🌾 第四章:広がる音と季節の味
第一話 「四季ビールと祭りの灯」
九月。
山の稜線がゆっくりと黄金色に染まり、田んぼには重たそうな稲穂が揺れていた。
空は高く澄み、日中の残暑も、夜にはすっかり冷たくなる。
風鈴屋のカウンターで、修二が黙々と作業していた。
瓶に貼るラベルを並べ、色の調整、書体の確認、配置の微調整。
その目は真剣そのもので、彼の中にすでに“職人”の空気が漂っていた。
さやかはそれを見ながら、ぽつりと呟く。
「ほんとに、“ブルワリー”って感じになってきたね」
修二は少し照れたように頭をかいた。
「まあ、まだ試作品だらけだけどな。
でも、春のエールがあれだけ好評だったから、次も攻めないとな」
健一が棚の上に新しく並んだサンプル瓶を指さした。
「これが、秋の《栗蜜エール》。色もいいな」
「地元産の栗から採れた蜜を使ってる。コクがあって、香ばしい。
桜のときより、どっしりした口当たりにしてみた。食中酒って感じ」
「……そして、これが《夏の柑橘ラガー》?」
さやかが目を見張った。
「すっきりしてるけど、蜂蜜の香りはちゃんと残ってる……なんか“陽に当たった午後の風”みたい」
「言い回しが詩人だな」
三人は笑い合った。
そして——冬に向けた新作、《黒蜜スパイスビール》の構想も進んでいた。
クローブやシナモンを下支えに、深煎り麦芽のコク。
そこに、コクの強い栗蜜を絡ませる。
“夜に飲む”ための、やさしい苦味と甘さを。
「四季のビールが揃ったら、“日ノ杜の味暦”ってテーマで売り出せそうだな」
健一のその一言で、さやかの目が輝いた。
「それ、風鈴屋のメニュー名にしよう! “味暦ビールセット”。季節ごとの蜂蜜付きで!」
「いいね、風鈴屋限定セットにして、商店街でも展開できるかも」
数日後、健一は商店街組合の集まりに出向き、資料を広げた。
参加していたのは、地元の惣菜屋、文具店、和菓子屋の店主たち。
「……つまり、“季節の蜂蜜ビール”を中心に、
秋祭りと連動して商店街全体で“味の回遊”ができる仕掛けを作りたいんです。
ビールに合う惣菜、スイーツ、器。みんなの得意分野が生かせます」
会議室には静かな沈黙。
けれど一人、年配の和菓子店主が口を開いた。
「……いいじゃねえか。うちは“栗蜜どら焼き”でも作ってみるか」
「うちも、文具で季節のスタンプカード作ってみようかな」
「ビールは出せないけど、惣菜との“ペアリングメニュー”なら面白そうだな」
健一は、自然と拳を握った。
少しずつ、町が“動き始めている”のを感じた。
そして、秋祭りの日。
商店街には色とりどりの提灯が吊るされ、道端には出店が並んだ。
「味暦ビールセット」の看板は風鈴屋の前で揺れ、その前に行列ができていた。
栗蜜エールの香ばしさに、惣菜屋の「山菜おこわコロッケ」がベストマッチ。
夏の柑橘ラガーは、冷やしたまま手に持ち歩く人も多く、若いカップルが乾杯して笑っている。
「町って、変わるんだね……」
さやかが、提灯の光を見つめながら言った。
健一はうなずきながら、言葉を探すように答えた。
「町が変わったんじゃなくて、町が“反応してくれた”んだと思う。
俺たちが手を伸ばしたことに、誰かが応えてくれて——それが広がって、こうなったんだ」
修二は泡の立ったビールを持ちながら、ぽつりと一言。
「……ビールって、ほんと不思議だな。
香りも、泡も、温度も、口に入れるまで“完成しない”んだ。
町と同じだよ。最後は、人が口にして、笑うかどうか」
三人は、祭りの喧騒の中で、静かに乾杯した。
カン……と軽い音が重なり、秋の空に、町の灯が優しく滲んでいった
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