「媚薬を飲んでも私を襲わずにいられたら、あなたの妻になりましょう」という賭けに、ただ媚薬を飲みたいだけの王子様がやって来た。

龍田たると

本編

 伯爵家の女当主、マイラ・ラヴィネンは絶世の美女として知られている。


 透き通るような白い肌。紅を着けずとも色鮮やかで形の良い唇。

 流れるような金髪は腰まであり、長いまつ毛の奥には青の瞳がきらめいて。

 彼女が外を歩けば、男女関係なく皆その美しさに目を奪われる。


 歳は二十四。いまだ独身で、今のところ結婚の予定はない。

 適齢期にはいささか遅い年齢だが、近頃は年を重ねたせいで、そのあでやかさにもむしろ磨きがかかったと言われるほどであった。


 それほどまでの美貌であるがゆえに、当然、求婚者は星の数ほどいた。

 両親はすでに亡く、今はマイラが独りで伯爵家を切り盛りしている。

 残された遺産は多く、生活に困ることはないものの、その境遇はかえって健気な婦人のイメージを強め、「支えてあげたい」と言い寄る男の数は、彼女の歳が増えようとも一向に減ることはなかった。


 そんな美貌の貴婦人として評判のマイラだったが、ある日彼女は群がってくる男たちに一つの奇妙な提案をする。

 提案というより、それは賭けだ。

 その賭けとは、マイラが用意した媚薬を飲み、一対一で薬の効力が切れるまで、彼女の前で理性を保てるかというもの。

 男がマイラに少しでも欲情してしまったなら負け。

 欲情せず、最後まで指一本触れないでいられたら、その時は晴れてマイラは男の妻となる。

 軽薄で荒唐無稽。そんな正気を疑うような、どこか頭のネジの飛んだ賭けであった。


 どうして彼女はそんな賭けを始めたのだろうか。

 上記の賭けを始めて以降、マイラへの評判は急激に悪くなった。

 当たり前ではある。それまでの彼女は、自らの美しさを鼻にかけることなど決してしなかったのだから。

 それが自ら男を手玉に取るような真似をし始めた。

 今まで同情の視線を向けていた者、特にマイラと同年代の女性たちは、彼女に侮蔑の視線を向けると、すっと潮が引くように離れていった。


 一方、多くの男たちは、ここが好機とばかりにマイラの賭けに殺到した。

 それは参加料をどれだけ吊り上げようとも途切れることはなかった。

 中には賭けの結果など関係あるかと、そのまま彼女を手籠めにしようとする輩も現れた。

 だが、賭けの場となる彼女の部屋には強力な結界が張られ、マイラに害をなそうとすれば、たちまち身体を拘束される。

 そこはマイラの屋敷の寝室。天蓋付きのベッド、それと来客用の椅子が一つあるだけの、賭けのためだけに用意された部屋。

 マイラは寝着姿でベッドに腰かけ、椅子に座った相手の男を見つめるだけだが、媚薬の効果も合わさって、何もせずにその場をやり過ごせる者などいなかった。






「──待て! 待ってくれ、マイラ! まだ俺は負けてない!」


「私に覆いかぶさろうとした人が何言ってるんですか。もう来ないで下さいね」


 魔力の網で全身をぐるぐる巻きにされた男が、屋敷の正門前に投げ捨てられる。

 それでも追いすがろうと網をほどいて起き上がるが、彼を運んだ風の精霊──屈強な女性の姿の召喚霊が憤怒の形相で見下ろすと、男は震え上がり、すごすごとその場を去っていった。


「ご苦労様、今日はもう上がっていいわよ」


 マイラの言葉に、精霊は一礼して姿を霧散させる。

 マイラは屋敷の扉を閉め、「ふう」と大きな息を吐いた。


 その日の賭けは、今追い返された伯爵家の長男が最後であった。

 当然のごとく勝負に勝ち、すべての男を叩き出したマイラは、ベッドの上に身体を投げ出す。そして、壊れたように笑い声をあげる。


「……あはっ、あははははっ。はぁ……何やってるんだろう、私……」


 ふと我に返って自己嫌悪する。

 支離滅裂な行いをしているのは、彼女自身よくわかっていた。


 ──こんなことをしていても、自分の評判を落とすだけだ。

 そして、これを続けていても、賭けに勝てるくらいに理性を持った男など現れない。

 そもそもまともな男性が、この馬鹿げた勝負に参加すること自体ありえないのだから。


(……ええ、わかってるわ。この行いが単なる腹いせだってことぐらい)


