朝曇りは晴れ
久々宮知崎
朝曇りは晴れ
風にそよぐカーテン、
青く澄んでいて、白い雲が流れゆく空、
緑に生い茂る街路樹、
通る車の中、笑う人たち。
心から。
そんな世の中だったらよかったと思う。
✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕
朝の満員電車ほど憂鬱な場所はない。
ただでさえ寝足りないってのに、何十分も棒立ちしていなければいけない。
みんな堅苦しい顔で、スマホを見るか疲れた顔でうなだれている。
人が大量にいるから生暖かい空気が溜まって、息苦しい。
私はまだ窓側にいるからいいけれど、それでも、どんよりとした曇り空がただ流れていくだけ。黒い影が重く街に落ちている。
………。疲れた。
夏に「暑い…暑い…。」と繰り返すことしかできなくなるように「疲れた」という言葉に思考が支配される。
私は通学カバンを背負い直して、ため息をついた。
ガタンゴトン、ガタンゴトン、という音を今までの人生で何回聞いただろう。
無機質な音を、ただ揺られながらぼーっと聞いていた。
プシュー。
『アザミガハラ、アザミガハラー。』
私は「すいません」とつぶやきながら人混みをかき分けてホームに降りた。
重い足を引きずって改札に財布をかざして、私は街を歩きだした。
夜の満員電車ほど憂鬱な場所はない。
ただでさえ学校帰りで疲れてるってのに、何十分も棒立ちしていなければいけない。みんな堅苦しい顔で、スマホを見るか疲れた顔でうなだれている。
それか死んだように寝ている。
人が大量にいるから生暖かい空気が溜まって、息苦しい。
私はまだ窓側にいるからいいけれど、それでも、どんよりとした曇り空がただ流れていくだけ。曇った夜空が暗く暗く街を包み込んでいる。もし晴れていたとしても、都会の空に星はない。
……。……。
疲れたという言葉を思い浮かべるのも疲れる。
私は通学カバンを背負い直して、ため息をついた。
ガタンゴトン、ガタンゴトン、という音を今までの人生で何回聞いただろう。
無機質な音を、ただ揺られながらぼーっと聞くだけ。
プシュー。
『ホシミガハラ、ホシミガハラー。』
私は「すいません」とつぶやきながら人混みをかき分けてホームに降りた。
重い重い足を引きずって改札に財布をかざして、私は街を歩きだした。
朝の満員電車で始まって、夜の満員電車で終わる。
憂鬱から始まって憂鬱で終わる。
ゼロかマイナスしかない世界はずっとつまらない。
最近、いつもと違う日があった。
その日の朝はいつも通り曇り空だった。
そしていつも通りその空模様に私の気分は沈んでいた。
一つ、いつもと違ったのは、水たまりが多くあったことだった。前日に台風が通っていったのだ。台風一過というけれど、そんなことは一切ないと暗い空が言っている。古人の例えなんてあてにできないと思いながら、私は学校へ向かっていた。
そんな時だった。
ぼーっと前だけ見て歩いていた私は、大きな水たまりの中に私の使い古されたローファーとともに盛大に足を踏み入れてしまったのだ。
結構深くて、私のローファーは完全すっぽり水没した。
そしてさらに水たまりから飛びのいた私のカバンの中からプリントが飛び出て、宿題の大半が水たまりに沈んでしまった。
朝、カバンのチャックが閉まっているか確認してから出発すればよかったと心底後悔した。
だけどそんなことを思っている場合ではなかった。ローファーや宿題だけでなく、スカートやワイシャツまで結構ずぶぬれな様相になっていたから。
このままじゃ風邪をひいてしまう。
私はびっしょびしょで半分原型がない宿題たちをカバンに突っ込んで家に走り帰った。
集合住宅の一角にある私の家は、隣の家と間違えてしまってもおかしくないくらいデザインが似ている、というか同じ型番だろう。
毎度のごとくしっかりと「伏見」の表札を確認してから、めんどくさい二重鍵を上、下、と順番に開けてドアを開けた。暗くなった家の中は人の気配がしなかった。私はとりあえず脱衣所に向かって服を着替え、濡れて重くなった服を洗濯機に放り込んだ。適当にコースを選んでボタンを押すと、洗濯機はごうんごうん、と動き出した。
階段を上って自分の部屋に入って、私は適当なタオルを敷いて、濡れたカバンと宿題を上に並べた。
…………。
私は脱力感に見舞われてその場に座り込んだ。
時計を見ると、もう八時を過ぎていた。
…学校にはもう間に合うわけもない。どうせ行ったって宿題も出せないし、一日中ジャージで過ごすことになるだろう。
何だか学校に休みの連絡をする気も起きない。
私はその場に寝転んで、天井を見つめた。
白くて、白い。それ以外は特に何もなかった。
私はそのまま少しの間寝転んでいたけど、暇を持て余して、よいしょと起き上がった。
このまま何をするか、私には思いつかなかった。
宿題のやり直し? 英検の対策? 今からでも登校する?
