過疎のエグ~い伝説集

伊東へいざん

第1話 いらっしゃい

 何の前ぶれもなくある日突然、人が忽然と姿を消してしまう『神隠し』。殆どが山や森でいなくなることが多かったため、山や森の神の仕業だと考えられ、人の失踪は全て神隠しによるものとされた時代がある。“神隠し” は昼と夜の移り変わる逢魔時や草木も眠る丑三つ時のような神域へ誘われるとされた。そして、神隠しの背後には物の怪が関わっているとされ、『天狗隠し』、『鬼隠し』とも呼ばれた。山中での神隠しは天狗が、水辺での失踪には河童が、子どもの失踪は座敷童が関わっているとされた。更に、狐や狸も登場する。

 『神隠し』の殆どは拉致や誘拐による監禁であろうが、迷子や家出、失踪、殺害は口減らしなども考えられる。何れにしても “神隠し” というより、実行犯に都合の好い “真相隠し” が濃厚だ。飢餓や貧困の果ての “間引き” や “姥捨て” の風習が横行した過去もある。昔はそういった風習を隠すために神隠しが利用されていたきらいがある。現世と常世の境とされる神域は “神隠し” が比較的容易く起こせる場所という事になろう。人目に付き難い峰や峠、集落の境界、昔は屋外にあった便所、頻繁には人が行かない納戸や蔵。特に過去に“神隠し”が起こった場所となれば、そこは往々にして魔除けや注連縄が祀られていたりする。簡単に現世から常世に行けないよう結界と位置付けたに違いない。


 江戸前期の寛文年間の頃、とある雪国の集落が金山景気で湧いた。そこに蛇頭と呼ばれる密航ビジネス組織が目を付けた。その目論見が大当たりした。あちこちの部落では神隠しと騒がれる人攫いが横行した。しかし、その実態は貧困に喘ぐ集落民の口減らしの犠牲にする娘の身売りだった。“神隠し” という大義名分で集落民の “見栄” は保たれた。身売りされた娘たちは金山景気に湧く見知らぬ土地で売春を強いられる定めだった。お雪もその一人だった。器量よしのお雪は、店に出てすぐに売れっ子の売春婦になった。

 しかし、数年後、お雪は見る影もなくなり、“いらっしゃい” といういみなで呼ばれるようになった。たかが数年のうちにお雪に何が起こったのか…

 そんなある日、いつものように金山で働く常連客がやって来た。

「 また“いらっしゃい”が売れ残ってんのかよ」

「旦那、安くしとくからたまにはこの娘も可愛がってやってくれよ」

「勘弁してくれよ。目を剝いて天上を睨んだままの不気味さには息子が怖じ気付くんだよ」

「慣れたら乙なもんだろ」

「慣れねえよ! 他に女が居ねえんならまたにするよ」

「今日は生憎いっぱいなんだよ」

「やっぱ12日だよな」

 山の神は12月12日や1月12日など12にまつわる日は山での仕事は禁忌とされ、鉱山や林業従事者は山に入ることが禁止され仕事が休みとなった。必然的に街外れの売春宿は満員となった。売春宿には薄気味悪いお雪しか残っていないとあって、一時の快楽にあぶれた連中は近くの居酒屋で浴びるほど吞んで帰るしかなかった。店の主はお雪に苦虫を噛んだ。

「若え頃はナンバーワンの売れっ子だったのによ。どうしちまったんだよ、おめえは…」

 お雪は無表情で行燈に映る灯りの揺れを見詰めていた。


 公娼(公に営業を許可された娼婦)は江戸時代からあり、中でも江戸の吉原、京の島原、大阪の新地には塀や堀などで囲った遊郭が設けられた。大東亜戦争敗戦後、占領軍のGHQからのお達しで公娼制度の廃止が要求された。しかし、進駐軍による性犯罪は深刻で、“連合国軍兵士らによる一般女性への性犯罪の抑制など” を目的に1945年8月26日にRecreation and Amusement Association(レクリエーション及び娯楽協会)が設立された。通称RAAの特殊慰安施設協会である。

 RAAでは多くが戦争未亡人や生活困窮者など全国で5万3000人の女性が従事したというが、衛生観念の低い兵士を相手に性病の蔓延が引き起こされ、慰安婦の6割が梅毒や淋病などに罹患していたと報告されている。結局RAAは世界からの批判を受け、一年足らずの1946年3月26日に閉鎖された。

 しかし、日本国内では以後も公認で売春が行われ続けていた赤線地帯と呼ばれるエリアがある。売春を目的とする特殊飲食店の集合地域を赤い線で囲んでいたことからそう呼ばれていたが、昭和32年(1957年)4月1日「売春防止法」が施行され、1年間の猶予が与えられた後、赤線地帯は昭和33年(1958年)4月1日に完全に廃止された…ことになっている。実際は手を変え品を変えて現在に至っても売春業のなくなることはない。