 腹いせ。それは特定の誰かに対するものではなく、言うなれば世の男全員に対する腹いせだった。


 基本的に、マイラは男というものを信用していない。

 それどころか、自分に言い寄ってくる男には、嫌悪感すら抱いている。


 何も最初から今のような心持ちだったわけではない。

 十代の頃はその美貌もあって縁談も数多あり、幾人かの男とは結婚までいきかけたこともあった。


 だが、マイラの美貌は、逆に良くない効能ばかりを彼女にもたらした。

 近づいてくる男たちは、この美女を何としても手に入れたいと皆が巧妙に本心を隠す。

 そして、マイラと懇意になった途端に気が緩み、豹変して野獣のごとき本性をあらわすのだ。

 特に、数か月前に破談となった六度目の縁談は最悪で、相手の男はマイラが従順にならないことに激昂し、彼女の顔を拳で打とうとした。


「──女なんてもんはなぁ、ただ男の言うことに従っていればいいんだよ!」


 その男にとって計算外だったのは、マイラが思いのほか強い女性であったこと。

 魔術に長けていたマイラは、精霊を使役して婚約者にやり返し、逆に彼を屋敷から叩き出した。


「ふざけんじゃないわよ、この下衆男!」


 言い返した言葉が貴族にあるまじき野蛮さになったのは、ここだけの話である。


 とはいえ、表面上強く振舞っていても、心の内ではひどく傷ついていた。

 なぐさめてくれる家族は、すでに亡い。

 他者は好奇と羨望の視線を向けるのみで、彼女の辛さを理解することはない。

 心を許せる者もおらず、鬱屈した気持ちだけが積み重なり、それはやがて自暴自棄の心理に発展していく。

 そして、もはやどうにでもなれという心持ちにまで達した時、マイラは自分から男に喧嘩を売るように──彼らを試して落とすための傍若無人な賭けを──戯れとして行うようになったのだった。


 


(……前世では……恋とか結婚に、あんなにもあこがれていたのになあ……)


 実を言うと、マイラには前世の記憶というものがあった。


 その前世においても、マイラはとある貴族の娘だった。


 前世の世界は、こことは少しだけ様相が異なる。そこでは魔法だけでなく、科学も大きく発展しており、その二つは深く結びついていた。

 マイラの実家はかなりの金持ちで、最新鋭の魔導人形──ゴーレムが、常に彼女の傍に控えていた。

 マイラの前世での名前はセレスティナ。セレスティナは生まれつき体が病弱で、外へ出ることも出来ず、日常の世話も遊び相手も、ほとんどそのゴーレムが行っていた。



『ねぇ、リーブラ。私、大人になったら素敵なお嫁さんになるの!』



 自室のベッドで横になりながらそんな夢を語るセレスティナに、彼女のゴーレムであるリーブラはうなずき、いつも優しく微笑んでくれた。

 リーブラは、外見だけなら人間と変わらず、背の高い若い男性の容姿をしていた。

 艶のある黒髪、背筋はピンと伸びており、執事服を着こなす姿が様になっている。

 市販のゴーレムとは異なり、精密な人格を付与された彼は、ある時はセレスティナの従者として、またある時は教師として、あるいは友として、彼女のために仕え続けた。



『私ね、恋をするならリーブラみたいな紳士的な人がいいなって思うの! ……あなたが人間だったら良かったのにね。そしたら、お婿さんの第一候補はあなただったのに』


『……お嬢様、私が紳士的なのは、そのようにプログラムされたからですよ。私は人の感情を完全には理解できません。もちろん、少しでも近付けるように努力はしていますが……私などにお嬢様はもったいなさすぎます』


『何言ってるの。人間だって、い、いでんし……? とかいうので、ぷ、プログラムされてるようなものだって、本に書いてあったわ。だったら、根本の部分は同じなはずよ。第一、あなたがそうやってがんばってることには……変わりはないじゃないの』


