身も蓋もない尾崎放哉
東京ですっかり「文学者」「哲学者」っていう認識になってる今日この頃の私ですが、好きな俳人に「尾崎放哉」という人がいます。
「咳をしてもひとり」「こんな良い月を一人で見て寝る」など、型にとらわれない自由律俳句という分野で名前を残した人なのですが(性格はめちゃくちゃだったらしいですが)、この人面白いんですよね。
というのが、句集を見てると最初の方は真面目に俳句をやっていたようで、しかもシンプルに上手な俳句が多いんです。
なのにだんだん型が崩れていって、もうただ何か思った事を書いてるだけみたいな感じになっていっている。
感性はアンテナとして周囲に張っていたんだろうけど、上手いのに形が崩れて言ってそれがひとつの形になっていくっていうのが面白いと思ってるんですよね。
でも、自由律俳句っていっても全部に情感を感じられるわけではなく。そんな私がなんで尾崎放哉好きなのかな、あるいは尾崎放哉ってなんで名前が残ったのかなって考えたんですけど、この人抜粋された句集だけ見ても、とにかく「打席に立ちまくってる」んですよ、すなわち「数」はとてもたくさんある。
その中に、上述した有名な歌があるっていう事なんです。
これは、今でも共通することかもしれません。漫才とか作家とか、こういう芸術系全般に言えることかもしれないんだけど、とにかく作品をたくさん作りまくっていたらどれかがバズるみたいな。笑
となると、結局売れた芸術家とそうじゃない芸術家の違いは何かっていわれたら「運と数」みたいな話になりそうな気がして、それって身も蓋もない事だと思うんですけど、起業家などの方でも「運」って言いきっちゃう人いるんですよね。身も蓋もないなあ、って思うんだけど、現実ってそういうものかもしれないと思って、私は結構そう言うの好きなんです。
青空文庫で尾崎さんの歌はいくつか読めるので、ぜひ。
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