P.B.S ~ピコマシーンバスターシャケトバ~
雑菜きつね
第1話 熊 vs シャケっぽい女
「
天に向けて右手の端末をかざす小女が、呪文を唱える。
一瞬の静寂。
ゆったりと吹き寄せる風が、大気中に分散している
この瞬間、彼女は世界の中心になったといっても過言ではなかった――
――いや世界の中心はちょっと、過言かも。
******
陸に打ち上げられてのビチビチしている魚を見て、人はどんな感想を持つのだろう?
哀れだ…俺はそう思った。
くわえて少しだけ美味しそうだと思うのは・・・もうすぐ秋だというのに一向に和らぐ気配のない日差しと蝉の声に脳が焼かれているせい、という事にしておこう。
ともかく、目前で繰り広げられる光景を俺は哀れに思ったのだ。
ビッタン、ビッタン…
魚っぽい恰好をした小女が、勢いよく水を吐いて暴れる消火ホースにしがみついて、ずぶ濡れになりながら地面に叩きつけられている。哀れだ…
ビッタン、ビッタン…
午前中に引っ越し作業を終え、新居周辺の散策に出ようとしたら玄関先にこの惨状。
魚っぽいというのは先の妄想のせいだろう。正確にはワンピースの水着に、肩まであるアームカバー、脚の付け根まで覆う脚絆を付けた、おかしな恰好の女だ。
激しく振り回されているので顔はよく見えないが少女という雰囲気ではない。首元で一緒に暴れているカード状の公務端末からして、少なくとも20は超えているであろう。小女ではあるが。
そんな女が、超が付くほど寂れているとはいえ大きな団地の庭先で「きゃー」とか「うおー」とか奇声を上げているのが哀れさに拍車をかけている。
ビッタン、ビッタン…
「いかんいかん、助けなければ」
あまりに奇抜で哀れな状況を目の当たりにして呆気にとられてしまったが、アレは助けなきゃいけないだろう。人ならそうする。
「あ、あああっ! そこの熊っ! たたた助けてっ!」
こちらに気づいて助けを求める小女。
応、と軽く答えて一旦冷静になる。
あの勢いは不用意に近づくと、危険だ。何か安全に助ける方法を…
「あああっ! 無視すんなし! 助けれぇぇぇぇ!」
小女は喧しさを増した。哀れだ。早く助けなければ。
冷静に周囲を観察した俺は問題の根源を見つけた。ホースの根本、古ぼけた取水栓から水の供給を止めれば万事解決だ。あれをやっつけよう。
「あ! ち、ちょっと! おいてくなしっ!」
俺が取水栓に向かうと、あきらめられたと思ったのか小女は泣き声で喚いた。今年最大に哀れだ。速やかに助けなければ。
取水栓を閉めるハンドルに手をかけると驚くほど軽く回った。
・・・が、これは俺の腕力のおかげではない。
詳しい仕組みは知らないが、水を止める機構が壊れていることくらいは分かった。
いくら回しても一向に背後の奇声が止まないのが証左。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛た゛す゛け゛て゛え゛え゛え゛え゛え゛!!!」
哀れすぎる。可及的速やかに助けなければ。
「…ええい、緊急事態だ」
次第に大きく、哀れになっていく奇声におだてられて俺は、一瞬だけ冷静さを失う。
おばあちゃんが言っていた。
『古い機械は、斜め45度の角度でチョップすると直るのよ』
俺はそれを実行する。
全力で振り下ろした俺の右腕は、古く苔むした取水栓を一撃のもとに粉砕した。
それはもう、粉々のバラバラに。
音を立てて吹きあがる水が脳を冷やす。
冷静さを取り戻した俺は、同じく静かになった奇声の主へ足を向けた。
まき散らされた水たまりの中、水が抜けてぺしゃんこになったホースを抱いたままの彼女は仰向けにぐったりとしていた。力尽きた魚のありさま。
「うぐぅぅぅ…」などと気の抜けた声を出しているので、生きてはいるだろう。
「もしもし、大丈夫ですか?」
屈んで顔を覗きこむと「んぁ…」という変な声とともに薄くあいた瞼の奥で瞳がうごいた。くたびれているが意識はあるみたい。
ひとまず助けることはできたようで、良かった。
怪我の有無を確認しようとする俺を尻目に、「あー、ひどい目にあったし…」などとぼやきつつ曇った瞳がだるそうに周りを見回す。
一通り回りを見回した瞳がしまいに俺の顔を捉えると一拍置いて、むくりと起き上がった。萎びたホースを忌まわし気に放り出す。
改めて俺を見上げると一言。
「ありがとう、助かったわ」
あれ、なんか予想外の反応。
それから必ず『クマだ!』と叫ぶので、すかさず『はい、
それが通用しない人間がいるなんて!