『ありがとうございます……。お嬢様は……賢いですね』


 しかし、セレスティナは自らの夢をかなえることなく夭逝ようせいしてしまう。

 彼女の最後の記憶は、リーブラの穏やかな子守歌。

 幼年の頃、彼がいつも歌ってくれたその歌を、同じように枕元で聞きながら、セレスティナは十四年の生涯を閉じる。



 おやすみなさい 

 おやすみなさい

 私の小さなお姫様

 夜空に輝くあの月が あなたの夢を照らすでしょう──



(懐かしいなあ……。セレスティナだったあの頃が……まるで昨日のことみたい)


 そして彼女は、別世界でマイラとして生を受ける。

 転生したことに気付いた時、マイラはこれで幼い頃からの夢をかなえられる、恋ができるのだと喜んだ。

 しかも、この上ない美人に生まれ変わったのだ。

 きっと皆が私を好きになってくれる。この容姿は神様からの贈り物に違いない。そんなふうに彼女は未来への希望に胸を高鳴らせた。


(──と、思っていたのになあ……)


 しかし、美人であることが逆に障害になるなどとは、さすがに予想しえなかったのだった。







 そんな自暴自棄な日々を送っていたマイラだったが、ある日奇妙な訪問者が彼女の屋敷の門を叩く。

 その訪問者も、賭けに参加する男性の一人。

 だが、彼は何故か布で顔を隠し、賭けの部屋に入っても、外套のフードをかぶったまま、その素顔を見せようとしなかった。


(……ええと……どういうこと? 今日の相手は、侯爵家のご当主だって聞いてたんだけど……)


 男はその侯爵の名を名乗ったが、明らかにおかしい。

 というのも、侯爵の年齢は三十代。彼は恰幅の良い男性のはずだが、目の前の男はそれよりずっと若く、すらりと痩せていたからだ。


(どう考えても別人、よね……。隙間の目もとから見える肌つやだけでも、若さがわかるわ……)


「この小瓶に入っているのが、賭けに使う媚薬ですか? 私はこれを飲んで、椅子に座っていればいいのでしょうか」


「え? あ、はい。ですが、少し待って下さ──」


 男はマイラに尋ねると、彼女の返事を聞くや否や、媚薬の蓋を開け、口もとの布を下ろす。

 布を取って見せた素顔は、やはり侯爵とは別人。

 そこでマイラは彼の顔を見て、驚愕の表情となる。


「あ、あなたは……アレクシス王子!?」


「……あ、しまった。そうか。どっちみち、飲む時に顔がわかってしまうのか……」


 マイラの言葉に少しだけ気まずそうになったその人は、この国の第一王子、アレクシス・ファラスカであった。

 金色の髪に碧の瞳が美しい、いずれこの国を治めるであろう次代の国主。

 歳はニ十とまだ若いが、すでに数年前から国政にも携わっており、民草が話す評判にも悪い噂は聞こえない。

 そんな王子様が何故侯爵を騙ってここにやって来たのか。マイラは困惑で目を白黒させた。


 一方、アレクシス王子はマイラが許可していないのに、手に持った瓶の中身をぐいとあおり、そのまま飲み干してしまった。


「って、ちょ、ちょっと!?」


「……あんまりおいしくはないですね、これ」


 文字通り苦々しい顔をしてから、王子は「失礼」とマイラに謝罪する。

 彼はここでようやく外套を脱ぎ、その美麗な全容を彼女に見せた。


「お騒がせしてすみません。ですが、私はあなたが催している賭けに参加するつもりはないのです。私がここに来たのは……ただ、この媚薬を飲みかっただけで」


「は……え、はぁ!?」


 意味がわからずマイラは声をあげた。

 名を偽って王子様が自分の屋敷に来たと思ったら、いきなり媚薬を飲み干して、なのに賭けには参加しないと言う。

 わけが分からない。

 言葉を失うマイラに対し、アレクシス王子は申し訳なさそうに、さらに彼女へと語った。


「……実を言いますと、私はこの媚薬のような、性的興奮を高める薬を探しているのです。……というのも、私は人よりも感情が希薄で……お恥ずかしい話なのですが……特に性欲というものは、生まれながらに皆無で。このままでは世継ぎも作れないと王からも心配され、さまざまな試みを行っているのですが、媚薬に関しては一番効能が強いものはこちらの伯爵家が買い占めたと言われたので。ですので、こうして媚薬をいただきに来たわけなのです」


(……えええええぇぇ~……!?)


