世界樹の力

「関さんの猫化は世界樹の力によるものだ」

 会長はコマーシャルの俳優のような芝居がかった所作でクッキーを齧った。美形なので様になってはいるが、日常生活においては不自然すぎる振る舞いである。

「世界樹って昔この学園にあったっていう、願いを叶えてくれる伝説の?」

「うん。それ。正直なところ、これぐらいしか原因が思いつかなかったというところから始まったんだがね、世界樹の伝承を詳細に調べるうちにあながち間違いでもないと思えてきたんだ。今ではほぼ確信している」

 結弦は円香の横顔を見た。

 (ここで繋がってくるわけか)

 普通に考えれば胡散臭い話だが、猫化という超常を目にした以上常識にとらわれるのは無意味だ。ただ、その仮説を受け入れるということは、とある可能性を示唆することになる。

「関がこうなることを願った人物がいるということですか」

「いや、その可能性は低い」

「というと?」

「世界樹は無条件で願いを叶えてくれるわけじゃない。それなら"猫化を直してくれ"と願えば解決するからね。それに、“願いを叶えてくれる“という表現も厳密には正しくない」

 会長は開いた状態の右手を結弦に差し出した。それを結弦が見るのを確認すると

「例えば、"お金持ちになりたい"という願ったとしよう。この時、世界樹は金銀財宝を差し出すのではなく──」

 と言って、右手をゆっくりと握り拳に変えた。

「──こういうことをできるようにする」

 再度、手を開くと掌には500円玉が乗っかっていた。 

「もちろんこれはただの手品。でも、世界樹に願えば種も仕掛けもなく似たようなことができるようになる」

「質量保存則すら無視してですか」

「場合によってはね。もしかしたら"石を金に換えられるようになる"とか別の形になるかもしれないけど、なんにせよ、世界樹は”願いを叶える"のではなく"願いを叶えるための力を授ける"という形を取るのさ」

「願いを叶える力を与える……」

 結弦の頭に昨日の出来事がよぎった。

「じゃあ"ギャルのパンティーおくれ"と願ったらどうなるんですか」

「手から無限にギャルのパンティーを出せるようになる」

 結弦は目を見開いた。

「でも、僕の手から出たとするならそれは“女物の下着“であって“ギャルのパンティー“ではないのでは?」

 今度は会長が目を見開いた。

「一理あるね。確かに"女物の下着"と”女性の下着"が欲しいは意味合いが異なる。というより、そう願うものが前者を求めることはあまりないといっていい。新品を盗む下着泥棒はあまりいないしな」

「例えは最低ですが、そういうことです」

「興味深いな。超常的存在である世界樹が付加価値を理解したうえで願いを叶えてくれるかどうか──」

 と、活発な議論を交わしはじめたが、気づくと円香が冷ややかな視線を二人に送っていた。

「それ、深堀すること?」

「話を戻そう」

 紅一点の冷ややかな視線に屈した会長は、気まずそうに紅茶に一口飲んだ。


「アメリカの物理学者ファインマンはこう言った。“数学や物理というのは神のやっているチェスを横から眺めて、そこにどんなルールがあるのか探していくことだ“ってね。その言葉にあやかるとすれば、世界樹の力の本質は世界に新しいルールを追加することになる。でも、そんなことをしたら」

「既存のルールと衝突する」

 その通り、と会長はうなずいた。

「しかし、世界樹は衝突する2つのルールを無理やり両立させようとする。当然、世界は歪んだ状態になるわけだが、世界樹はもう一つ別のルールを作って帳尻合わせをするんだ。そして、そのルールは必ず、特定の誰か一人を苦しめるものになる」

 結弦は再度、円香の横顔を見た。今回は円香も横目で結弦の方を見ていた。

「夜になると猫になる、なんてルールを生み出すような願いは私には思いつかない。だか誰かが叶えた願いの帳尻合わせだというのが私の考えだ」

 会長がティーカップを置く。静かな置き方だったが、カップとソーサーの擦れる音がやけに大きく聞こえた。

「猫化の呪いは原因となったルールを消せば解ける。つまり、世界樹に願いを叶えてもらった人物を見つけ出し、手に入れた力を破棄させればいい」


 結弦は頭の中で会長の説明を整理する。世界樹の力、その制約、そして呪いの解き方。一つ一つ受け止めて、目標の達成のためにやるべきことを考えてみる。

「無謀じゃないですか?」

 何度考えても結論は同じだった。そして会長は結弦の意見を否定しなかった。

「だろうね。しかし、これしか方法がない」

「だとしても僕を加えたところで3人では──」

 やっぱり無謀だ。そう続けようとした結弦だったが、会長の覚悟が宿ったその双眸を見て何も言えなくなった。「そんなことはわかっている」そう言われている気がした。

「高木くん、私はね。世界樹の力はただの都市伝説のままであって欲しいんだよ」

 力強い眼差しを向けたまま会長は言った。

「そのためには、世界樹の力の一端ですら秘匿する必要がある」

 今度は円香に視線が向けられる。円香は視線を逸らすようにティーカップを口につけた。

「猫化という現象は超常の存在を示唆する。私みたいに世界樹の伝説を連想するものだって出てくるはずだ。制約の潜り抜け方を調べ、本気で世界樹に願いを叶えてもらおうする者が出てくるだろう。最悪、世界樹の力を悪用し、世界を無茶苦茶にされる恐れだってある。それだけは──絶対に避けなければならない」

 ふう、と会長は息を深く吐いて下を向く。しばらく俯いたままでいてから顔を上げると、元の爽やかな青年の姿に戻っていた。

「何より、こんな理不尽な呪いで苦しむ人を増やしたくないからね。誰かの幸せのために不幸になれなんてクソくらえだ」

 会長は朗らかに笑いながら言ったが、その笑顔はどこか悲しそうだった。

「ということで例え愛の巣だ職権濫用だと言われようと猫化を秘匿しようとしているわけだが、流石に2人での運営に限界を感じていてね」

 会長は突然、結弦に深々と頭を下げた。

「頼む。事情を知った人間として私を助けて欲しい。これ以上、理不尽な世界にしないためにはどうしても人手が必要なんだ」

 少し前にも似たような状況はあったがその時とは違い、会長からは気迫すら感じられる。

 その姿を見た結弦に断るという選択肢はなかった。

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