四足から二足、そして三足へ――ボロバイクと歩む人生の道

市野沢 悠矢

第1話

最初は4本足、次に2本足、最後は3本足って何?

ああ、有名なスフィンクスのなぞなぞ…。

答えは「人間」。

赤ん坊の頃は四つん這い、やがて二本足で立つようになるが、老人になると杖を突くので三本足になる、というわけである。

なんてことのない話だと思っていた。しかし、年齢を重ねるうちに、それが意外と実感として迫ってくる瞬間がある。

私はまだ50代なので、杖を突いて歩いているわけではない。

ただ、「世界の広がり」という意味では、どこか狭まってきたように感じることがある。


そんな折、MTX50というバイクを手に入れた。

といっても、大学生の息子から安く(?)譲ってもらったものだ。

年季が入っていて、あちこち故障しかけている。

法定速度は30km/hだが、出そうと思えばその倍くらいは出るだろう。

とはいえパワーがないので、上り坂はまるでダメ。

山道の急坂では、1速でエンジンを吹かしながら、押して登ることもあった。

まるで老体に鞭打って走っているようだが、振り返ると、その姿が今の自分そのもののようにも思えてくる。


高校を卒業して初めて買ったバイクは、MTX50Rという中古の原付だった。

免許を取ったばかりでワクワクしながら近所の里山へ出かけたのを覚えている。

それまで徒歩か自転車しか乗ったことがなかったから、行動半径が一気に広がったものだ。

その後、250ccのバイクに乗り換え、さらに車を買った。

最初はスポーティーな2ドアの車に乗っていたが、結婚して子どもができると4ドアのオートマ車へ。

車の運転は好きだったが、高級車への憧れはあまりなかった。

子どもも大きくなり、息子がMTX50を中古で買ったと聞いたときは、昔の自分を思い出して懐かしくなった。

そして、息子が中型バイクに乗り換えることになり、今度はそのMTX50が私の手元に転がり込んできた、というわけだ。


しかし、古いしボロい。

電装系もあちこちダメで、ネットで部品を取り寄せながら取り替えている。

最近はスピードメーターが壊れて、そっちも交換したと思ったら、今度はメーターケーブルが折れてしまい、また交換。

機械式のスピードメーターの軸がぐるぐる回っているのを、自分の手で見る日が来るとは思わなかった。

それでも、こうやって手を入れるたびに愛着がわいてくる。

健康診断のたびに引っかかってばかりの自分の体のようにも思えてきて、なんだかおかしい。


若い頃は、世界が広がるのが楽しかった。

もっと遠くへ、もっと早く、いろいろなところに行きたい――そんな欲求でいっぱいだった。

四足が二足になり、思い切り駆け回っていた頃なのだろう。

今は、そういう気持ちが薄れてきた。

徒歩でのんびり歩いているときや、自転車で見通しの良い坂道を下るときなどは、むしろ飛行機が着陸する前の高揚感に似たものを感じる。

いつの間にか世界は狭くなってきたけれど、その分、若い頃とは違う優しさや愛着に包まれている気がする。


「もう私も年寄りになったのかな…」と思って、少し寂しくなるときもある。

けれど、ふと考えると、四輪車から二輪車へ戻ったのは、自分の中で“四足から二足”へ変わるきっかけを取り戻したようにも思える。


このボロバイク、一体いつまで走れるかわからない。

でも、せっかくだから近所の、まだ走ったことのない道へ行ってみよう。

きっと今までとは違った光景が見えるはずだ。


四足、二足、そして三足――スフィンクスのなぞなぞが、こんな形で自分の人生と重なってくるとは思わなかった。

それでも、自分の足で、あるいはこのボロバイクの車輪で、一歩ずつ進んでみたい。きっと見たことのない光景がみられるはずだ

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四足から二足、そして三足へ――ボロバイクと歩む人生の道 市野沢 悠矢 @yuya_ichinosawa

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