アポクリファ、その種の傾向と対策【花を捧げる】

七海ポルカ

第1話

【アポクリファ・リーグ】関連のニュースは街角の巨大スクリーンでも放送されるため、アレクシス・サルナートの引退会見の内容を、ライル・ガードナーは偶然、女性とデート中に入ったレストランから見える夜景の中、ジャックしたスクリーンから流れる映像で見た。


 会見が終わると、スタジオのコメンテーターなどが色々話していたが、ライルは特に感想は無かった。

 レストランは個室で、他の客の姿は見えないが、何となく店中のざわざわした空気は伝わって来る。


「なんだかアポクリファも色々大変そうね」


 対面に座っていた女も一緒にそのスクリーンを頬杖ついて見ていたが、会見が終わるといつになく、夜景を見たまま押し黙っている様子のライルに声を掛け、ほとんど空いていたグラスにワインを注いでくれた。

「んー?」

「【グレーター・アルテミス】なんてアポクリファばっかりでお気楽そうな街だと思ってたけど」

 ライルは苦笑する。

 確かにな。

 

 ――確かにここはアポクリファだけしかいない国だから、それについての非能力者からの差別なんて皆無だ。


 力の強い能力者は普通、表の世界ではもっと怯えて慎重に暮らしている。

 自分のその力が思いがけず非能力者を殺傷などしたら、大変なことになるからだ。

 その為に彼らはあえて装着義務もない制御具を装着したりすることも少なくない。

【グレーター・アルテミス】では力の強い能力者は【アポクリファ・リーグ】や警察機構に所属し大いに腕を振るい、おまけにそれでポイントまで与えられるのだから、百八十度真逆の世界観である。


「お気楽な街で、俺も気に入ってはいるんだけどな……」


 美しい首都ギルガメシュの煌びやかな夜景。


 ライルが以前いた、アンタルヤ共和国のオルトロスもそれは歓楽街の発展が凄まじく、眠らない街と言われるだけの、ギラギラとした夜景が名物だったが。

 さすがに地球の監視者である月基地に本拠を持つ【ゾディアックユニオン】の地球支部なだけあって、斬新でスタイリッシュな建物が多く、細部まで整備された都市環境は夜景もどこか煌びやかだが品があった。




 アレクシス・サルナートが【アポクリファ・リーグ】を去った。




 文句のない優勝候補である。

 まだ二十五歳の若さだが、元々十七歳でデビューしているので、それでもシーズンMVPを獲った回数は歴代最多記録となっている。

 一方、もう一人の優勝候補であるシザ・ファルネジアは、不意に巻き込まれたとんでもない事件の為に活動中止しており、あと数カ月でシーズンを終える【アポクリファ・リーグ】では、現在三位のライル・ガードナーに俄かに優勝の可能性が出て来てしまった。

 元々どんな事情があろうと頂けるものは頂いておく主義のライルなのだが、アレクシスが去ったということはシザが優勝し、このままシザも復帰しないことになれば俺が一位になっちゃうじゃねえかとふと思い至った時、無性につまらなさを感じた。


 彼はそんなことをしなくても、そのうち上で遣り合ってる二人を俺様が実力で引きずりおろしてやるぜ、などと楽しみにしていたからだ。


 こんなことでシーズンMVPになっても全然嬉しくねえ。


「これってシザ・ファルネジアとユラ・エンデの為?」

「……どうだろうな。まあそういう要素がちっとも無いわけじゃねえだろうけど。

 あいつの場合、これじゃ集中してリーグに専念出来ねえっていう自分の美学は本音だと思うぜ。なんせ普段から動物殺しを見世物にしてる闘技場とかにもエントリーして来ねえっていう奴だからな。あの各国で暴れ回って人とか街とか破壊しまくってた巨獣を『動物だ』って思うその思考がすげえとは思うけど」