 忌まわしいあの日、売春楼に羽振りの良さそうな見慣れぬ客が現れた。男は売れっ子のお雪の噂を聞いて来たという。

「旦那、わざわざお雪をご指名とは…」

 案内している客に話し掛けた主は振り向いた。

「どっかでお会いしましたかね」

「どこにでもある面ってことか !?」

 客は嘯いた。そして主に金を握らせ、それ以上の詮索を黙らせた。主は黙って薄暗いお雪の部屋に案内した。


 男はお雪と関係を持った。

「おめえ、いい女になったな」

 不可解な言葉に、その男の顔に行燈を近付けたお雪は、初めてまじまじと男の顔を見た。

「・・・ !?」

 お雪に悪寒が走った。あまりにもその風体が変わっていたが、お雪にとってその男は忘れ難い存在だった。お雪は震え出した。

「…覚えていてくれたかい」

「なんで…なんで !?」

「いいじゃねえか、減るもんじゃねえんだから。オレも男のひとりよ」

 突然、女は満身の力を込めて叫び出した。その声は階下の主の所まで届いた。主は慌てて階段を駆け上がると、部屋を出て来た男と危うくぶつかりそうになった。

「旦那、お雪に何をなすった!」

「なんにもしてねえよ、いきなり叫び出したんだ!」

 お雪は乱れた床の上で男を睨み付けて叫び続けた。店の主がお雪を宥めようとするが、お雪の叫びは一向に治まらなかった。

「おい! お雪、どうした !?  お雪! 旦那、何があったんですかい !?」

 主はただ事ではないと男を強く問い詰めた。

「なんにもねえよ! こいつは頭がどうかしてるんだ! 帰らしてもらう!」

 お雪は立ち去ろうとする男を睨み付けて狂ったように叫び続けるだけだった。 決まりが悪くなった男はそそくさと店を去って行った。主はふと怪訝な顔をした。

「あの男…やはり、どこかで見た顔のような…」

 それもその筈、主が女衒で動き回っていた頃、ある片田舎の貧しい農家で会っていた。口減らしのお雪を買った折、女房の後ろで酒を飲んでいた父親だ。しかし、気付けなかったのも無理はない。父親はお雪を売った金を懐に、その日のうちに家族を捨てて村から姿を消したのだ。何処をどう渡り歩いたのか、父親は鉱山景気に湧くこの集落に流れ着き、闇賭博で羽振りを良くし、お雪の噂を聞き付けてやって来たのだ。お雪は狂ったように父親を睨み付けて叫び続けるしかなかったのた。

 お雪の不運は続いた、父親は梅毒だった。それがお雪に感染し、粗末な食生活の日々を送っていたお雪を更に蝕んで行った。見る見る病魔に侵される中、売春宿の亭主には来る日も来る日も男の数を熟せと強いられ、お雪も必死に男を誘ううち、精神を病み、ついにお雪に異変が起きてしまった。お雪は来た客に対し、“いらっしゃい” しか言わなくなったのだ。それだけではない。行為の間中、肢体がダレたままのお雪は、目を剥いて天井を睨み、涎を垂らしながら “いらっしゃい” を繰り返すようになった。

「いらっしゃい…いらっしゃい…」

「うるせえんだよ!」

「いらっしゃい…いらっしゃい…」

 男の誰もが気味悪くなり、行為の途中で部屋を出て行った。

「あの女、どうかしてやがる!」

 お雪の客が逃げ帰ることが度重なり、主がお雪を𠮟りに部屋を覗くと、はだけた肢体を曝したまま、無表情で “いらっしゃい” を繰り返していた。

「お雪、おめえ…どうしちまったんだよ !?」


 お雪はついに身の回りの包みひとつで着の身着のまま売春宿をお払い箱になった。行く当てもなく、お雪を買う男などいるわけもなく、集落をさ迷うお雪は、道行く男に出会うと必死で“いらっしゃい、いらっしゃい”と声を掛け続けるようになった。そんなお雪を気の毒に思う村人は、その時々に食い物を恵み、いつしか村中の住民に “いらっしゃい” という諱で呼ばれるようになった。

「あっ、いらっしゃいだ」

 お雪を見付けた子どもたちが、その後に付いて囃し立てて歩くようになった。

「いらっしゃい! いらっしゃい! いらっしゃい! いらっしゃい! いらっしゃい!」

 お雪も楽しくなって笑顔で振り向いた。すると、その異様さに子どもたちは一斉に逃げ出した。お雪も一緒に楽しもうと追い掛けるも、子どもたちは余計怖がって更に大騒ぎで逃げ出した。足の速い子供たちに追い付けるわけもなく、お雪はがっかりしてまた村をさ迷うことになる。


 集落に初雪が降り、それが根雪になるとあっという間に辺りは一面白一色になった。そんなある日、お雪の姿が忽然と集落から消えた。

 春になり、神社の境内の雪が解け始めると、雪寄せに来た集落の住民が神社の裏に集まって拝み始めた。雪の中から不気味な笑顔の女の首が現れていたのだ。駆け付けた神主が恐る恐るお雪に近付くが、身動ぎもしない。神主は息を飲んだ。

「…あっ‼」

 と言ったきり、神主は尻餅を付いた。

「どうなすった !?」

 神主のところに走り寄った長老たちは、神主の視線の先にお雪の首を見て戦いた。

「あれは…いらっしゃいじゃねえか !?」

「いらっしゃいだ!」

 長老たちは神主を引き摺りながら必死に境内の参道まで連れ出した。

「ありゃもう、この世のものじゃねえ」

 どうすべきか長老たちは考えた。

「このままにはして置けんだろ」

「葬ってやらんとな」

 一同は仕方なくお雪の周りの雪を掻き始めた。

「おい、何かおかしいぞ !?」

 掘り進めるうち、お雪が何かを跨いで座っている様が見えて来た。掘り進めると、お雪の下敷きになったもう一体が現れて一同は再び仰天した。

「誰だ、こいつは !?」

「流れ者のいかさま野郎じゃねえか !?」

「こいつは…飢えている熊の檻にぶち込むしかねえな」

 お雪が跨いだ下には醜く昇天した表情の父親が果てていた。


(おわり)

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