 なるほどそういうわけだったのですね、とは、とても言えなかった。

 確かにマイラは賭けを実施するにあたって最高の媚薬を買い占めたし、彼の言うことも理屈は通っている。が、言われた事実が突飛すぎて、なんとか理解するだけで頭が追い付かない。少なくとも、納得などできるはずもない。


 第一王子に性欲がない──それは俗な言い方をすれば、いわゆる不能ということなのだが……そんな汚点を初対面の自分に明かしていいのだろうか。

 そもそも、王子自らがここに足を運ぶ必要もないだろうに。

 

「あ、あのっ、び、媚薬をお求めなだけでしたら、こんなことをなさらずとも、お渡しいたしましたのに……」


「ええ、私もそう思って使いの者を先日交渉に行かせたのですが、門前で追い返されたそうなのです」


「え」


「なので、賭けの参加者として私がこちらに出向けば、飲ませていただけるかなと。とはいえ、素性を明かせば逆に恐縮されて断られてしまうと思い、知己の侯爵の名を借りることにしたのです」


(……あああああっ、そういうことか……! しまったぁあっ……!)


 マイラは内心で声を上げながら、最近のことを思い返した。

 そういえば先週、身元を明らかにしないどこかの使用人が、媚薬だけを譲って欲しいと屋敷にやって来た。

 なんだか偉そうで、人に物を譲ってもらう態度ではなかったので、叱りつけてそのままお帰り願ったが。


(あれが第一王子の使いの人だったなんて! 名乗ってよ! それに断られたからって、殿下本人が直々に来るのはやっぱりおかしいでしょ! だいたいそんな急いで飲まなくても……!)


 まあ、国を背負って立つ人間が媚薬を買い求めているなどというのは、確かに風聞として好ましくないだろう。

 しかもその理由が、彼の性的不能ゆえならなおさらだ。

 名乗らなかった理由を慮り、マイラはお互いの間の悪さを呪った。


(……というか、こんなに綺麗な人なんだから、本来相手なんてより取り見取りでしょうに……難儀よね……)


 ふと彼の顔を見てそんなことを思っていると、王子は自らの胸に手を当て、感触を確かめるような動作をする。

 彼は小首をかしげると、「この媚薬、即効性ではないのですか?」とマイラに尋ねた。


「え? あ、いえ……おっしゃる通り、すぐに効き目が表れるはずですが。今まで飲まれた男性だと、一分と経たずに私に襲い掛かる方もいましたし……」


「……一分……そうですか……」


 その口ぶりから察するに、他の男とは異なり、彼にはそういう衝動は起こっていないようだった。

 この部屋にはマイラを守るための結界が仕掛けられているが、それを発動させる必要もなさそうだ。

 アレクシス王子は残念そうにうつむくと、どこか訝る様子でマイラに問うた。


「では、性的衝動……ではないですが、たとえば心が軽くなる効果も……この媚薬にはあるのでしょうか? なんだか薬を飲んでから、少しだけ気持ちが楽になったような気がするのですが」


「いいえ、そんな効能は……あ、でも、その媚薬を作った魔女のおばあさんによると、これは肉体だけでなく、深層心理にも作用する薬なんだそうです。身体をほてらせたうえで、心の中の潜在的欲求を開放するとか……」


「心の……潜在的欲求……」


 その意味で、この媚薬は賭けにはぴったりのものといえた。

 媚薬を飲んで男がマイラに襲い掛かれば、マイラは「ほら見たことか」と彼らを見下すことができるからだ。

 どんなに紳士ぶっていても、心の中では不埒なことを考えている。男は獣だ。そういう言い訳を成立させるには、この媚薬の効能は、まさにうってつけなのであった。


 一方、性欲ではないにせよ、薬の効能が出始めているのだろうか。王子はそこで腕を組むと、小さく身震いをした。 

 彼は喉に手を当て、「……なるほど、だからしゃべりたくなっているのかな……」と、どこか楽しそうな声でつぶやいた。


「え、しゃべりたく……?」


「要するに……この薬は自制心を失わせる効果があるのですね。本来なら、それが性的欲求に働きかけ、あなたのような魅力的な女性を前にすることで、男たちは本能に抗えなくなる。けれど、私にはそれがないので、いつも抑えている欲求……つまり、『自分の秘密を誰かに聞いてほしい』という望みを、開放したくなっていると」


