顔をしながら言った子供。

 父親に会いたいけれど、どこに居るのかも分からず、会うことが叶わないと諦めてしまったその子供の言葉には、会いに行くことの出来る私にたいしての羨望の気持ちが少なからず滲んでいた。本人にその自覚があったかは分からないけれど。

 私はあの子の言葉と表情に背中を押されて、花壇から一歩、足を踏み出した。


 チリン


 今もまだ首についたままの鈴が鳴る。

 大好きな二人が、私を見た。


「にゃぁん」


 驚きに見開かれた目に、たじろぐ。

 そして、その目が次第に弧を描き、ぽろぽろと涙が零れだした。

 私は更に二人に近づいて、庭に下ろされていたじっ様の足に、するりと体を擦り付けた。


「鈴・・・お前、随分と長い散歩じゃったなぁ・・・」

「本当に、とても遠くまで行っていたのねぇ」


 じっ様のしわしわの手が、優しく体を撫でる。


「まったく、このじゃじゃ馬娘・・・心配かけおってから」


 じっ様の言葉に、ごめんを言えない代わりに、にゃーと短く鳴く。ゆっくりと抱き上げられて、頭に頬ずりされて、毛がじっ様の涙で濡れるのも構わず私もじっ様の頬にすりすりと頭を寄せた。

 ばっ様も、相変わらず小さくて細い手で私を撫でてくれる。


「でも、元気そうでよかったわぁ・・・お帰り、鈴ちゃん」


 にゃぁ、にゃー。


 人の言葉を、二人に聞かせることは出来ないしから、私は何度も、小さくにゃぁにゃぁと鳴く。

 それでも、二人には私の気持ちが伝わっているのか、向こうは楽しかったか、友達はいるか、寂しくはないか、お腹は空いていないかと沢山話しかけてくれて、私はそれに応える様に鳴いて、あの頃と変わらず優しい二人の手にたくさん甘えた。

 それから、家の明かりが消えて二人が寝床に入っても、私はじっ様腕の中にいた。

 少し痩せてしまったじっ様の腕は温かくて、私に話しかけてくれるばっ様の声は優しくて、こんにも幸せな気持ちになれるなら、もっと早く会いにくればよかったと、少しだけ後悔する。


「にゃぁ」


 でも、そろそろお別れだ。

 日付はとうに変わり、お盆も終わる。

 私はじっ様の腕からするりと抜け出して、じっ様とばっ様に一度だけ体をすりすりと擦り付けてから、二人を見た。

 二人は私の行動を察して、寂しそうに、でもにっこりと微笑んでくれた。


「鈴ちゃん、還ってきてくれて、ありがとうねぇ」

「また来年も、還ってこい。来年は、鈴が好きじゃった煮干しも用意しといてやるからな」


 にゃぁん


 二人に返事をして、颯爽と夜の街を掛けていく。

 また来年も、二人に会いにこよう。二人が天寿を全うして、黄泉の河を渡るその日まで。

 それから、またマスターのお店にも顔を出そう。最近はよく、あの子供も店に来ていると聞いたから。いつも話を聞いてくれていたマスターと、山姥のおばばと、あの子にお礼を言わなければ。そして、今日の事を話そう。


「いつか、あの子も、会えるといいにゃぁ」


 私の言葉は、夜の街に溶けていく。

 願わくば、あの優しい子供の願いが叶って、父親に会えますように。












 今回の妖怪


 猫又

 喫茶まほろばの常連

 とある夫婦に長年愛された末に寿命を全うし、猫又として蘇った。

 今までずっと老夫婦に会いたかったが拒絶されるのが怖くて会えなかったのを、背中を押されてようやく会いにいけた。

 優しい子供を気に入り、よく構うようになったとか。


 山姥(やまんば)

 喫茶まほろばの常連

 誰もが認める昔からいる妖怪。

 基本的に他の婆二人の言い争いは傍観している。

 着物の色は灰色。


 マスター

 妖怪・・・?

 人面犬のケンさんとは昔馴染みで弟分。 





 次回 第4話 時は流れて今現在

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