エピローグ

エピローグ

「ねえ、髪切った?」

 食堂で掛谷、千鶴、そして結弦の3人で昼食を食べていると千鶴が徐に尋ねた。

「いや? なんだよ急に」

 掛谷はハンバーグを切りながら否定する。

「うーん、久々に正法の顔を間近で見るとさ、な~んか変わった気がするんだよね」「変って。別に俺はいつも通りのつもりなんだけど」

「でも最近迷子にる回数減ったよね」

「高校生にもなって迷子になりにくくなったことを『変わった』と評される俺をどう思う?」

「高校生にもなって頻繁に迷子になる方に問題があると思う」

 結弦は掛谷をバッサリ切り捨てた。

「掛谷が迷子にならなくなったことも驚きだが、見た目に違和感があるのは同感だな。ダイエットでもした?」

「いや。特に……」

「じゃあ、リップ変えた?」

 千鶴が女性ならではの切り口で発言する。

「変えてない。というか使っとらん」

「じゃあ、鈍器で五回殴られた?」

「どう言う意味? 俺の顔ってそんなに散らかってる?」

 片思いの相手に「鈍器で殴られた顔」と言われ落ち込む掛谷。

「嘘嘘。冗談だよ」

「ならいいが……強いていうなら最近、幻聴を聞かなくなったな。よく眠れるようになった」

「幻聴?」

「ああ。かれこれ一年ぐらいかな。ずっと誰かが助けを求めてる声が聞こえてたんだ。これが昼夜問わず聞こえるせいで眠るに眠れなくってさ。おかげでこの一年はほとんど寝不足だった」

 その話を聞いて、結弦は違和感の正体に気づく。目の隈が薄くなっているのだ。思い返してみれば、ここ数日の掛谷は眠そうな様子がなかった。

「不思議な幻聴でさ、俺以外に聞こえていないのは間違いなさそうなんだが、声の聞こえる方向がはっきりしてるんだ。で、その方向に向かうと、実際に困ってる人がいるんだよ。結果として誰かの助けになれたから気にしてなかったが……いざ聞こえなくなると、あれはなんだったんだろうなあ……」

「……」

 結弦の脳内で、過去に耳にしたいくつかの話が再生される。

 いつも眠たげな掛谷の姿。

 掛谷とアンリの出会い方。

 そして、“幻聴“の聞こえていた時期。

「ふっ……」

 全てがつながった瞬間、結弦は小さく吹き出してしまった。

「おいおい……高木が笑ってるぜ……」

「あたし、高木先輩があんなに笑ってるの初めて見た……」

 大爆笑には程遠い、少し吹き出しただけの笑い方。しかし、結弦は愛想笑いを見せることはあれど、声を出して笑ったことなどなかった。結弦との付き合いが長い人間ほど、いまの結弦の姿は異様な光景に映る。

 千鶴と掛谷が向ける奇異の目に気づいた結弦は、

「なんでもないよ」

 と返答して、ハンバーグの最後の一口を放り込んだ。




 夕食を食べ終えた結弦は自室の勉強机で勉強する。

 その後ろにあるベッドの上で、猫の姿になった円香がタブレットで参考書を黙読している。

「呪い、掛谷くんが背負っていたのね」

 前触れもなく、タブレットから視線を向けたまま放たれた円香の一言から雑談が始まる。

「ああ」

 結弦もベッドの方を振り向かず、机の上で広げられたノートから目を離さずに返事をする。互いの視線を交わさない、黒猫と人間による雑談。はたからみれば異様な光景だが、生徒会副会長になった日から結弦の日常に組み込まれた風景だ。

「助けを求める人の、心の声が聞こえる呪いだったかしら」

「そんなところだ。掛谷はあれを呪いとは思っていないかもしれないが」

 掛谷が誘拐されたアンリを警察よりも見つけ出した話を聞いた時は、洞察力でどうにかなる領域を超えていると思ったがそんな呪いを背負っていたとしたら納得がいく。アンリと掛谷を引き合わせたのは呪いの力なのだろう。

 ちなみに、帰宅直前に千鶴から「正法を見てませんか?」というメッセージが結弦に届いていた。呪いがなくても人が困っていることを見抜く程度の観察眼は備わっているらしい。千鶴の頭痛の種は完全には消えないだろう。

「私の呪いがそれだったらと思うと……ゾッとするわね」

「猫化の方がマシというのも不思議な感覚だと思うけどな」

 呪いといえば、と結弦は話を変える。

「関はあまり気にしてないんだな。呪いが解けなかったこと」

 今更ね、と円香は言った。

「言ったでしょ、期待してないって。正直なところ、一生呪われたままでいる可能性も受け入れているわ」

 円香の口ぶりからは諦観というよりある種の覚悟を感じられた。

「それに、猫化って悪いことばかりじゃ無いのよ」

「そうなのか」

 猫化のメリットと聞いて、結弦は最初に猫特有の能力をなんとなく連想した。だが、円香の言う猫化のメリットは意外なものだった。

「高木くんがご飯を作ってくれること。そして、一緒に食べてくれること。このメリットを考えたら猫化の呪いも悪く無いと思ったわ」

 結弦のペンの動きが止まった。

「私の両親、忙しっからほとんど家にいなくてね。家に帰ってもいつも一人で、学校は学校でて友達もいないから、長らく誰かと一緒にご飯を食べてなかったの」

 結弦はペンを置き、椅子を半回転させる。結弦の視界にタブレットを見つめる黒猫が映る。

 結弦が振り向く気配を感じた黒猫は電子書籍を読むのをやめ、視線を上げた。

「それが当たり前だったから私は別に気にしてなかったけど、初めて高木くんの家にきて、一緒に朝ごはんを食べて、思ったの。誰かと一緒に食べるご飯って、なんて美味しくて、楽しいんだろうって」

「それは猫化のメリットじゃ無いだろう」

「そうね。高木くんの善意に甘えてるだけ。いや、高木くんの場合は善意ですら無いのかしら。でも……」

「猫化がなくたって、僕の家に来れば叶うことだ」

 結弦は珍しく、人の言葉を遮った。

「君が望むなら、猫化が解けた後でも僕の家に来るといい。いつだって、食事ぐらい作るし、付き合うさ」

「そう……ならその時は、厚意に甘えさせてもらうわ」

 円香はタブレットに視線を落として勉強に戻った。

 彼女の黒い尻尾は、大きく、ゆっくりと、左右に揺れていた。

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