アフターワールド・ワイルドハント

ツインテール大好き

第1話

 土砂降りで泥濘んだ地べたをフードを被った若者が歩く。黒太い毛を乱雑に下ろした鋭い眼の黒髪の男が。 ざあざあと降り込める雨と、暗闇をかき分けて、足を進める。


 砂塵にまみれたこの更地の突き当たりには、天を隠すほど遥かな壁が聳り立つ。壁面は途切れることなく未知の圏内を覆い隠している。全景は円状という噂だが、確かめる気力も起きないほど広大だ。ある地点からぐるりと一周するまでに、五日は浪費しそうだ。外部から視認できるのは、壁のおよそ中央に立つ月に刺さりそうな長い尖塔と壁だけ。


 壁には門があり、そこに人が立っていたという目撃が数度ある。壁の内側に人が住み着いているのは確からしいのだが、内部を確認したものはいない。壁に近寄る者は皆、城壁に生えた筒から放たれる緑色の光線で、見るも無残な姿に変えられる。


 ある村ではそれを魔法と呼んでいたし、ある牧師は神の祟りと恐れていた。


 多くの場合、壁の内側は楽園が広がっていると信じられている。資源に恵まれ、略奪や諍いのない、廉潔なユートピアであると。


 <サンクチュアリ>――周辺の人々は未知のエリアをそう呼ぶ。


 若者は、「サンクチュアリへの侵入は無茶だ、やめとけ」と散々警告されたが、耳を貸さず、とうとう目前まで流れ着いてしまった。


「ったくどこをほっつき歩いてんだか」


 彼が求めるものは、豊穣なユートピアでもなく、未知への好奇心でもなく、


「――ソラ」


 顔馴染みの少女――ソラの2つに分かれた長い黒髪と眩しい笑顔を思い浮かべる。


 若者の行動原理は、ただ一人の女性に会いたいという渇望。それがすべてだった。


「見つけたら速攻裸にひんむいてヒーヒー言わせてやる」


 若者はすぐに彼女の恥ずかしい姿を想像した。細身の体に両手に収まるちょうどいい大きさの胸、スベスベした肌が好きだった。


『まったく、悪いオオカミさんだね。君は』


 彼女がこの場にいたら、きっと呆れた顔でそう答えるだろう。


 共に訪れた村、行きそうなところ、彼に思いつく限りの場所、いくら探しても彼女は見つからなかった。


 半年以上に及ぶ大捜索の末、唯一探していない場所は、あのサンクチュアリ。


 以前、彼女にどこからやってきたのか聞いたことがある。


『ちょいとあの壁を越えて、こっち側にね』


 彼女は間違いなく、そう答えた。そのときは冗談だと思ったけど、彼女の風変わりな一面を思い返してみれば、ありえるかもと思い直している。だから内側に入ると決めた。


 サンクチュアリへの侵入は分別のある人間にとっては自殺行為だが、彼はとても腕に覚えがあり、頭が少し足りていなかったので、恐れることはなかった。


「だいぶご無沙汰だったからな。さて、捕まえたらどうしてやろうか」


 今も死地に向かっているにもかかわらず、ムフフと楽しい妄想をしている。


 一歩二歩と壁に向かい、泥足を振り上げる。勇み足は、既に地雷原を踏み抜いていた。彼は既に、壁に備えられた迎撃砲の射程の内側にいた。


 光線が発射されてもおかしくない距離だが、今日はあいにく悪天候の真っ只中だったため、未だ捕捉されずに済んでいる。


 だが、突風と大雨程度で突破されるほど、サンクチュアリの壁はおろそかではない。悪天候下でも人間を感知し、砲撃可能な仕組みが備えられている。


「むっ」


 宵闇に緑色の閃光が瞬く。光は徐々に膨張し、太陽のごとく大きく輝く。


「噂の魔法ってやつか」


 射撃に備えて、若者は両脚を深く曲げる。そして、光の膨張が止まったタイミングで、勢いよく左手側に飛び込んだ。


 光が瞬きをするように明滅した刹那――地面が爆ぜた。落雷の速度で放たれた緑色の光線が地面を穿つ。


 それは予想だにしない破壊力で、直前まで若者が立っていた地面は、円形のクレーターと成り果てていた。


 すんでのところで回避し、直撃を免れた若者であったが、余波の甚大な風圧に煽られ、上空に打ち上げられた。 そのままごてんと地面に落ちる。地面が泥濘んでいなければ、それだけでお陀仏だった。


「クソッ」


 脱臼した右肩を抑えて起き上がる。若者に向けて炸裂した光線は、余波だけで体の到る所に傷を与えた。


 ずるずると動きが悪くなった左足を引きずるように、壁を目指す。ここで引き返す選択が彼の尾を引くことはない。


「なんとしても探し出す。俺には、お前が必要だ」


 記憶に残るソラとの日々や、あんなことやこんなことやそんなことを頭に浮かべると、不思議と足取りが軽くなる。


 壁は、緑色の光を宿し、二度目の充電を開始する。


「クソくらえだ!」


 若者は、今度は壁に向けて、駆け出した。右肩はプラプラと機能を無くし、左足は骨が飛び出しそうなほど痛む。強引に、思わずニヤけてしまうくらい滅茶苦茶な足運びで、けれど獲物を狙う猛虎ごとく敏速に駆ける。


