朝の陽ざしと美少女

 翌朝。

 結弦を起こしたのは携帯のアラームではなくポンっというコルクを抜いたような音だった。窓から差し込む朝日はいつもより弱い。ちょうど日の出の時刻といった頃だろうか。

「……まさか」

 遅れて覚醒した思考能力が日の出という現象と先ほど聞こえた音を結びつけた。悪い予感を抱きつつ首だけを90度回転させると。

「すぅ……すぅ……」

 目と鼻の先にすやすやと寝息を立てる円香の寝顔があった。猫の姿ではなく人間の姿だ。

 良くない状況だ。そう思って急いで布団から出ようとした直前、視界の端に映った円香の首元の様子から彼女が一糸まとわぬ姿であると気づき、歯をぐっと食いしばって布団をはねのけようとした手を急停止させる。

(本当に良くない状況だ……)

 結弦は天井を見つめながら就寝間際の状況を思い出そうとする。

 まず間違いなく、昨晩先に寝たのは自分だ。日付が変わった頃に寝ようとした。ベッドを占拠していた円香はまだ勉強したいというので場所を交代して、部屋の灯のリモコンを預けて眠りについたはずだ。

(うん。学生として好ましくないことはしていない。いや、自分がそんなことをするとは思ってないけど)

 おそらく、円香は気が済むまで勉強をした後、猫の姿のまま布団にもぐりこんだ。そして、日の出とともに人の姿に戻ったのだろう。

 思い返してみれば、猫になった円香と別れた次の日に人の姿で再開している。ということは人間の姿に戻るタイミングがあるはずで、それが日の出というのは猫になるタイミングが日没であることを考えれば親切なぐらいわかりやすい理屈である。

 どうして円香が自分の家で人の姿に戻ることまで頭が回らなかったのかと猛省していると会長のニヤケ面が頭に浮かんだ。

(あの人、わかってたな)

 こうなることも、結弦が理解していなかったことも把握していて、あえて黙ってニヤニヤしていたのだろう。

 それはいいとして。先ほどの音がどこまで聞こえたかが気がかりだ。姉の耳にまで届いて、結弦の部屋に入って来ないかという懸念もある。

 やましいことはないが、黙って女子を自室に連れ込んでその女子生徒が一糸まとわぬ姿という状況を見られたら厄介だ。

 そう思って布団から抜け出そうとしたその時、円香の目が開いた。

「おはよう、高木くん」

 石のように硬直する結弦に円香は悪戯っぽく笑った。

「……おはよう。とりあえず、姉さんが出勤するまでここで待機してくれ」


 結論から言えば、結弦の心配は杞憂に終わった。

 いつものようにスーツ姿でリビングまで降りてきた時も、コーヒーを飲みながら新聞を読んでいるときも、朝食を食べ終ている間も、結弦の部屋から発生した音について触れられることはなかった。そもそも聞こえていなかったのだろう。

 姉を見送ってから自室に戻ると円香がベッドに座って教科書を読んでいた。ただし、全裸のままで。

「おかえり。教科書を勝手に借りちゃってごめんなさいね」

 円香は恥じらう様子もなく詫びた。あまりにも堂々とした姿だがジロジロ見るのは失礼な気がしたので結弦はそっぽを向く。

「別に構わないけど、服は着なくていいのか」

「猫の姿だと常に裸だし。見られたってなんとも思わないわよ」

「それはそうかもしれないが」

「じっくり眺めても構わないのよ?」

 意地悪な笑みを浮かべる円香にどう反応が正解なのかわからず、結弦は代わりにため息を吐いた。円香はそんな結弦を見て毛布を羽織る。

「その様子だと気づいてなかったのね」

「頭が回らなかった。普通に猫1匹を泊めるぐらいの気持ちでいたよ」

「ただのうっかりさんだったってこと」

「そう解釈していただけて何よりだよ」

「まあ、私も薄々“この人、気づいていないんだろうなあ“とは思っていたけど」

「言ってくれたらそれなりの配慮はしたんだが……いや、気づかない僕も悪いけどさ」

「こうなると分かっちゃったら泊めてくれないと思って、ぼかしておきたかったの。暖かい布団で寝たかったし。そのためなら仮に高木くんに邪な気持ちがあってもいいかなって」

「僕に邪な気持ちがあったらどうするつもりなんだ……」

「その時はその時ね。私は別に見られた程度じゃなんとも思わないし、一晩泊めてくれるというのならそれぐらいの見返りは支払ってもいいと思うわ。どうする? 見る?」

 そう言って円香は毛布をヒラヒラと見えそうで見えない度合いで揺らした。

「別にいいよ」

 むしろ見せたいのだろうか。ここまでくれば“見たいです“と言わないのは逆に失礼な気さえしてくる。

「そう。もったいないわね。こんな美少女同級生のサービスショット、めったにお目にかかれないのに」

「自分で美少女とかいうんだ」

「実際そうでしょ? それとも高木くんは私の事かわいいとは思わない?」

「……はあ」

 結弦はため息をついた。そんな反応を見て円香の表情は満足げである。

「高木くん。泊めてもらった上に厚かましいとは思うのだけれど、シャワーを借りてもいいかしら」

「そう言えば、風呂にも入ってないんだったな。いいよ」

「ありがとう」

 ご満悦な表情の円香は毛布を羽織ったまま結弦の後をついていく。ところが、結弦の自室出たあたりで「あっ」と小さな声を上げた。

「どうした?」

 先ほどまでの余裕綽々とした振る舞いは鳴りを潜め、円香の顔は青ざめていた。

「服を生徒会室に置いてきてしまったわ……」

「うっかりさんはどっちだよ」

 結弦は若干呆れつつ自室に戻る。それから、クローゼットの中に入っている紙袋を取り出した。

「これは?」

「君の制服だ。世界樹跡地に置いていったものを拾っておいた」

「そ、そう……。あ、下着もある……」

「なんで若干引いているのさ」

「ひ、ひいてるわけじゃないのよ? 同級生の男の子が自分の肌着に触ったと言う点が少し恥ずかしくてね……あ、もちろん感謝してるわよ?」

「さっきまで裸見せようとしてきた人間が下着で恥ずかしがるなよ」

「変なことしてない?」

「してないよ。早くシャワー浴びないと遅刻するぞ」

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