などとショックを受けているこちらに構わず、水たまりに足を投げ出したまま小女は続ける。
「それで…えーと、どちら様?」
「く、熊田です…昨日越してきた…」
クマ・ジョークが通じないなんて、悔しすぎる。
しかしそれで納得したのか、「ああ、熊田さんね」と立ち上がる小女。
屈んだ俺と顔の高さが合うが、彼女の視線は俺の顔を通り越して…背後に立ち昇る水柱を捉えていた。
熊を怖がらないだけでなく『
しかし、驚嘆している場合ではなかった。
「あれ、あんたがやったの?」
目の前の小女は俺に非難の眼差しを向ける。
「あの、緊急だったので仕方なく…」
水柱から降りかかる飛沫を浴びて、俺の毛皮がしぼんでいく。
「助けてもらって言うのもなんだけど、他に無かったの? ホースを外すとかさ?」
審問官よろしく、ぐるぐると俺の周りを歩き始める小女。
人助けのためとはいえ、人間界では使うまいと決めていた
「…その、申し訳ありません…」
「まあ、やっちゃった物は仕方ないし?水道管の破裂とかもまあよくある事だし?」
俺の横を通り抜けながら、彼女は首から下げていた公務端末を操作し始めた。事後処理の電話をかけるようだ。
「…あ、もしもし。例の件片付きました。あ、はい。よしなに~」と、落ち着いた声で話し始める。先ほどまでの奇声が嘘の様。人間は器用だな。
電話相手は自治体の
公務端末を持っているという事は、公務員かそれに準ずる職についている人間という事だ。こんな奇抜な服装の公務員は見たことがないから彼女はおそらく後者・・・古い言葉を使えば、嘱託公務員といったところだろう。
昔は公務員といえばお堅く安定した職業という感じだったらしいが、人間の数が減った昨今は専属の公務員というものはほとんど居ない。そも、専従の職に就いている方が珍しいのが昨今の人間界だ。
人口が減り続けて田舎からどんどん野となれ山となれな世情ではあるものの、未だ人間はこの地域の支配者と呼べる存在感を保っている。
少ない労働力を有効に活用するため極端な省力化・自動化が推進され、必要な作業を人の仲介なしに発注・分配・受注するシステムが構築された結果、今や多くの人間は
公務員も例にもれず、昨今において公務員というのは専らシステムの尻ぬぐいを生業とする個人事業主の事だ。
とまあ、この分散的文明社会を維持するために無くてはならないのが、微粒子サイズのスウォームドローン、『ピコマシーン』という俗称で呼ばれる機械群なのだが…
「ええ…はい。えーと、それがですね、撤収中に事故がありまして…はい…」
電話の話題が俺の起こした事態に触れたので、意識が引き戻された。
「は?修理はこっち持ち…え、水道代も?何でよ、作業中の事故でしょ…?」
小女は水柱を眺めながら電話を続けていたが、どうやら芳しくない様子。
「…だって、此処らの施設は使って良いって…管轄違いぃ!?」
と、何やら恨みのこもった目をこちらに向けたが、すぐに電話先に注意を向ける小女。しかし
「ちょ、まだ話は…」
どうやら一方的に切られたようだ。
「…この、わからずや! 唐変木! 朴念仁!」
ひとしきり類語の罵倒を並べた後、端末を地面に投げつけようとして、しかし叶わなかった。
首から下げた紐が小女の暴虐に反旗を翻して端末を持ち上げ、勢いよく跳ね返ったそれは彼女の鼻筋を直撃する。
「ッ~~~!」
声にならない悲鳴。哀れだ。『今日は厄日』というやつだな…
俺の視線に気づいた小女は、キッとこちらをにらみ返す。何か言おうと息を吸い込んだが、思い浮かばなかったようで代わりのため息を吐いた。
「…はぁ、とりあえず直すか…」と力なくつぶやいたかと思うと再びこちらを睨む。
「やい、そこのクマ!」
「クマって…まあ、熊ですが…」