どれももったいない気がした。
時間ではなく、この、登校日に学校に行っていないという状態を勉強に費やすのが、もったいない気がしたのだ。
私は何を思ったか、適当に外を歩くことにした。
久しぶりに制服でも寝間着でもない服を着る。私は適当な服を箪笥の奥から引っ張り出した。
黒のパーカーと、ジーパン。特に着飾ることもない、私の基本装備だ。
着替えた後は、特に何もいらないかと思って、携帯も財布も持たず家を出た。
玄関の鍵を上、下と閉めかけたけど、何となく気が変わったので、今日は下、上と閉めることにした。
家の前からは、別に何ともない普通の道が続く。
制限速度は五十キロメートル、一車線、一通。
一通だと駐車が面倒だと、親がぼやいていた。
私は特に行先も考えていなかったので、一方通行の標識の指す方へ行くことにした。まだ水たまりが多くて、またハマるんじゃないかと足元を気にしながら歩いた。
下を向いて歩こう。
一通の先で右に曲がると、少し広い通りに出た。
行ったことのない中華料理屋、怪しげな老舗整骨院、潰れたらしい酒屋、いろんな店がその通りには並んでいた。意外に店が多くて、私はどれかに入ってやろうかと思った。けど、手元に一銭も一円もなかったので、やめた。
百円くらい自販機の下に落ちてないかと覗き込んだけれど、よくわからないキャラクターが書かれたメダルしか出てこなかった。もしかしたら、これをなくして泣きじゃくっている子供がいるかもしれないと思って心を痛めたけど、交番に行くのはめんどくさいのでやめた。
おもちゃをなくした程度で泣くな。強く生きろ、子供。
そのまま通りを過ぎると、近所の公園についた。
名前は…、かすれてよく読めない。なんとか原公園と書いてあった。
そのなんとか原公園は思ったよりも遊具の並びが良くて、ブランコから滑り台、鉄棒やジャングルジム、砂場などポピュラーなものが全てあった。
遊具で遊ぶのもいいと思ったけど、結局私は適当にあったベンチに座って、特に流れることもないどんよりとした曇り空を眺めた。
…今頃友人たちは学校で授業を受けているのだろうか。
なんだっけ、月曜の三限だから……、英語だっけ?