「で、殿下の、秘密……?」


「ええ。私には人には言えない秘密がありまして……。信じてもらえないかもしれませんが、実は私、人間ではないのです。性欲を持ち合わせていないのも、おそらくそれが原因だと思うのですが」


「……へ?」


「正確には、魂が人間でないというか……前世が人ならざるものだったのですよ」


 ためらう様子もなく、さらりとそんなことを打ち明ける王子。

 マイラは素っ頓狂な声を漏らした。

 この人はいきなり何を言っているのか。媚薬のせいで頭が変になってしまったのだろうか。二人の間を沈黙が通り抜けていく。


「え、ええと……」


「私の前世はね、魔力で動く自律型の自動人形──ゴーレムだったんです。そこは今の世界よりも科学技術が大きく発達した世界で、私はとある少女の従者として働いていました。彼女が病で亡くなった後は、魔力の核を抜かれて廃棄されたはずなのですが……。気が付いたら、こうして別世界で人として生を受けていたというわけなのです」


「えっ……」


「笑い話のように思われるでしょうが、本当ですよ。たとえば私はいくつかの政策を成功させ、為政者として一定の評価を得ていますが……実はそれらも、前世の知見をそのまま用いたに過ぎないのです」


 フッと哀しげな笑みを見せる王子。

 マイラは再び声を漏らした。

 けれど、今度は理解不能の表情ではない。

 どれだけ説明が付け足されようと、彼の言動が突拍子もないことは同じである。しかし、次のマイラの表情は、見知ったものを思い出し、「まさか」と重ね合わせた時の顔だった。


「人に生まれ変われたとわかった時は、本当に嬉しかった……。あこがれだったんですよ。笑って、泣いて、怒って、あれほどまでに情感豊かで、生き生きとした人たちと同じになれたらと、ずっと願っていたから。特に私の主は、『恋をしたい』と恋愛事に興味津々でね。私も彼女に影響されて、もし可能なら……そのときめく気持ちを共有したいと思っていたんです」


「……!」


「……でも、駄目ですね。本来性別を設定されていなかった私は、そういう気持ちを理解できるようには作られていなかったのでしょう。転生後も、異性への情愛を感じることはなく……上っ面だけを取り繕ってここまできてしまった」


 「いくら名君と讃えられても、人の心を持たないのではね」と、彼は消え入りそうな声で言う。

 その声色は、他者が入り込めない大きな壁を感じさせた。

 反面、語り口はとても真摯で、嘘ではない本当のことだからこそ、彼は誰かに話したくて仕方なかったのだと思わせる真実味も強く感じられた。


「……すみません。あなたにはわけがわからない話を聞かせてしまいましたね」


 そう言って、王子は話を打ち切ろうとする。

 しかしそこで、マイラは彼に問いかけた。


「……あの、殿下が前世で仕えていた少女って……どんな子だったんですか」


「え? そうですね……とても素直で……良い子でしたよ。生まれつき体が弱く、めったに外へ出ることができなかったのですが……それでも明るく、皆に気遣いがあって。ゴーレムだった私にも、平等に接してくれていました」


 ドクンとマイラの鼓動が跳ね上がった。

 

「私が作った拙い子守歌も、彼女は喜んで聞いてくれました。幼い頃は毎日のように。成長してからも時々は。そして……天に召される時も……夢を見るように、安らかに」


 鼓動はさらに強く、大きくなる。


 子守歌。

 病弱な少女。

 今わの際にゴーレムが歌ってくれた。


 各々の単語がパズルのピースがハマるようにつなぎ合わさってゆく。


(……まさか、まさか、そんなことって)