「パワーで金属の塊を砕くようなヤカラはクマで充分だし!」
水柱に向かってずんずん歩き出す小女。
これは八つ当たりというものだろう。クマと呼ばわりされるのは
「はい、なんでしょう」
「塞ぐからアレ、持ってきて!」小女は水柱の脇、団地の植え込みに鎮座している岩を指さした。彼女の背丈と同じくらいのサイズの大岩だ。
「え、動かしていいんですか?公共物でしょう?」
「いいの! あたしは今、ここの管理やってるんだし!」
「そういうもんですか?」
「そういうものなの! …水道代かさむでしょ、早く! 公務員命令!」
「はあ、じゃあ・・・」言質は取ったので良いかと思ったが、これはかなり重そうだ。
ということで
「ちょっと骨が折れそうなので、取引をしましょう」と持ち掛けた。
「なによ取引って、あんたの事故の処理でしょうが!」
プリプリと怒り散らかす小女をなだめつつ岩に組み付き、強引に話を進める。
「命令を完遂したら、ちゃんと名前で呼んでくださいね、っと!」
水しぶきに濡れた大岩は滑りそうだったが、俺には爪がある。
引っ越しでヤスリがけをさぼっていたのが幸いして、今はとても鋭い。どんな小さなくぼみでも引っ掛かればこっちのもんだ。
あと、自分より重いものを持ち上げるにはちょっとしたコツがある。物と自分の重心を一つにして、バランスをとること。俺の得意技だ。
小女の方は取引に異議を挟むこともなく「やれー!早くしろ―!」だの、まくし立てる。
幸いは重なるもので、この岩は特に固定などされていなかった。よっと、少しだけ力を込めて重心を自分の足の方に載せると難なく持ち上がる。
途端、喧しい声援が収まった。
自分の背丈ほどある岩が持ち上がった様子に驚いたのだろう。ちょっと得意になるが、油断は禁物。
質量は暴力だ。ちょっとした手違いで取り返しがつかない事態を招きかねない。
背後に彼女の気配を確かめて、ぶつからない方向へ、岩と一体になった重心を移していく。ゆっくりと確実に左右の足を交互に踏み出し、水柱が上がる地点まで滑るように。
******
動かないと思っていた大岩が滑らかに移動する様子は、まるで魔法みたい。
思わず息をのんで見とれてしまった。
これがクマパワー。古の人々が恐れ敬った
本当にあんな大きな岩を動かせるとは思っていなかったのだ。
厄介ごとを背負わされた八つ当たりに無理難題を投げつけてしまった自分を恥じる。さらにそれを実現されてしまっては何もいう事が出来ない。なんか悔しい。
「おーい、これで良いですかー?」という声で我を取り戻した。
呆けていている暇はない。命令は実行の確認とセット。半ば冗談だったとはいえ熊田の作業を監督しなければ。
クマになんか負けてられない。あたしはサメよ!
******
天まで上る逆さの瀑布は、大岩に押さえつけられて足下を湿らせるスプリンクラーになっていた。
底の形が良かったようで、岩は安定して立っている。
「倒れなければ、下がって良し!」と背後からぎこちない号令が聞こえたので、そろりと岩から離れる。『下がって良し』って使い方あってるのかな?
まあいいかと思って振り向くと彼女は不思議な表情をしていた。目を丸くして口をパクパクさせている。魚みたいだな。
焦点がこちらに合うと、小女はバツが悪そうに眼をそらした。
「で、これからどうするんですか?」大方収まったものの未だあふれ続けている水を指差して、言葉に詰まっている雰囲気の小女に話しかけた。
なぜか睨み返してくる彼女。
「や、やるじゃない! ここからはあたしの仕事だし、あんたは後ろで見てなさい!」漫画のセリフみたいな返答とともに、ずいっと岩の方へ踏み出す。
この女、ただものではないというより、ただのおもしろ人間なのだろうか?