 その表情に、一片の迷いは無い。悩み、立ち止まる者は死ぬと、その教訓が身に染みていたから。


 目も送らず、光線が放たれる気配だけを生存本能で嗅ぎ分けて、今出せる全開の脚力で前方に転げ込む。


 直後、人間を木っ端微塵に弾け飛ばす威力の衝撃波が、後方から広がった。


「――ガァッ」


 砲撃の余波で、今度は若者を壁の方向へ吹き飛ばす。


 若者は上下左右に転がりながらも壁に近寄り、あと数メートルで壁面に触れる距離に来た。


 だが受けた被害は深刻で、全身の感覚が薄くなり、グラグラと脳が揺れ意識が朦朧する。


「……まだ……だ……」


 ドロドロの地面に爪を立てて、引っ掻き、もがいて前へ前へと。破れかぶれになっていても、彼の瞳に諦めの色は見えない。


 しかし――若者の頭上が、緑色に照らされる。無慈悲にも三度目の砲撃が行なわれようとしていた。限界まで角度を下げた砲が、羽をもがれた虫のように這う若者に砲口を向ける。


 三度目はないと、光線が放たれる。直前――今度は砲台に白い光が落ちた。


 奇跡としか形容できない寸隙に、本物の雷が砲台を襲ったのである。緑色光線が破裂し、壁が大きな地響きを上げた。


 えぐれた壁の上部で、喧騒が飛び交う。この時になってようやく、砲には人間が居たことを若者は理解した。


 塵屑が降り注ぐ中、若者は念願の壁に手をつき、上体を起こして二足歩行に戻る。手をついたまま壁に沿って歩む。


 しばらく進むと、逆U字型の扉を発見した。


 その中で常駐しているはずの門番は、落雷の衝撃で頭を打ち、昏倒していた。


 扉を開け、中へ。壁と同じ石のような素材の部屋に外への出口は見つからないが、別の場所に繋がる扉がまた数個。手近な扉を開けると、次は細長い通路に出た。


 若者は朦朧とした意識で、モグラの巣のような迷路を通り抜け、わけもなく階段を登り、偶然にも、誰にも見とがめられること無く、ついにたどり着いた。


 壁の三階に空けられた、外を覗くための四角い壁穴から、まるで見たことも無いような風景が広がっている。若者は導かれるようにそこに身体を通して、サンクチュアリの内部に転げ落ちた。


 彼には知る由もないが、このとき彼はサンクチュアリに迎撃用の雷撃砲台が配備されて以来、初の、外部からの侵入者となった。




    ◇    ◇




「なんだ、ここは……」


 若者はよたよたとおぼつかない足取りで、サンクチュアリの内部を放浪する。


 彼は侵入時の傷跡すら置いて、ひたすら目新しい光景に浸っていた。


 白い壁面に浅黒い柱、三角屋根の建造物が所狭しと並んでいる。彼の知識にある家というものは、木材で壁を作り、内部に柱を立て、屋根を載せたくらいの簡素なものを指す。しかし、ここに建てられているのは、それらとは一線を画する程、作りが凝っている。いたるところにスライド式の白い戸が張られていて、下は木材や敷物で地面より一段高い床が組まれている。おまけに二階建てで、屋根の継ぎ目には複雑な紋様が刻まれている。


 歩く度ぱしゃぱしゃと水が跳ねる地面は真っ平らな灰色の石で舗装されていた。


 それに、夜なのに明るい。立ち並ぶ屋敷のところどころから橙色の灯りが漏れ出ているせいだ。


 噂で楽園が広がると聞いたが、間違いでは無いのかもしれない。それほどの文明の違いを肌で感じ取る。


「はは……」


 熱に浮かされて、意識が飛び飛びになる。彼はもう限界を通り越していた。


「ソラ……」


 少女の名を呼び、離れそうな意識に楔を打ち込む。


 また雷が鳴り、空を見上げる。


 すると、とある建物の中で同じく空を見上げる女性のシルエットが目に映った。うっすらとガラス越しに見えたその影が、若者の中で、目的の少女と重なる。


 彼はそのシルエットを目で追い縋り、その建物ににじり寄り、踏み入った。


 その建物は、先ほどとまるで趣向が異なる。堅牢な石造りにガラス戸がはめられたシンメトリーな洋館だった。 広々としたエントランスに入ると、屋敷の奥で、かさりと人の気配を感じた。彼が磨き上げた野生の勘は、こんな体調でも機能した。


 本来なら強く警戒する状況だが、


「……いるのか」


 ソラの姿を思い浮かべて、彼は手すりに手をかけて階段をよじ登った。


 二階に上がると、年季の入ったい草のような匂いが鼻をくすぐる。


 そこでは、古ぼけた書物がぎっしり棚に詰められていた。


 それには目もくれず、彼はさきほどのシルエットを追い求めて、その扉を開いた。


 部屋の中で窓の外を眺めていた少女が気がつき、振り返る。


 少女の透き通る二つ結びの黒髪がゆらりと揺れた――幻影が見えた。


『……どなたでしょうか?』


 彼の瞳には、ずっと思い焦がれていた少女が映っている。


「こんなところに……いたのか……」


 そう小声で呟く。揺らいで、上手く視界に収まらない彼女に手を伸ばして。もう放さないと抱きしめるために、距離を縮める。


 その少女は驚きはしたものの、すぐに彼の様子を汲み取り――ぼろぼろの風体の若者を優しく抱き留めた。


『大丈夫。私がついているのです』


 若者は記憶と比べて少し頼りない体にしがみつき、人肌の暖かさと柔らかい感触を覚えると、安心して意識を落とした。

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