第7話 静謐ノ宮(せいひつのみや)2
その夜、帳の内は、いつにも増して静まり返っていた。
ほのかな香が残る空気の中、ナギは迷いながらも、そっと口を開いた。
「……今朝、食膳を運んでくれた子……ナズナと申すそうですが……」
タケルは、ゆっくりと目を伏せ、しばらく黙していた。
やがて低く、しかし確かな響きで言葉が落ちる。
「……ナズナは、もとは辺地の村で飢えていた孤児だった。親もなく、幼くして彷徨っていたところを――長老に拾われたのだ」
ナギの眉が、微かに震えた。
「“人助け”という名目だった。だが、実際には……まだ乙女にもなりきらぬその身を、玩び、弄び……」
タケルの語調は、どこまでも淡々としていた。
しかし、その平静の奥には、深い怒りが隠されていた。
「……ナズナだけではない。後に分かったことだが、他にも、幾人かの子どもが同じように被害に合っていた」
ナギの胸の奥が、ひやりと凍る。
言葉にできない感情が、喉の奥に絡まるようだった。
「報が届いたとき、すでに遅かった。だが、余はその長老を――処刑した」
吐き捨てるようなその声音に、ナギは自然と目を伏せた。
タケルは、しばし遠い記憶をたどるように目を閉じる。
「ナズナは、その後、この宮に引き取られた。だが、初めて顔を合わせたとき……」
言葉がふと、そこで途切れた。
「――衣を脱がせようとした侍女に、ナズナはこう言った」
タケルは目を閉じたまま、低く呟いた。
「“いいことしてあげるよ”と」
ナギの肩が、はっきりと震えた。
まだ年端もいかぬ子が、口にするにはあまりに痛ましいその言葉。
その裏にある幾つもの夜と、幼い身体に刻まれた記憶が、たった一言の中に詰まっていた。
「……そのときほど、己の決断の遅れを悔いたことはない」
タケルの声に、わずかに感情が滲んだ。
怒りとも、後悔ともつかぬ、沈んだ響き。
「余がもっと早く動いていれば、あの子の心に、あんな言葉は宿らなかった」
ナギは、唇を噛んだ。
ゆっくりと伏せたままの視線が、胸元に落ちる。
自分もまた、奪われてきた。けれど、ナズナのそれは――もっと深く、もっと早く。
「その後、ナズナは巫女のもとで養われ、祈りと節制の日々を過ごした。身の癒えを待ち、訓練を受けて……今、そなたに遣わした」
「……わたしに?」
ナギの声は、震えながらも、確かだった。
「そなたは“駒”だ。いずれは、この国の政に関わる。ならば、それを支える侍女は、ただの飾りでは足りぬ」
タケルは、ゆるやかに言葉を継いだ。
「毒見ひとつにも意味がある。ナズナは、そのすべてを、耐え、学び、今に至った」
ナギの脳裏に、あの朝、穏やかに膳を差し出した少女の姿が浮かぶ。
小さな背中。静かな手。真っ直ぐな眼差し。
(……あの子も……)
(わたしと、同じ……いいえ、それ以上に……)
ふと、手の中で布が湿っていた。気づかぬうちに、涙がひとすじ、頬を伝っていた。
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