その姿を追って振り向くと、彼女は足を肩幅に開き公務端末の紐を首から外した。
こちらを一瞥して「見てなさい」と、不敵な笑みを浮かべてから岩に向き直る。
そして端末を頭上に掲げると、呪文を唱えた。
「
そこから先は魔法だった。
端末から
正確には大気中に含まれるピコマシーンが、周囲のそれを引き連れて集まってきている。次第に濃度を増すそれらは可視光を纏ってある形を紡ぎ始めた。
魚…大型の遡上・回遊魚、鮭だ。
アバターと呼ばれるピコマシーンの集合体の姿は、一説に行使する者の心象を表すといわれている。
二匹、三匹と数を増やしていく鮭のアバターは小女の周りに群をなして周回し始めた。五匹、六匹…まだまだ増える。
アバター自体は公務員の特権ではない。ピコマシーンは通貨的な側面もあるので、個人が集めてアバターを形成することは可能だ。子供のお小遣い程度でも小さな虫アバターなら作ることが出来る。
しかし大量となると話は変わる。エネルギーインフラの一端を担うそれらは、安全のために一定量以上の濃度にならないよう拡散あるいは自壊する仕組みになっている。
目前で繰り広げられている光の群を纏うような量の結集体は
初めての光景に見とれていると、一匹の鮭に足をすくわれて尻もちをついてしまった。一般的なアバターでも触感はあるが、不意打ちとはいえ
「本番はここからよ!」
あっけにとられている俺を見て、青白く輝く鮭の群れの中心にいる小女をはニヤリと白い歯をのぞかせる。
「シャーク・トルネード!」
シャーク? シャケではなくて?
名前はさておき、小女の声に応じてアバター鮭の大群は大岩へ殺到した。
鮭の濁流にのまれた大岩は、所々ヒビが入って削られ始める。
大きな塊がボロっと空中に取り出されたかと思うと、それは光の粒に蝕まれて見る見る粉々になっていく。餌団子に稚魚が群がる様相。
ピコマシンによって粉砕された岩の粉塵は周回する鮭に導かれるようにベルトを形成し、複数のそれが岩の根本にぐるぐると巻き付く。
はじめはダクトテープで無理やり水漏れの修理をするかの様に見えたが、巻き付くベルトが増えるにつれて岩とコンクリートの地面の境目が曖昧になっていく。
「ピコマシーン融合か…」
数珠つなぎになったピコマシーンの機械的な吸着動作に加え、最終的には分子間力も利用して結合されるそれは正に融合と呼ぶのが相応しい。この機能こそ、現在においても人間がその建造物の形を維持できている要因だろう。
一見すると有機的。その実、幾何学的に統率された無数の機械たちの作業。その様子は、波打ち際で崩れる砂の城を巻き戻しで見るかの如く不思議で、目が離せなかった。
やがて隙間から漏れ出る水もすっかり止まると、周りに残っていた鮭たちは餌のなくなった
静けさを取り戻した現場には、蚕食されて細長い抽象彫りのような姿になってしまった岩の残骸が佇んでいた。
ジャンプする魚類の彫像だな。
大胆な面でザックリと。
サメか、シャケか。
シルエットからは何れか判断できないほど抽象的なそれは、残暑と呼ぶには厳しすぎる日差しを受けて、ピコマシンの残滓と思しき光沢を魚鱗のように輝かせていた。
鱗が光るなら、やはりシャケだろうか?
「どんなもんだし!」
ひとり彫刻鑑賞会は小女の一声でお開きになった。
一仕事終えて満足したであろう彼女は、羨ましくなるほどのニッコニコ顔で歩み寄ってきた。
「なんというか…壮観でした…こんな規模のオペレーションは初めて見ましたよ」
俺は尻餅をついたままだったが、話をするなら座ったままで良いだろう。
「へへっ、こればっかりはクマに負けてられないしね!」
「む…名前で、呼んでくださいね」
「おお、ワルいワルい。…えっと、熊田!」
「…はい、熊田ですが…」
微妙に成立しなかった
「それで、貴女は……」
彼女の胸元で小さく揺れる公務端末に表示されているはずの名前は逆光でよく見えず、代わりに水着の左胸に白くプリントされた文字が目に留まったので読み上げた。
使い古しているようで所々剥げているそれは…
「SH、A、K、……シャケさん?」
瞬間、眉間に稲妻のような衝撃を受けて俺の視界は暗転した。
この女、
「シャケって言うなしッ!!!」
理不尽な小女のシャウトを脳に反響させながら、俺の意識は遠のいていった――
俺、
******
PMO SHARK(代表:魚桂石冬葉)活動収支報告書
2230/09/05
旧水道局管轄作業請負 (単位:PM)
上水道管点検・清掃 : 66,000-
取水栓補修費 :△13,253,000-
水道代補填 :△ 132,297-
作業委託費→熊田 :△ 100-
――――――――――――――――――――――――
計 :△13,319,397-
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