 そして、王子は懐かしむように、その子守歌を口ずさみ始める。



 おやすみなさい 

 おやすみなさい

 私の小さなお姫様

 夜空に輝くあの月が あなたの夢を照らすでしょう──



 そう、その歌は──セレスティナマイラの従者リーブラが、いつも歌ってくれた、あの子守歌だった。


「……リーブラ」


 思わずこぼれたマイラの言葉。

 そのつぶやきに、アレクシス王子が固まった。

 歌が止まる。直後、それをつなぐように、今度はマイラが続きを歌い出す。



 おやすみなさい

 おやすみなさい

 明日はきっと良い天気

 広くて青いキャンバスに ふたりで夢を描きましょう──



「……お、嬢様……?」


 どこか力が抜けたように、薬の瓶を台に置く王子。

 アレクシスの問いには答えず、マイラは彼に言った。


「……同じよ」


「……えっ」


「プログラムされたゴーレムだろうと……人間と変わらないわ。だって……あなたは人に近づこうと頑張っている。昔も、転生した今も……そうやって努力し続けてる。

上っ面だけじゃない、人の心がないはずはないのよ。だって……だって、あなたは……リーブラなんでしょう!?」


「──! ──お嬢様……!」


 その瞬間、二人の間にあった見えない壁が崩れ落ちた。

 直後、気付けばマイラは駆け出していた。

 ただ目の前のアレクシスへと、彼女はその胸に飛び込んでいく。

 王子は確信を得たように、両腕でそれをしっかりと受けとめる。


「──リーブラ! リーブラなのね!」


「あなたが……あなたこそがセレスティナお嬢様だったのですね……! ええ、そうです。私はリーブラ、あなたのゴーレムのリーブラです!」


 二人は強く、固く抱きしめ合った。

 お互いがお互いを離さぬよう、これ以上ない思いを込めて。


「ずっと会いたかった! あなたが傍に居てくれたらって、いつも思っていたわ!」


「……私もです、お嬢様! 人として生まれたこの二十年、空虚さを感じるたびに、いつも思い出すのはあなたのことだった……!」


 ああ、そうかと二人は気付く。

 自分が探し求めていたのは、目の前のこの人だったのだ。

 マイラが世の男に裏切られても、アレクシスが他者に情愛を持てなくても。

 それでも心を預けられる存在は、確かに前世に存在していた。それが今でも彼らの支えになっていた。 

 そして、ようやくその大切な存在に再会できた。二人はそれを確かめ合うように、お互いの顔を見つめ合う。


「ああ、でも……私ったらなんて馬鹿なんだろう。こんなはしたない真似をして、あなたにこんな姿を見せて……」


「何を言ってるんですか。私はあなたのおしめを替えたことだってあるんですよ。少々肌が見えていようが、何てことはありません」


「でも……」


「……苦労なされたんですね、お嬢様」


「……うん、ありがとう。そう言ってわかってくれるのは、あなただけよ、リーブラ」


 アレクシス──リーブラは、何も言わずともマイラの心情を察した。

 賭けを始めたことでマイラの評判がガタ落ちしたことは彼も知っていたが、あの純真なセレスティナが理由もなしに悪女にはならない。その確信がアレクシスにはあった。

 マイラは今日までのことをアレクシスに話し、改めて自らの行いを恥じる。

 アレクシスはリーブラがそうであったように優しくうなずき、彼女を肯定する。そして、しばらく語りあった後で、「よければ、私のところに来ませんか」と、マイラを誘った。


「え? でも……この世界では、あなたは王子様じゃない。こんなはしたない女を迎え入れたら、あなたの評判が……」


「そんなこと関係ありませんよ。あなたがどんな身分でも、どんな外聞の女性でも、私はあなたを歓迎します。だってあなたは、私がお慕い申し上げる、たった一人のお嬢様なんですから」


「リーブラ……」


「……それに、あなたでなければならない理由がもう一つあるのです。……あの、少々申し上げにくいのですが……」


「え、何?」


 と、アレクシスは抱きしめていた身体をマイラから離す。

 彼は真っ赤になって、彼女に言った。


「その、ちょうど今気付いたのですが……どうやら私にも、性的感情というものがあったみたいで……。び、媚薬の効果が今になって出てきたようなのです……。お、お嬢様を抱きしめていたら、身体が熱いというか、か、下半身の衝動が……!」