私は今、授業を受けていない。欠席連絡もしていない。
私にはそれがとても不思議な感覚だった。そう、家を出てからずっと不思議な感覚がする。なんだかふわふわして、何でもできそうな気がする。
実際はそんなことなくて、明日から学校も何もかもまた始まるけど、今はそんなことがどうでもいいと思える。
いつも機械のように学校に行って、義務のように友達と話して笑って、家でやることをやったら寝る。
でも今は、何にも縛られなくていい。
楽だ。
私はそのあとしばらくぼーっとしていた。
気まぐれに、ふっと目の焦点を戻すと、いつのまにか目の前に猫がいた。私をじっと見つめている。茶、黒、白の三毛猫だ。オスだったら高く売れるかもしれない。
私が手をぴくっと動かすと猫はびくっと体を動かした。
毛を逆立たせて、警戒態勢になっている。だんだん警戒態勢が解けて、私がまた少し手を動かすと、また前傾姿勢になって私を見る。
私はそれが面白くて、何度も手をぴくっと動かした。
やってるうちに猫が逃げるんじゃないかと思っていたけど、猫はなかなかその場を動かない。なかなかやる猫だ。その意地を賞して、お前を不動明王と名付けよう。
私は趣向を変えて、その猫を手なずることにした。
驚かせるだけじゃ意味がない。この時代、平和と友好が重要だと誰かが言っていた。
私は猫を飼っていたこともないので、どうすれば猫が懐くかわからなかった。
ゲームだったら魚を何度か与えれば懐くけど、現実ではそうもいかない。私はとりあえず右腕をゆっくりと動かし、不動明王の前に差し出した。
「さあ、お手。」
私は挑戦状を送るように言葉を発した。
不動明王は私を見ている。じっと見つめている…。
未だ警戒態勢を崩さず、私をひじきが張り付いたみたいな大きな目で見ている。私もまた、普段は絶対にしないような見開いた眼で不動明王を見つめ返している。
…沈黙の時間。
何分経ったかわからない。私の中ではすでに十分が過ぎているが、この時間感覚は役に立たない。
右手を差し出した体勢のままずっと固まるのがきつくなってきたその時、不動明王が警戒態勢を崩した。
不動明王崩れたり! さあ、来い! 私の手に、お手を‼
のそり、のそりとゆっくり私に近づいてくる。
私の手が不動明王の目と鼻の先にある
これ、本当に野生の猫を懐かせられるかもしれない!
緊張の瞬間…。
不意に、ぼちゃん、という音がしたかと思うと、不動明王はその名前など知らないとばかりに素早く振り向いて逃げ去ていった。
私の手を見ると、白いでろでろしたものがまとわりついていた。
間の抜けた、かぁー、という音が私の頭上から響く。
上を向くと、黒いカラスらしき鳥が一羽、遠くの方へ飛び去って行ったのが見えた。
…………………。
「あっははっ、ははっ!」
私はカラスのあれがついたまま笑い転げた。
ある人には、笑うところがわからないくらい嫌なことかもしれないけど、私は息が切れるくらい笑いが止まらなかった。
猫じゃなくて、カラスの糞が私に懐いてくれるなんて!
「あっははっ、ははっ、はははっ……!」
ひとしきり笑い終わると、私は脱力感に苛まれた。
でもそれは、家で起こったみたいなやりきれない、中身のない脱力感じゃなくて、満足した後の、気持ちいい脱力感だった。
こんなに笑ったのはいつぶりだろう?
なんでこんなに気分が明るいんだろう?
私の気分は最高に浮き上がっていて、もはやハイと言える状態だった。
どんよりとした曇り空が輝いて見えて、通り過ぎる人たちがみんな笑顔みたいに見えた。水たまりにはまって、糞をかけられて、最悪の日だったけれど。たまにはこんな日があったって、いいのかもしれない。
このあと私は手を洗って、しつこいぐらい洗って、家に帰った。
満足感からか私はすぐ自室で寝てしまった。
そして目が覚めたころには時計が六時頃をさしていた。
急いで洗濯物を干して、朝食のお皿を洗って、夕飯用のご飯を炊いて…、と
していると親が帰ってきて、開口一番「何があったんだ」と聞かれた。
私は適当に「服が濡れちゃってー」「そのまあ電車に乗るわけにもいかなくてー」と流した。学校に連絡しなかった理由は最後までぼやかした。
この日の出来事から、私の日々は少しずつ晴れていった。
日々の憂鬱さが少し面白くなった。
勉強や部活がつらいのは変わらないけれど、カラスや猫を見るたびに、
少しだけ、何も気にせずくすっと笑えるようになったから。
朝曇りは晴れ 久々宮知崎 @kannnana
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます