ストレンジエトセトラ

tsubori

第1話 ちょんまげと中華まん(1)

「ぅぅぅう゛っっまぁあ゛ぁぁあぃ゛い!!」


社内全体に響き渡る声量で叫んでしまった。


廊下にわたしの「ぁあぃ゛い!!」が反響してる。

世の中にこんなに美味しいものがあったのかと今日までの自分の人生を嘆く。


時刻は15時。まだ月曜日。


突然のわたしの大歓声に驚いた編集長がイスに躓いてパンダみたいに尻もちをつく。

後輩の潮田がすごいスピードでオフィスの窓とカーテンをしめる。



「あっ、すいません…。これ、ちょっとあんまりにも美味しくて…。」


我に返ったわたし、鮫川音季さめかわときは手元の得体の知れない中華まんをまじまじと見つめる。



「……お前、ピザまん食べたことないの?」


開脚した足が天井を向いたまま、昭和過ぎるコケ方をしているのは真舟まふね編集長。


御年40歳独身。喫煙者。

いつも紺色のスーツに高そうな腕時計。

髭と髪をビシッとキメているが、襟にミートソースのシミが付いていたりする、優しくてだらしの無いわたしの直属の上司だ。



「はい、申し訳ありません…!はい。いえ、うちの鮫川が初めてピザまんを食べまして…。」


受話器ごしに他の部署に頭を下げているのは後輩の潮田優香しおたゆうか

白昼のわたしの大声に「大丈夫ですか!?」という連絡が内線でかかってきたらしい。


潮田は入社2年目。

かわいいものが大好きなThe・大卒のOL。

ネイルはキラキラ髪はサラサラいつもニコニコ。


自分とタイプが違いすぎるから少し苦手なんだけど、なんだかんだ仕事ができるいい子。



「ピザまん…。これ、どこで買えるんですか…?」


ルーブル美術館でモナリザを鑑賞するみたいに手元のピザまんを見つめているのがわたし、鮫川音季さめかわとき


入社5年目。歳は25。愛称は"サメ子"。

内向的で消極的。趣味は釣り。友達は少なめ。

好きな食べ物はたった今ピザまんになったところ。


幼少期に父を亡くしたショックで精神疾患に人生を蝕まれていたけど、昨年いろいろあって病気は完治した。晴れて普通の人になった、はず。

ただ、10代でちゃんと学校に行けなかったから常識が欠落している部分がたまにある。こんな風に。


イルカが大きくなったのがクジラだと思ってたし、"ラーメンのメンマはジェンガを削ってできている"という嘘を信じていたし、このピザまんとやらも知らずに25年も生きてしまった。



「ピザまんは…コンビニのレジに置いてるだろ。」


真舟編集長が自分の席に戻ってぽきぽきと首を鳴らす。


「あぁっ!あれ!見たことあります!あのレジ横のガラスケース。 あの中華まん、買えるんですね…。」


「ピザまん1つください、って言えば普通に取ってくれるよ。コロッケとかチキンとかポテトとかいろいろ売ってるから買ってみ?全部美味ぇから。」


わたしはコミュニケーション能力の低さには定評がある。

普段仕事以外で人と話すことなんてめったにないので、コンビニのレジでも「お箸くださぃ…」くらいしか言葉を発していない。

あとは「さむっ…」とか「ん~…」くらいしかしゃべっていない気がする。

よく考えたらこれ、社会人としてヤバいことなのかもしれない。


「先輩、ピザまんでその感じだとアメリカンドッグ食べたら気絶すると思います。」


「アメリカ…?ドッグ…?」


「サメ子…お前マジか。記憶喪失のリアクションじゃん。え?マジ…?」


「タイムスリップ系の映画でこんな感じの場面ありませんでした?」


編集長と潮田が完全にわたしを未来人とか異星人扱いしてるけど、コンビニのレジのケース(ホットスナックって言うんだね)とは関わり無く生きてきたわたしにとって、"アメリカンドッグ"は【英語をしゃべる犬】である。



こんなに非常識で編集記者が務まるのか自分でもたまに不安になるけど、わたしはこの仕事が好きなんだ。



あ、そうそう。

わたしは編集記者の仕事をしてる。

弊社、テトラジャーナルの紹介がまだだった。


わたしが勤めている会社、テトラジャーナルは『週刊テトラ』というオンライン上の情報誌の配信をしている出版社。


『週刊テトラ』は経済・ファッション・ニュース・グルメなど興味のある項目を利用者各自が選び、関心のある項目だけで構成された雑誌がネット上で自動で編集されるシステム。


企業は広告を載せることもできるし、友達や芸能人が読んでいる週刊テトラを閲覧することもできる。

雑誌の1ページを投稿するSNSのようなもので、云わば自分専用マガジンの出版サービスだ。


その中でわたしは「ジョブログ!」という様々な「仕事」に関するコラムページを執筆している。


過去にはわたしの取材した記事がジャーナリスズム賞というまぁまぁ凄いっぽい賞を受賞したこともある。

どんな職業の記事だったかはあえてここでは言及しないけど、思い出すと何故か鳥肌が立つ。




「今週取材してきた先輩の記事、この『床山』ってなんの仕事ですか?」


ピザまんを100分の1くらいにちぎってちまちま食べている潮田がわたしの原稿を見る。(ちなみにわたしは2口で食べた。)


「床山はね、凄いんだよ。日本に50人までって決まってる超超超〜レアな職業なんだ。」


「50人!? そんな仕事あるんですか!?」


「あんのよこれが。サメ子。正直、床山の取材してきたのはマジで凄い。大手柄。なんでピザまん食って発狂するやつがこの仕事向いてんだよ。」


珍しく編集長に褒められてデへへへ…と汚く笑う。

潮田は羨望の眼差しでわたしを見ている。


「床山はね、お相撲さんのちょんまげを結う仕事なんだ。」




✳✳✳✳





先日の土曜日。

都内某所、七重部屋ななえべやという相撲部屋に取材に伺った。


七重部屋は昨年新設された、相撲界で最も新しい相撲部屋。


伝統を重んじつつ、時代に合わせた改革的な指導が注目されている、というニュースを目にした。

「力士の仕事の取材をさせてください」と日本相撲協会にアポ取りしたところ、快く取材を受けていただけた。


朝9時。

初めて間近で見るお相撲さんは、とにかく大きかった。

縦にも横にもとにかく大きくて、これとぶつかったら死んじゃうだろうな…、と直感でわかるくらいには怖かった。

柱稽古はしらげいこをする音。

土俵で巨体がぶつかり合う音。

怒鳴り声やうめき声が反響していて、初めての相撲部屋は凄い迫力。


こういう非日常的な経験は、絶対にいい記事を書けることをわたしは知ってる。

身体中の細胞が沸き立つ。

瞬きも忘れて、わたしは稽古の見学をした。

(多分相撲協会に怒られそうだから口には出さなかったけど、おうちの体重計壊れちゃうだろうなぁとか、みんなほぼおんなじ顔だなぁとか大変失礼なことを思ってたりもした)



稽古が終わり、お風呂に入ったお相撲さんたちは、ちょんまげを結って貰っていた。

どうやら休憩時間らしい。今がチャンス!と思い、できるだけ大きな力士を探す。


二の腕がわたしの胴回りと同じくらいある滝丸たきまるという若いお相撲さん。

幕下という階級らしい。

わたしと目が合うと、顔を真っ赤にして俯いてしまった。


「あの…、テトラジャーナルの鮫川と申します。様々な仕事に関する記事を書かせていただいているのですが、お邪魔で無ければ是非、お相撲さんの取材を…」


といつもの感じで名刺を渡そうとするも、滝丸はわたしの方を見ようともせず、下を向いて石像みたいに固まっている。

これ、完全に無視されてる。

取材拒否、というところか。


「すいません。コイツ、女性と喋れないんです。僕でよければ代わりに答えますよ。いいのか?滝?」


顔を上げると、滝丸のちょんまげを結っていた40代くらいの男性が笑っている。

滝丸の巨体は完全にフリーズ。

この大きさでフリーズはもう冷蔵庫じゃん。



「女性と喋れないって…いうのは?」


「滝丸は女性恐怖症なんです。家族も男だけだったみたいで、中学以降、女性と話したこと無いらしくて。女嫌い、とかではなくてね。ただ緊張してるんです。」


女性恐怖症。

母親から暴力を受けたり性的虐待を経験した人が、女性との交流を極度に恐れるようになる。というのを聞いたことがある。多分軽く考えてはいけない。


滝丸の方を見ると、虹が掛かりそうなくらい滝のような汗をかいている。

違うお相撲さんにした方が良かったかな。

悪いことしちゃったな。


「滝丸さん、大丈夫ですか?もし、わたし、不快であれば」

「だ、だだ、だ、だ、だだだだだいじょダダダ」


「大丈夫って言ってます。」


急にDJプレイ始めたのかと思ったけど笑っちゃ駄目だ。

まげを結っている最中の滝丸は髪を掴まれたまま逃げることもできず、今、苦手を克服しようと決めたんだろう。


「じゃあ、あの…、取材させていただきます。10分くらいで終わりますんで。よろしくお願い致します。」


「こちらこそすいませんねぇ。手間ぁかけちゃって。僕は床山とこやま床玉とこたまです。よろしく。」


わたしの名刺を受け取って、滝丸の髷を結っているおじさんが優しく自己紹介してくれる、けど!


床山の床玉!?何?なんて言った?

床山?の?床玉???? 何?どれが名前?

遠山の金さん、的なこと?。

あぁ、山本山やまもとやま、とかの方が近いか。床山床玉とこやまとこたま

いやいや、マコーレ・マコーレー・カルキン・カルキン的なやつかも知れない。


何処が名前でどれがなんなのか、わたしのポンコツ脳内コンピュータはすぐに処理を諦めて爆発した。


「すいません、とこやまのとこたまさん?は、えっと、お相撲さんですか?」


「あ、すいません。床山っていう力士の髷を結う専門の仕事があるんです。自分で言っちゃうけど、日本に50人しかいないすごく珍しい仕事なんですよ。」


「日本に50人ですか!?」


わたしの大声にビクッとする滝丸。

気のせいか、ちょっと泣きそうな顔をしている。


ははは…、と呑気に笑う床山の床玉さん。

笑っているけど滝丸のまげを掴んだままなのでうさぎを捕まえたハンターみたいで絵面は怖い。


あぁ、すいません…!と滝丸と床山の床玉さんを交互に見るわたし。



今日の取材、大丈夫かな…。










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