「え……あ!」


 意味するところがすぐにわからず、マイラは彼の腰付近を見やる。それから同じようにハッと顔を赤くする。

 けれど、すぐに柔らかな笑みを見せると、「良かったわね」と言って、頬にキスをした。


「お嬢様っ!?」


「ええ、本当に良かったじゃない。これであなたはこの国の後継者として、憂うところは何もなくなった。さすがリーブラね。私も鼻が高いわ」


「……ありがとうございます。ですが、だからこそ……私と一緒に来ていただきたいのです」


「……どういうこと?」


「私がこんな気持ちになるのは……触れているのがお嬢様だからであって、他の女性では多分この気持ちは起こりえないと思います。というか、他の女性でこんな感情になりたくありません」


「……リーブラ」


「お嬢様こそ、お嫌ではないのですか。私も結局は、心の底に性欲を隠した男ということになるのですが……。あの、もしお嫌であれば……その時は潔く身を引きます。もっと自制心を持った殿方を選ばれても……良いのですよ?」


「それこそ愚問ね」


 と、マイラは彼の前でくるりと一回転ターンして、アレクシスを指差した。


「私はあなたがいいの。どんな時でもセレスティナを優しく見守って、導いてくれた、元ゴーレムのあなただからいいのよ。それに、今だって……媚薬の衝動に耐えて、紳士的に振舞ってくれてるじゃない」


「……お嬢様、あなたは本当に……」


「それに……そうねぇ、あなたの理性が抑えられないとしても、そこは気にしなくていいわ。……だって私が襲っちゃうんだから。今からあなたがそうなる・・・・のは、あなたを襲っちゃう私が原因。だからあなたはすべてを委ねて、楽にしてくれていいのよ?」


「お、お嬢様!?」


「だーいじょうぶ、ちゃんとリードしてあげるから」


 そう言ってマイラはアレクシスに近づき、ベッドへと彼を押し倒した。


「う、うわっ!」


「うふふっ、かわいいんだから、もう」


(……もっとも、私も耳年増なだけの女なんだけどね……)


 その内心のつぶやきは悟られぬようにと思っていると、アレクシスは「す、少しだけ待って下さい」とマイラを留めた。


「何?」


「……これだけは冷静なうちに言わせて下さい。お嬢様、私はあなたを……愛しています。そして……これからどうか……よろしくお願い致します」


「……私もよ。あなたのことを愛してる。リーブラ……それとも、アレクシスかしら。これからずっと、あなたと同じ道を歩ませてね」






 ──そうして、この国の第一王子は、とある女伯爵を伴侶に迎えることとなる。

 二人の身分差については多少の反発が起こり、それに伴い王子が女の美貌に篭絡されただとか、女は妃の地位欲しさに王子を落としたなどの噂も立ったが、どの噂もわずかなうちに消え、収まっていった。


 それは、アレクシスが今まで築いてきた功績と評判があったゆえであるが、彼が権力を活用して、裏で情報を操作したことも大きい。


 意外としたたかなその手腕にマイラは感心し、アレクシスは穏やかながらも得意気に笑った。


「王族の力って、すごいのね……」


「合法的な手段しか取っていませんから、そこはご安心を。でも、私はそれだけではないと思うんです。お嬢様本来の人柄を皆が知ったからこそ、一時のやけっぱちな行動の悪評も、小さなものになっていったんだと思いますよ」


 アレクシスはあごに手を添え、「おかしな賭けとはいっても、同意の上ですし、他者をことさら傷つけたわけでもないですし……」と言い足す。

 

「そうだといいわね……」


「そうに決まっていますよ」


 マイラのつぶやきに、アレクシスは確信をもって答えた。


「それはともかく、リーブラ」


「はい、何でしょう」


「もう結婚して数か月なんだし、そろそろ『お嬢様』呼びは変えて欲しいんだけど……。私ってばもう大人で、何より今はあなたの妻なのよ?」


 マイラの突然の要望に、アレクシスは「ああ」と頷いて気恥ずかしげに謝る。


「すみません、いつもの癖で……。……そうですね。それにこの世界では、私たち主従が逆なんですよね」


「皆の前では『マイラ』で。二人きりの時は『セレスティナ』でもいいから。お願いね」


「かしこまりました、おじょ──」


「……」


「……かしこまりました、セレスティナ。ええと、敬語も……やめるべきでしょうか?」


「ふふ……まあ、好きにすればいいわ。私の愛しい旦那様」


 照れた夫の返答に、マイラは優しく微笑んだのだった。



<おわり>

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