 ライルも動物は好きだが、さすがにあんな人を丸呑みしそうな怪獣は愛玩動物に分類していない。アレクシス・サルナートはそういう所は徹底しているのだ。


「貴方はどうするの?」

「俺?」

 前に座った女に視線をやると、頬杖をついて微笑んでいる。

「俺は別になんも関係ねえよ」

 ライルは笑ったが、女は「ふーん?」と目を細めて笑ってから自分のグラスを持ち上げた。

 女の白い喉が動くのを見届けて、ライルは自分の茶髪をワシワシとした。

「なんだよ……」

「別に。ただこういうのって、貴方らしくないなと思って」

「はぁ?」

「こういう時に黙ってるタイプじゃないから」

「なに? それって思いっきり暴れて欲しいってリクエスト? 俺彼女のリクエストには結構積極的に応えるタイプだから軽々しく勢いでリクエストしないでね」

「違うわよ」

 女は吹き出した。

「何で一気にそういう思考になるのかしら。前段階とかないの?」

「そうだな。俺は大概前段階とかはない。ペットもバイクも女も前段階とか無くやりたい時にすぐやって行くタイプだ」

 知ってるわよ。

 胸を張ったライルの頬に、女は押し当てるだけの拳を見舞った。

「でも顔に『この展開、すっげぇつまんねえな』って出てた」

「……。まあ確かにこの展開はすげぇつまんねえなとは思うけど」

「焦らなくてもきっとそのうちまた事態は動くわよ」

 女は言った。

「ノグラントも今は騒然としてるし。このままで終わるとは思えない」

「……。」

 次に何が起こるのか。

 確かに自分も、何かは起こりそうな気はしている。


「貴方もそう思ったから私に声掛けたんでしょ?」


 ライルはこれには笑みを返した。

「別にそれは全く関係ねえよ。俺はそこまで打算的じゃねえ」

「あらそうかしら」

「どう見てもそうだろ」

「私の貴方の印象って『何にも考えてないように見えて意外と考えてるのねえ』だったんだけど」

「誰が何にも考えてないように見える奴だ」

 ライルが半眼になって抗議したが、女は笑みを浮かべたまま、手の甲で手前に下りて来ていた髪を後ろへやってから食事を再開する。

「美味しいわね。ワインもいいし。これであのキメラ種とかいう化け物さえあんなに出現しなければ最高の国なのに。いきなり市中に出ることもあるんでしょ?」

「外周の旧市街とかはな。奴ら海から出てくること多いから、多分水中の中でも生きれるんだと思うぜ。【グレーター・アルテミス】元々小さな島を埋め立てで増設して作られた人工島だから、地下とかは何があるか分かったもんじゃねえし。元々この辺りは絶海だったからな。手つかずの自然が【ルナティックフレア】で異常発達してるとかも言われてる」

「怖いこと言わないでよね」

「だいじょーぶ。俺といればどんなデカイ奴が出ても一撃で仕留めてやるからさ」


 アポクリファはそういう力を持ってるのだ。


 普通の人間とは違う。

 普通の人間がキメラ種と遭遇すれば成す術はないが、力あるアポクリファはどんなに追い詰められても道を自分で切り開ける。


 ユラ・エンデの【グレーター・アルテミス】公演から三日が経った。


 まだ彼の演奏が耳に残っている。

 クラシック音楽にさほど興味がなく、派手なオーケストラならともかくピアノのソロなど更に聞いたことが無かったライルでさえ、一撃で彼の奏でる音楽に心を奪われた。


(力のある者は)


 必ず運命を自分で切り開ける。

 その時ライルは、アレクシス・サルナートの引退会見を聞いて何となく「つまんねえな」と思っていた感情がどこからやって来るのか、分かった気がした。

 問題はアレクシスじゃない。


 ユラ・エンデだ。


 ……シザ・ファルネジアなのだ。


 あの二人が、こんなことで叩き潰されたり、萎れたまま終わるはずが無いのにとライルは何故か信じ切っているから、あの公演のあと動きが無いことに何となく悶々としていて、今頃ノグラント連邦共和国でユラはどうしているのかとか、シザとは連絡を取れたのだろうかとか、そんな細かいことが気になって、ノグラントノグラントと考えてるうちにそうだそういや【グレーター・アルテミス】に来てからあいつと一回も会ってないなどと頭に浮かんだ女に声を掛けたのを思い出す。


 ライルは笑ってしまった。

「? なによ。突然」

「いや。ごめん。お前の言う通りだったわ。俺もまあまあ打算的だな。謝っとく」

「なによそれ……」

 女は首を傾げながらも笑っている。

 昔から、この女はライルのすることにいちいち驚いたり、五月蠅く窘めたりすることがなかった。


 その時、ライルの携帯に着信があった。

 通常ならデート中に掛かって来る電話など無視するが、その時は何となく、何の予感があったのか無意識に取り出して相手の名前を見ていた。

 シザ・ファルネジアの名があったので、ライルは女に謝る。

「悪い」

 女はいいのよ、という感じで笑って気にせず食事を続けた。

 

「もしもしー? めっずらしいね。あんたから俺に電話掛けて来るとか。

 何か用?」


『突然すみません。……会見を見ましたか?』


「うん。特に見る気は無かったけど偶然全部見たよ。

 今外で彼女と食事してる。外のスクリーンで会見流してたから」


『……そうですか』


 別に元々陽気に喋る男ではなかったが、シザの声からは深刻な感情が現れていた。

『貴方に、どうしても頼みたいことが』

「先生俺デート中だってば」

『分かっています。悪いとは思いますがお願いします』


 こりゃ駄目だな。

 ライルは早々に諦めた。


「分かった。んでも今からは無理。ゆっくり飯くらい食わせてよ」

『勿論構いません。僕は特に都合はないので、何時でも結構です』

「んじゃ飯食って、彼女ホテルに送ったらそっち行くわ」

『すみません』

「別にいいよ」


 電話を切って、ライルは苦い顔をする。

「いつもなら間違いなくあんたを優先して野郎の用事とか無視するんだけど。

 悪いけどこれは無理だわ。あいつが俺に掛けて来るとか本当に滅多にねえし、デートだって言えばまた改めるって切るはずなのに切らなかった。

 悪いな。俺が呼んだのに」


「いいのよ。もう二、三締め切り近いコラムあるから、ホテルに帰って仕事してる」


 ライルの付き合う女には、こういう時絶対嫌だ最後まで付き合ってよと文句を言うタイプと、全く言わないタイプがいる。目の前の女は後者だった。

 嫉妬とか、私だけ見てて! という感じが可愛く思う瞬間もライルにはあるが、今のように避けられない用事の場合は、やはりこういう風に笑って済ませてくれる相手の方が助かる。

 ライルは手を伸ばして、女の頬に触れた。

 それで分かったように女は目を閉じたから、対面から少し腰を浮かせて女に口づける。

 気にしなくていい、という感じで女はもう一度キスの後微笑んでライルの額に触れて来た。

「今の、シザ・ファルネジア?」

 煙草でも吸いたい気分だ、とライルが一瞬深い息をついたのを見て、どこか悪戯っぽく女が聞いてきた。

「よく分かったね。っていうか何? あんたまでまさかあいつに興味あんの? あるとか言ったら俺今すぐここで煙草吸うけど」

 女は直ちにへそを曲げたライルに吹き出している。

「違うわよ。私オルトロス時代の貴方の友人とか同僚も知ってるから。ああいうタイプとライル組むの初めてなんじゃないの?」

 唇を尖らせかけていたライルは腕を組んだ。

「……まあ、確かに。俺の歴代の同僚とか相棒は繊細とかいう感情とは無縁ではあったな」

「だからかしら。ちょっと貴方もオルトロス時代と雰囲気変わったわね」

「そう? 自分じゃ全く分かんねーけど」

「面倒見良くなった感じ」

「全然なってねえよ。同僚の尻ぬぐいとか相棒のフォローとか面倒臭くて絶対ヤダ。絶対やらねえ」

「ふーん。じゃあ今日の用事はそうじゃないんだ?」

「今日のは……。まー俺は面倒見ねえけど、オルトロスと違ってここじゃ俺はサボりたい時にサボってるし、好き勝手やってるからよ。たまにぐらい向こうの用事を聞いとかねえとあとで百倍返しにされても困るだろ」

 どうしても同僚への気遣いだと言いたくないらしいライルに、女はそれ以上は言わなかった。

「会見と何か関係あるのかしらね」

 ノグラント連邦共和国に住むコラムニストは、気になったのか呟いている。

「さぁな。まあ会見見たかって聞いてたから、多少は関係してるのかもしれねえけど。

 ヤダなー。声で分かったわ。絶対ロクでもねえ頼み事だアレ。

 大体、あいつ嫌なことは嫌だってちゃんと主張しねえからこういうややこしいことになんだよ」

「仕方ないじゃない。彼だって自分だけの事情ならきっとそうしてるわよ。色んな人が関わってる事情だから、慎重にならざるを得ないんでしょ?

 でも、そうなのね。こういう難しい相談事の時、シザ・ファルネジアって貴方に電話掛けて来るんだ」

「いや、そういうわけじゃねえよ。普段全く掛けて来ねえ。下らねえ用事でも掛けて来ねえけど、深刻であればあるほど俺にはあいつ掛けて来ねえタイプだ」

「でも……」

 女が目で問いかけて来たのを見て、ライルはテーブルについていた頬杖のまま思わず額を押さえていた。


「……お前と話してて気づいたわ。

 あいつが俺に掛けて来るパターンが一つだけあった」


 女は首を傾げる。耳に飾った大きなイヤリングが光を弾いた。


「犯罪絡み」


 ああ、と女は分かったようだ。

「行きたくねえ~~~~~~~~~~~~~~~これさては絶対面倒くせぇ仕事だな⁉」

「はやく、行ってあげなさいよ」

 おかしそうに笑いながら、テーブルに突っ伏したライルの髪を女はここぞとばかりにかき回して来た。



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